26 罪は夜の帳に

 エントランスを通り抜けるときには、すっかり夜の帳が降りていた。

 部屋に入ると鞄を机に投げソファにもたれかかる。大きく吐く。


 疲労に満ちた日だった。

 見谷未希からは父親殺しを疑われ、

 死神は自らの妄想だとわかり、

 俺という存在が如何に矮小わいしょうかわかってしまった。


 ……っていや。よく考えたら落ち込む必要あるか? どれも大した問題じゃないだろう?


 依頼された仕事は終わっている。

 死神はいなくとも仕事はできる。もちろんこれから先はこれまでより少し注意を払いながら仕事を進める必要はあるがそれくらいだ。

 そして自分が矮小わいしょうな存在だなんてのは七年前から分り切っていたことだ。

 最近がうまくいきすぎていて勘違いしていただけだ。

 なんら落ち込む必要はない。


 けれど何かをぽっかりと失っている気がする。

 それが何なのかは分からない。


 やけに喉が渇く。立ち上がり使っていない台所へ向かう。

 不意に未希の顔が頭に浮かんだ。いや元々頭の片隅にはずっといた。それがピックアップされただけだ。

 バカでツいてないやつだ。俺に関わったから殺されるとか死んでも死にきれないだろうに。いやでも接触してきた方のが悪いのだ。仕方ないだろう。


 蛇口をひねりコップに水を入れる。一気に飲み干すとカルキのツンとした匂いが喉を通っていった。

 そういえばあの施設はクソだったが、山奥だけに水は美味かった。とくに夏。遊んだ後に飲む冷たい井戸水は、俺たちの命を繋ぐ水と言っても過言ではなかった。

 ――ふと、一緒に遊んだ幼馴染の顔が浮かぶ。

 ――あの、笑った顔が浮かぶ。

 ――ああ、なんで俺は殺し屋を始めたんだったっけか。


 頭の中の、幼馴染の隣には同じくらいの背丈の女の子がいた。今年に入って仲良くなったその子もやっぱり笑っている。


 何かをぽっかりと失ってしまった気がする。

 いや本当は分かっている。分かっているのだ。

 使わない台所は綺麗なままで、洗ったまま置きっぱなしにされている食器は、一度だけ使われた形跡を確かに残していた。


 今はもういない、かつて幼馴染だったものが俺の背中を押す。その表情はやっぱり笑顔で、俺といつかここにいた少女に向けられていた。

 ……だよな。ヤヒロ。んでもってゴメン。


「あいつは、もう、俺の中に居ついちまったんだ」


 コップを置き玄関へ走り出す。

 何かをぽっかりと失ってしまった気がする。

 それをどうすれば取り戻せるのか、俺にはもう分っていた。

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