30 ラストエモート2


 ――――なっ⁉ 三発目だと⁉


 右半身が大きく吹き飛ばされ、手にした武器ドライバーが手から離れる。

 だが身体が離れる寸前、左手で作った掌底を二蝋の側頭部に強く打ちつけた。銃からは四発目が撃たれるが、さすがの二蝋も鼓膜を激しく揺らされた直後で狙いはつけられず、放たれた銃弾は壁際のガラス窓を割るだけに終わった。

 俺は地面に落ちた大き目のガラスを咄嗟に掴み距離を取る。転がっている別の消火器を噴射させ、再び白煙で辺りを覆った。


「撃ちきってから弾倉を変えると決まっているわけではない。これは教えてなかったが」


 机が山積みにされた裏に身を隠した俺は、白煙の向こう側から聞こえる二蝋の声を聞いた。知識だけで銃を実戦で使ったことはない。当然こんな撃ちあいの経験などあるはずもなく、実戦経験の差が明らかに出たといえた。

 しかし今はそんなことよりも自身への怒りが強い。タクティカルな部分ではなくメンタルな部分だ。


「なんで腕なんか狙ったんだ俺は! 明らかに殺意が足りてなかったじゃないか! くそっ!」


 少ないチャンスは安全を確保するためではなく、頭か首、あるいは心臓を狙い一気に勝負をつけるために使うべきだったのだ。そして甘さの残った安易な攻撃は、身体を捻られるだけで狙いを外される結果となった。

 心のどこかでまだ躊躇ちゅうちょする部分があったのかもしれない。

「くそっ」という声に出せない苛立ちを自らに叩きつけた。


 しかし聴覚を一時的に奪うという第二目標は達成できた。今の戦闘で二蝋の位置は出口付近に寄っている。視界条件も悪い今ならもうひとつの目的に近づける。

 煙の中、姿勢を低く移動し、記憶と微かな気配を頼りに仰向けになった未希のもとへ辿り着く。中学生にしては豊かな胸部がゆっくり上下しており、彼女が無事であることが見て取れた。

 未希だけ連れ出したいところだが、この煙の中では二蝋がどこにいるか分からない。抜け目ない男だ。索敵しつつも出口はガードしてるに違いない。


「さてここからどうするか」

「依月、くん……?」


 戸惑いが混じった声がした。未希が気付いて起き上がる。「あれ。なんでここに。えっと、ここ……どこだっけ…………あっ!」


 視線で起き上がった未希を制するが、彼女は感情を高ぶらせ口を開いた。


「わたしっ! 依月くんに謝りたくて。そしたら二蝋さんが会わせてくれるって、だからっ……」

「分ってる。分ってるから大丈夫だ。あとで聞くから。今はちょっと静かにしててくれ」

「依月くんはわたしの無茶なお願いを一生懸命やってくれてただけなのに、お父さんを殺すはず、そんなはずなんてないのに、なのにわたしっ! わたしは……」

「しっ。黙ってろ」

「……血? 血が出てるっ!」


 ああ、くそ! 二蝋の耳を奪ったとはいえ、これ以上騒がれるとこちらの位置がばれる。

 腹部からの痛み。出血による意識の混濁こんだく。それと口には出せない感情。そういったものが俺の身体を自然に動かした。

 唇を唇でふさぐという行為。初めて触れた女の子のそれは、ほんの少し、血の味がした。


「あいつの狙いはお前だ」


 彼女の身体を軽く引き寄せ説明する。二蝋が大樂おおら一葉いちようの別人格であること。俺と関係を持ったお前を殺そうとしていること。要点だけかいつまんで話す。

 状況が状況なだけになぜそうなったのかまでは理解しきれていなかったようだが、今が切羽せっぱ詰っているのは分かったようで、話し終えるころには普段の顔つきに戻っていた。


「あ、だったら話は簡単だね」

「どこがだ。いや一応なにが簡単なのか聞いてやる。たぶん意味ないと思うが」

「わたしが死ねば二人が争う理由もなくなる、つまり依月くんは助かる」

「だよなバカかアホか頭お花畑未希か」

「お花畑⁉」

「お前が死んだら俺の努力がむだになんだろーが。この腹の痛みをどうしてくれる」


 腹部の黒い染みは、暗がりでもはっきり分かるくらいに広がっていた。


「大丈夫なの? 痛くないの?」

「クソいてぇ」

「全然大丈夫じゃないじゃない! 早くお医者さんにいかないと!」

「ああ。ここから出れたらお前に連れてってもらう。だから死ぬとか簡単に言うんじゃない」


 俯いた彼女の頭を血がついていない方の手で軽く撫でてやる。

 いつのまにか、未希の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「ごめんなさい……。きっと巡ってきたんだよ。罪が。わたしがあんなことを頼んだばっかりに、わたしの罪が依月くんに……」

「おいおい。なに人の罪を勝手に自分のせいにしてんだ。余計な罪しょいこんで落ち込まれるとまるで俺が悪いみたいだからやめろ。元から穢れきってたんだよ。俺の魂ってやつは。だから気にすんな」


 吐息を大きく吐き出す。自嘲気味に笑ったのは二蝋の癖がうつったからかもしれない。

「でも」何か言いかけた未希の、僅かな月明かりの下でも分る陶磁器のように真っ白な手を取った。


「見ろ。お前の手は綺麗だ」

「……うそ。汚れてる。だってわたしは芥川さんを」

「そんなの汚れたうちに入らねーよ。人間やってりゃ誰だって殺したいなんて思うことくらいある。汚れてるってのはな――――」


 彼女は忘れているのだろうか。俺がどんな仕事をしてきたのかを。

 もし因果が巡っているという彼女の信念が正しいのなら、今こうしているのも俺自身の罪がさせたものになるということを。

 俺の手こそ汚れきっている。

 そんな手で触れてよかったのだろうか。


「依月くん?」

「……いやなんでもない。とにかく話はここを出てからだ」

「うん分った。でも約束してね? 無茶はしないって」

「善処する」


 白煙は少しずつ薄れ始めている。二蝋の聴覚も戻ってくるころだ。二つある出入口のうち、近い方はここから二〇メートルほど。走れば五秒もかからない。

 移動しようと腰を浮かせた瞬間、背後から突き刺すような殺気を感じた。山積みになった机の上に影が。銃を。


 咄嗟に未希を突き飛ばす。力の加減はしていられなかった。未希の頭が壁にぶつかる鈍い音がしたのと、抑えの利いた低い銃声がしたのは、ほぼ同時だった。


「ここまでだな不肖の弟子」机の山の上に立った二蝋は銃口を未希へと定めた。


 視界の隅にいる未希は動かない。もしかしたら今の衝撃で気を失ったのかもしれない。立ち上がろうとするが左太腿に熱い感触。さっきの銃弾が動脈を通過したのか、血がホースで放流するかのように流れ出た。


 けど関係なかった。雄叫びと共に飛びかかる。何か考えがあったわけじゃない。ただ本能で真っ直ぐ突っこんだだけだった。


 だからなのか二蝋は一瞬動きを止めた。考えなしの行動だと気付いたときにはもう遅い。身体を突き飛ばし、俺たちはもんどりうって倒れ込む。

 仰向けになった二蝋の上にまたがりマウントを取ろうとする。しかし腹部を蹴られ吹き飛ばされた俺はしたたかに背中を打つ。すぐに起き上がるが、腹部の傷が一層開き、口から大量の血反吐を吐く。視界が揺れているのは出血によるものだと分ったが、どうしようもない。

 朦朧もうろうとした瞳が捉えたのは、立ち上がり、銃を構えている二蝋だった。

 横へ飛ぼうとするが、足に籠める力はもう残っていない。


 残された体力の差。持ち得る武器の差。なにより埋めがたい才能と経験の差。

 ここから逆転するには一手では足らず最低でも二手は必要になるが、そんなものを用意している砂時計の砂も残されていない。

 銃口を俺の眉間に定めていく動作がスローモーションに見える。


 これで終わり、か。


 肩の力が抜けかけたとき、不意に誰かの笑顔が、脳裏に浮かんで消えた。

 そいつは笑っている。生きて笑っている。

 ……冗談じゃない。消してたまるか。消させるものか。今助けないでいつ助けるんだ。もう二度と俺は後悔したくないのだ俺は!


 なけなしの力を全て足に籠めた、そのとき。

 不意に、二蝋が何かに押されたかのようにバランスを崩した。やつの注意が一瞬背後へ逸れる。

 俺には見えた。コンマ一秒にも満たないほんのわずかな時間、の袖が二蝋の背後へ消えるのが。


 咄嗟とっさに息を止める。


 二蝋が視線を正面へ戻す。が、その目は見開かれる。当然だ。俺は一歩進む。

 二蝋は何かを探すよう瞳を左右に動かす。目の前の俺はもう一歩進む。

 二蝋には見えていない。血が迸る足を引きずり俺がまっすぐ向かっているのを。割れたガラスの破片――銃弾が割ったのを拾っておいた――を、手のひらが切れるほど強く握っているのを。


 そのまま動くなよ。そう念じたが振りかぶった瞬間、限界だった肺腑はいふから息が漏れ出る。

 二蝋の瞳が、獲物を見つけた瞳が、銃口が、目の前の俺へと定められた。

 だが。覚悟した銃声は鳴らなかった。

 心臓に鋭いガラスを突き立て、たおしても、鳴ることはなかった。


「ふむ。私の負けか」仰向けに倒れた二蝋がそう言った。

「……あんた、なんで」


 撃たなかったんだよ。

 それは俺の内宇宙インナースペースにのみ存在する声だったはずだが、相手には聞こえたようだった。


「必要のない感情は消せ、か。に言った言葉だが全くその通りだったな」


 二蝋は、恐らく人生で最後になるであろう自嘲気味の笑いを浮かべると、口から黒くどろりとした血を吐き出した。


「らしくないじゃないか。躊躇ためらうなんて」

「躊躇っただと? おいおい。まさかあの多々羅二蝋も最期を迎える前にはいい人間になりました、とでも言いたいのか。バカめ。弾倉に何発残っていたか思い出すのに時間がかかっただけだ」


 急速に生気を失いつつある男は、俺でも覚えていた情報を理由にした。


「まあ私もどこかでこの狂った人生を清算したかったのかもしれん。もそう思うだろう?」


 可聴かちょう領域ぎりぎりになりつつあった声は、俺ではない別の誰かに向けられたもののような気がした。

 答えを求められているようには思えない。

 必要ないのかもしれない。


「できたんじゃないのか。あんたは未希だけ狙おうと思えばできたのにしなかった」


 だがそれでも、俺はかつて多々羅二蝋だったものへのはなむけに、そう投げかけた。

 

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