31 夏の終わりに
「ごちそうさまでした」
朝ごはんを食べ終えたわたしは、食器を流し台に置き、鞄を手にした。
BGM替わりに点けていたリビングのテレビからは、例の事件に関しての報道がされている。また新しいスキャンダルでも見つかったのだろうか。
例の事件というのは、1ヶ月前、都内にある建設中ビルで起きた爆発事件のことだ。
当初はただの事故だと思われていたのだけど、ほどなく中から他殺死体が見つかったことで一気に刑事事件へと発展した。しかも死んでいたのが警視庁の警視で、しかもその警視が裏社会に関与していてたという情報がネットで出回ると、警察の不祥事としてメディアがこぞって取り上げ始めた。
当初は警察が身内の不始末を隠す動きもあったようだけど、いちどネットに出回ってしまった情報は隠し通す事など不可能で、逆に「この機に全ての
騒ぎの渦中にあった芥川建設は更に厳しく調べられ、爆発事件とは何ら関係のない横領や背任、政治家との癒着が芋づる式にわんさか出てきてしまったものだから、この事件は一気に社会問題へと発展。政治と経済界を巻き込む大スキャンダルになってしまったのだった。
しかもどうやらニュースを聞き流しているかぎり、また新たな「政界の犠牲者」が出たらしい。いや自業自得なのだから犠牲者というのも変だと思うけど。
学校指定の靴を履いて玄関を出るとき、テレビキャスターが口にした「岡野修氏の事故に関与したと思われる
理由は分からない。
ただ胸のどこかがぽっかりと空いている気がする。
わたしは、大切な何かを無くしてしまった気がしている。
夏が終わり、通学路にも秋の風が吹き始めていた。
日中を通せばまだまだ暖かい日もあるけれど、今日みたいな太陽が隠れている朝なんかだと、スカートの下にタイツを履きたくなる。
歩幅を大きくして通学路を急ぐ途中、通りにある建設中マンションを見上げた。
今でもふと考えることがある。
あの日、わたしは本当にあの爆発事件があったビルにいたんだろうか、と。
わたしがあそこにいた、というのはもちろん誰にも話していない。
というのも、
「いたような気がするだけでハッキリとした記憶がない」うえに、
「いたとしてもなぜ行ったのか理由が分からない」し、
「どうやってあのビルから戻ったか記憶にない」という、
記憶障害のオンパレードなのだから、そもそも話しようがなく、わたしのデジャヴなり勘違いという結論の方がしっくりくるからだ。
けれど。
あの日からわたしはずっとモヤモヤしている。記憶に
あのビルに、わたしはいて、そしてだれかがいた。
わたしは何かをお願いして、わたしは何かを望んだ。
はずなのだ。
けどそれがなんだったのか、ということになると全く思い出せない。
やっぱり記憶違い……なんだろうか。
携帯を取り出し写真アイコンをタップすると、これまでに撮った画像がサムネイルで表示されていく。
これは図書室、こっちは校内、あ、これは夏祭りで撮ったやつだ。
どれも風景写真で被写体はいない。たまに人物がいてもわたしが自撮り写真風に映っているだけで、なぜそんな絵を撮ったのかまったく覚えていないのだけど、不思議なことに、誰も映っていないこれらの画像を見ていると、頬が自然と緩むのだ。
あ、そういえばこの図書室で撮ったの、昔お父さんが読んでた本をここで紹介したんだっけ。そしたらドストエフスキーさんが書いたって教えてくれて。それにたしかこのタイトルの翻訳にはもう一つ意味があるって教えてくれて……教えてくれてって誰が? 画像にはわたししか映っていないのに。
わたしの胸にはぽっかりと穴が開いている。それがなんなのかは分からない。
大切な何かを無くしてしまった気がしている。
それはとても大切なものな気がしていた。
教室の扉を開ける。まっすぐ自分の席へ向かう。窓際にある席に座るとふぅっと小さく息を吐いた。少し前までは、入るときに緊張しておどおどしていたけど、今はそんなことはない。
わたしに対するイジメは不思議となくなっていた。
もともと思春期特有の――具体的には芥川さんの――単なる気まぐれだったんじゃないかと思うに至っている。
その芥川さんはとても落ち込んでいる。理由は彼女自身も分からないみたいで、ときおり何かを思い出したかのように顔をぱっと明るくしたかと思えば、苦虫を噛み潰したかのように眉を八の字にしていたりする。
あるクラスメイトは、彼女が落ち込んでいるのはお父さんが芥川建設の件で色々追及された結果だと言っている。事実お父さんは
あるクラスメイトは、学校に来るマスコミがうるさく聞いてくるからだと言っている。確かに一ヶ月経ってもまだ押しかけてくる記者たちはいて、しかも今頃来るようなのは、あえて人を傷つけるような質問ばかりをしてくる心無い人間ばかりで。いかに鋼鉄メンタルを持つ芥川さんでも気に病むことはあるかもしれない。
でもどれも違うなぁと思っているのは、たぶんわたしだけだ。
分かるのだ。だってわたしも同じように落ち込んでるから。落ち込む理由がなんなのかハッキリとわかっていないけれど、きっと同じ理由に違いないと。
あ、そういえばわたしもインタビューされたことがある。これ見よがしに芥川さんのいる場所で聞いてきたものだから、頭にきたわたしは、その厚化粧の女性レポーターに穏やかでない言葉を投げつけ、べーっと舌を出してやったのだ。
かつての女王さまとは別に友好的でも好意的でもなかったけど、そのときの芥川さんは意外そうな顔をしてこちらを見て、そしてちょっとだけ顔を緩めた。
もし彼女がこの学校に戻ってきたら、次は仲良くやれそうな気がしている。
同じ理由を持つ者として。
昼休みになって、わたしは渡り廊下に出た。
みなベンチに座って思い思いのお昼を広げている。お弁当の女子もいるし、購買所で買ってきたカレーをかきこんでいる男子もいる。
カレーかぁ。そういえば購買所でごはんを買ったことないや。こんどクリームパンと一緒に買ってみるのもいいかも。
……うん。なぜクリームパンなのか? わたし。でもまあ意外とおいしい組み合わせなのかもしれない。
空いているベンチに座り空を見上げる。朝方の曇りは嘘のように晴れ、ほんの少し残った雲の隙間から太陽が顔を出していた。
眩しさに目が当てられたのだろうか。頬をつうっと伝うものがあった。
ううん。本当は分かってる。眩しいからなんかじゃない。
穴が開いているから。ぽっかりと胸に……心に空いているこの空白がわたしを締め付けているからだ。
痛みではない痛みが、今はわたしをイジメている。
この穴はいったいどうやったら埋まるんだろう。
分からない。
最近のわたしは分からないことばかりだ。
誰か教えてくれないだろうか。
分かる人なんているはずないけど。
「―――――」
「え、誰?」
誰かがわたしの名前を呼んだ。
後ろからした声は聞いたことのない声だった。
でも、どこかなつかしい声で。
聞いたことがないのになつかしいというのもおかしな話だけど。
小さく笑ったわたしは、
もう乾いた涙の
――――Fin――――
死神に――は殺せない 十津川さん @hizili00
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