死神に――は殺せない
十津川さん
00 殺し屋
働かざる者食うべからず。新約聖書にある一節を元にした有名な慣用句だ。
だから社会人はもちろん働いているし、学生でも充実した学生生活を満喫しようと思えばアルバイトくらいはするだろう。
つまり中学二年生の俺が働いているというのも、別におかしくはない。
今日は三か月ぶりとなるその仕事の日だった。
繁華街から一本外れた通り。平日の夜に雨ということもあり、歩く人々もまばらだ。コンビニ前で雨宿りをする振りをしつつ、それとなく正面にある店の入り口を注視する。
スマホを取り出し確認した時刻は二十三時過ぎ。深夜一歩手前の時刻に俺のような子供がいたら不審に思われるだろうが、列をなしてあるく若い女性の群れや柱に寄りかかって嘔吐する大学生がいる中では、パーカーを深く被ってさえいればそれほど目立つこともない。
しばらく待つと、小洒落たバーの入り口から男が出てくるのが見えた。ピシッときめたスーツ、ポマードで固めたリーゼント。一見で「少々普通でない職業」と分る風貌だ。
ただその顔は赤く、足元は少々ふらついている。ターゲットの
前もって調べておいた情報通りで、口元がほんの少し緩む。
傘を開いた
やるならここだと決めていた。
繁華街から離れているといっても人通りはそれなりにある。しかし逆に言えば人がいても怪しまれないのがメリットだ。
高架下の入り口あたりに差し掛かった辺り、一〇メートル後ろを歩いていた俺は、背後から何食わぬ顔で近づく。あと数歩で手が届こうかという距離になったところで、不快な匂いが鼻孔をついた。見れば背中越しに
煙草だ。
(あんた禁煙中だろうが)
思わず舌打ちしそうになる。雨中で多少マシだとはいえクソの象徴である煙草の匂いがほんの少しでも服にこびりつくのは勘弁してほしい。
イラつきを押し殺し男の肩を軽く叩く。
「靴紐、解けてますよ」
「ああん?」
振り向いた北伏見健司は、四〇代後半の社会人が持っているとは思えない鋭い視線を向けてきたが、俺の努めて明るく出した声と作り笑いにほんの少し警戒を緩めると、緩んだ靴紐を直すベくしゃがみこんだ。ちらと視線を向けると、奴の上着の胸ポケットにボールペンを差しているのが見える。
今日はこれを使うか。
車が通った際の風圧にあわせ手にしていた傘をわざと滑らせる。黒い傘がしゃがみこんだ北伏見の背中に掛かるように落ちた。慌てて屈みこみ拾う――フリをし男の上着からボールペンを抜き取ると、それを喉元へ勢いよく突き立てた。尖ったペン先は柔らかい喉の皮膚を
「――――か……はっ?」
北伏見は一瞬何が起きたか分からなかったようだが、すぐに目を丸くし、それから俺を見た。
(抜くと血が噴き出て面倒になるな。少しずらすだけでいいか)
そんなことを漫然と考えながら俺はボールペンを握った手を軽く回した。
北伏見の、平時であれば威圧できていたであろう視線は、ボールペンをぐるりと回した際に漏れた「ひゅう」という風が抜けるような声と共に力を失った。
高架下の壁際にもたれかかるような格好になったのでそのまま傘を被せ立ち去る。途中で血が付いた薄手のゴム手袋を素早く丸め、ポケットに入れてあったビニール袋へ突っこむ。
(ま、あれなら酔っぱらいが座り込んでいるように見えなくもないだろ。傘もちょうどいいカモフラージュになる。雨は意外な
そんなことを考えながら、駅に向かって歩いた。
高架下を抜けるまでに何人かとすれ違ったので、それとなく視線を向けてみたが、俺に対しては勿論のこと、進行方向の先にいる酔っぱらい――実際にはもう動かない肉の塊――に気を留めた様子はなかった。
その死がささやかながらも取り上げられたのは、朝一のワイドショーだった。
テレビに映った若いキャスターが、つくりものらしさを隠そうともしない悲痛な表情と声で視聴者にプレゼンしている。
『本日未明、都内で死亡している男性が発見されました。人通りがある場所での大胆な犯行、そして喉を一突きするという残忍な手口。現場にあるもので自然に死んでいる、まるで死神を思わせるような犯行は――』
俺はテレビの雑音を耳に入れながら自室のベッドに潜りこんだ。
……今日は遅刻しよう。いやするべきだ。働かざる者食うべからずというけど、今日は十分働いたし、カミサマだって許してくれるに違いない。
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