11 去りし過を

 過疎化が進んで人口が五〇人に満たない寂れた村。その端にある児童施設で、俺は育った。

 元々は老人ホームになる予定だった施設――バブルが弾けてご破算なった――を買い取って改装したもので、山村にある建物としては結構真新しく、真っ白な塗装がされた建物は山々の緑の中で一層際立っていたのを覚えている。


 しかし白かったのは外見だけで、中で行われていた実態は見た目と相反し、真っ黒だった。

 子供を慰み者にする売春施設。

 人目少ない山村で行われていたのは、そういう一部の人間を満足させるための商売だった。


 運営していたのは五〇台後半の男で、『客』の様々なオーダーに答えられるよう『品』を豊富に揃えていた。

 幼い女の子、成長期をちょうど終えた女の子、あるいは妖艶な男児、または金髪、稀に褐色。も天災による孤児だったり、両親の離婚、あるいはおおやけにできない事情で産まれた子供で、男はそれら『商品』をどこからともなく見つけてきては施設に入れていた。


 俺もそのうちの一人だった。

 施設に連れてこられるまでの経緯は覚えていない。なぜ両親がいないかも記憶にない。物心ついたときにはもう施設に入れられていたし、クソみたいな生活を送らされていた。

 入れられてからもクソみたいな生活は変わらなかった。

 男娼として男の相手をさせられることもあったし、同世代の女子と絡まさせられたこともあった。控えめにいって、地獄だ。地獄を仕切る閻魔が守銭奴というのも笑えなかった。


 しかしこれだけ大っぴらにやっていた商売だが、男と施設が摘発される気配は全くなかった。

 その理由は幾つもある。

 山奥にある施設への交通手段は限られていたことや、子供の隔離と監視は容易で情報が洩れにくかったこと。それでもどこからか漏れる情報はあったが、元々財政界に人脈を持っていた男は、そちらの趣味を持っている人間を『客』として迎え入れていたので、厄介な団体に目をつけられることがなかったことも大きい。


 だからこの地獄に救いが来ることないと分るには、入れられてから数か月かかった。

 理解してからはここが俺の世界になった。クソ溜で行わるクソ人生だ。

 殆ど諦めていた人生の中に存在した唯一安息は、三歳上の女の子との他愛もない会話だった。


「最近どうヨッヒー?」


 少女は『やひろ』という名前だった。どういう漢字で書くのか知らないし、苗字だって知らない。整った顔立ちに大きな瞳、笑うと少しだけ八重歯が見える唇。長い黒髪は荒んだ生活の中でも煌びやかに輝いていた。

 そして奇妙なあだ名を付けるのは、彼女の不思議な趣味だった。


「どうもこうもないよ。ていうかその変なあだ名で呼ぶのやめてよ」

「そう? ヨッヒーって響きかわいいし、よくない? よいよ? よいぞーへへ」


 最初は本気で嫌だったのだが、途中からどうでもよくなった記憶がある。だけど幼いながらも男の矜持きょうじが許さなかったのか、一応否定する定型文から入るのは俺のお決まりだった。


「しかし今日も陰りに陰ったお顔だねぇ。せっかく将来カッコよくなりそうな素材なのにもったいない。不安があるならお姉ちゃんが取り除いて元気にしてあげよっかっ?」

「いらないし無理だし必要ないし。ていうか一つ取り除いても次の不安が出てくるだけだし」

「お、おお。一〇歳の言葉とは思えない達観っぷり……。さすがヨッヒー」

「やひろだってあんま変わんないじゃん」

「三歳も年上であるぞ」やひろが口の端を上げると八重歯が少しだけ顔を出した。

「三歳しか、じゃん」

「いやいや大きい、大きいでしょ! それに背もあたしの方が高いし」

「む。身長は認めるけど、それはそのうち時間が解決する問題だ」

「あはは。かもね。だけど今はあたしの方が大きいんだから、何かがあったらお姉ちゃんが守ってあげるからね」

「必要ないし。やひろなんかに守られる必要なんてない。ぼくは男なんだ。守るとしたらぼくの方だ」


 俺はこの女の子に守られているんじゃない、守るんだ。何とも理屈になってない言葉だったが、幼いながらも男としての矜持が――そして恐らくは自覚していなかった恋心が――そう言わせたのだろう。


『いつになるか分からないけど、もしここを出ることができたら、そのときは二人で』


 言葉に出したことはない。されたこともない、二つの想い。それは共通の形だった。

 あの日、あの男に壊されるまでは。

 その日は雨脚が強く、開いた窓から雨に濡れた草木の蒸せるような匂いが強烈な記憶として残っている。

 施設を束ねる男が彼女を呼んだのは、いつものように他愛もない会話を二人で話していたときだった。


「やひろ。あとで俺の部屋に来い」


 俺たちの横を通り過ぎるとき、男から草木の匂いが飛ぶほどのどきつい煙草の匂いがした。男はヘビースモーカーで、建物の白い壁が灰色にくすみ始めていたのはコイツが吐き出したヤニが原因なんじゃないかって思えるほどの喫煙量だった。


「ちょっと行ってくるね」


 彼女は笑顔で走っていく。

 俺は、男が商売道具に手を出さないことを知っていた。だから用事というのもたら何か「仕事」ではない雑用か何かだろうと思っていた。


 高をくくっていたのだろう。安心していたのだろう。どれだけ大人ぶってみても小さな世界でしか生きてないガキの予想なんか大したものではなく、あのとき彼女の肩が一瞬揺れたのに気付かないほど、俺は子供だった。


 部屋に戻ってベッドに寝転がったころには、もう深夜に近い時間になっていた。

 普段ならさっさと寝てしまうのだが、あの日だけは目が覚めて寝れなかった。

 起き上がりドアを開け、しんと静まり返った廊下を歩く。

 窓に映る外の昏さがそうさせたのかもしれない。微かに残っていた不安がそうさせたのかもしれない。

 気が付けば入ったことすらない理事室の前まで来ていた。

 ノブをゆっくり回す。鍵はかかっていない。よく整備された扉は音も無くするりと開く。

 中には誰もいない。正面には大きな机。その天板に反射した月明かりの薄い光が、左手にある扉を照らしていた。

 足音を忍ばせ歩み寄る。少しだけ開き隙間から中を伺う。冗談みたいな天蓋付のベッドが真っ先に見えた。


 そこに彼女がいた。

 一糸まとわぬ姿でベッドに寝転がされており、腕はだらりと垂れ、長く美しい黒髪が白いシーツの上を覆う波紋のように広がっていた。焦点の合わない瞳は少し開いた扉へ向いているのに、微塵も動かなかった。

 彼女の上には裸体の男が乗っていた。白い豚はニヤニヤしながら両手で彼女の首を絞めつけている。

 

 暗がりだったにも関わらず、やひろが死んでいるのは、なぜだか分かった。

 いや死んだんじゃない。殺されたのだ。なぜ? なぜ殺された? なぜ殺した。分からない。

 幾つかの混乱と闘争心と反抗心が混じりあった結果、俺の中に初めて生まれたモノがあった。

 それは殺意という名の、純粋な結晶。

 しかし豚に飼いならされてきた従順な存在にとってそれを形にする力はなく、扉を押さえる指は震えていた。

 どうやったら止まるのか。どうやったらあれを消せるのか。道は分からなかった。


『ならあたしが止められる力、貸してあげちゃおっか』


 嬌声きょうせいのような甘ったるい声が、脳に直接響いたのはそのときだった。

 誰だ、とは問わなかった。今必要なのは何者かという答えではなく、実行するだけの力だったのだから。


「なにを貸してくれる」

『あんたがしたいこと、それを実現できる力を』

「殺せるか」

『もちろん。その代わりあんたにはペナルティを課すことになるけど』


 くすっと嗤う音を、俺は無表情で受け流した。


「ああなら貸せ。そいつをぼくに貸せ。代わりに何でもしてやる」


 声に出すと同時に震えが霧散する。扉を開き真っ直ぐ近寄る。彼女の上に乗ったままの男の横に立つ。


 男は自分が死ぬとは微塵も思っていなかった。

 実際、首に万年筆が突き刺さった後も、表情には笑みが浮かんでいた。こぷぅ、という排水が詰まったときのような音と共に、口から大量の血が漏れ出し、喉に手を当て、温かく流れるものの正体を知り、初めてこちらの存在に気付いたようだった。


 一体いつからそこに――? 見開いた目がそう語っていた。

 白目になり、糸が切れた人形のように身体が前方に倒れ込む。彼女の上に圧し掛かる形になったので、思いっきり蹴り飛ばし天蓋てんがいの外に押しやった。それは壁にぶつかり飾ってあった花瓶が落ちて割れた。


 動かなくなった豚をしばらく見下ろしていたが、やがてやひろのことを思い出した。彼女の身体に飛び散った汚い血をシーツで拭ってきれいにする。それから天蓋から垂れる薄手のカーテンを剥ぎ取り彼女を包んであげた。


 ここまでして、初めて、彼女は死んだのだという事実を脳が再認識した。

 不思議と涙は出なかった。


『やーやー。これまた汚れに汚れた魂だわねぇ。今のうちに刈り取れてよかったよ』


 先ほど脳に響いた声を、今度は聴覚が捕えた。声のした方を見ると、和服のような格好をした少女が血まみれになった豚を指でつついていた。


「……誰だ、お前」

『誰だってのはずいぶんご無礼じゃなぁい? 力を貸してあげたっていうのに。ほら、君が近づいてもこの人間は気が付かなかったでしょ? あれ死神の力のひとつだから』


 眉をひそめ奇妙な侵入者を見つめた。確かに男は全く気付いていなかった。仮に無警戒だったとしても少し異常だったのは間違いない。


『あたしはトワリ。死の理を持つ神様の眷属、死神のトワリよ』


 はっきり言ってこの異常な状況かつ異常な雰囲気じゃなければ、トワリが死神だなんて突拍子もない存在であることを信じることはなかっただろう。

 幾つか会話を交わし、魂を裁く「裁考さいこうの広間」とやらがオーバーワークになってしまっていて、穢れそうなラインに達している魂は穢れきる前にさっさと刈り取る方針になり、トワリは魂を集めるノルマを課せられているということが分った。


「ならさっさとそいつのを持って出てってくれ」

『いやね、そうしたいのはやまやまなんだけどさ』


 死神は、ベッド脇に倒れている死体をちらちら見る。


「なんだよ、まさかまだ生きてるとか言うつもりじゃないだろうな」

『そうじゃなくて! ほら、血が!』

「そりゃ、血くらい流れるだろ」

『ちちちち、血が! 苦手なの! あたしは! 死神だからって見慣れてるとか思わないでよねぇ⁉』


 ぱたぱたと手を振った死神は、片方の頬をぷくっと膨らませ抗議した。


「知るか」呆れて言ってやる。そもそも今の状況で、死神とかいう実在しているのかどうかすら分からない存在と、冷静に会話している自分にも呆れるのだが。


『というわけで、君。血を拭きとってキレーにしてくれたまぇ』

「はぁ?」

『はぁ、じゃないよ、はぁじゃ。そこの男に気が付かれずに近づけたの、あたしが貸した「力」のおかげだっての忘れてるのぉ? 血を拭ってあたしが触れやすくするくらい、代価としては安いもんだと思うけどぉ?』

「……ちっ」


 暗かったとはいえ、扉から入り近づいた俺に豚が気付かなかった。俺の忍び足が上手かったからだとは思えない。よく分からないがこの女の何かしらの力が働いたのは間違いないようだ。

 俺はベッドの上に横たわる少女に視線を向けた。今はとにかく、何でもいいから、早く一人になりたかった。

 シーツを剥がし男の首にあてがい血を吸い込ませる。あらかた拭い終えると、『そっちの子の魂はずいぶんきれいだから持ってく意味ないし、安心していいよ』男の死体に近づいたトワリはそう言った。


『さて。ここからはあたしのお仕事お仕事』


 男の胸に手を当て文字を描くよう指を滑らせる。半開きにした唇を心臓の近くに近づけると、すうっと大きく息を吸い込んだ。

 一瞬。ストロボのような眩い光が部屋を照らす。拡がったその光は波打ちトワリの口元へと収斂しゅうれんしていき――『んっ』と口を閉じると、光は何もなかったかのように消えうせた。


「……なにしたんだ」

『ん、魂をね、ここから裁考さいこうの広間に運んだの』


 彼女は自らの喉を人差し指でくいっと押すと、妖艶な笑みを浮かべ、ぺろりと唇をひと舐めした。


『ねぇ。それよりさ。まだ、誰か殺す?』


 絵画の一部分を切り取ったような、まるで現実味がない一幕に何も言えないでいると、『やば。誰か来たっ⁉』

 突然、死神はパッと扉の方を見て慌てた。そして和服の袖から細い糸を取り出し、宙に向けてひょいと輪っかを作ると、『んじゃ。またねっ!』と言って体を輪っかの中へすべり込ませ、この場から姿を消してしまったのだった。


「今の……現実だった、のか?」

「さてな。ただこの世の事は全て事実で現実だ。例えそれが不可解な状況であったとしてもな。ゆえにここに殺人者がいるというのも事実だ」


 低く落ち着いた男の声が、呆気にとられていた俺を現実へと引き戻した。

 振り向く。開いた扉のところに誰かがいた。

 誰だろうか? いや誰でもいい。今この場を見られてしまった以上、なにもしないなんて選択肢は存在しないのだから。


 本能が結論を出すまでに要した時間は一秒にも満たなかった。

 壁にかけられていた小さな額縁を掴み声に投げる。もう一方の手には割れた花瓶の破片がある。姿勢を低くし床を這うように跳び、男が花瓶を避け怯んだところを狙いすまし掻っ切る。


 脳内でイメージしていた結果は、だが男の行動によってあっさりと覆される。

 まず男は飛んできた花瓶を避けるでも払うでもなく、そのまま顔面で受け止めた。割れ散った花瓶の破片を避けるために俺の軌道がほんの少し逸れるのを見透かして足を払った。

 バランスを崩した俺の手は男に届くことはなく、逆に男の前蹴りは俺を吹き飛ばすのに十分だった。

 ベッドの角に背をうち一瞬呼吸が止まる。しばらくして、強く鈍い痛みがみぞおちから全身に広がり、動くこともままならなくなった。


「いきなり殺しにかかるとはさすがの私も驚きだ。どうやら素質はありそうだな」


 痛みを堪えつつ男を見る。ベッドの上の少女、それから壁際に斃れている死体を触って何かを見聞しているようだった。


「ふむ。死んで当然の男でいつか誰かに殺される妥当とは思っていたが、まさかこんな年端もいかぬ子供にされるとは思ってもみなかった」

「……あん、た、だれだ」


 口を開くだけで胃がきゅっと縮小し激しい痛みをもらたすが、何とか疑問を口にする。

「私は多々羅二蝋。殺し屋という仕事を生業なりわいにしている」

「ころし、や……」

「そうだ。そこの男が客に対して少々横着な、簡単に言えば強請ゆすりをしたものだから「あちら側」の方面から依頼があってね」


 ここの客に財政界や経済界の大物もいたのは知っている。


「私は彼を事故死させるためにきたわけだが……どうやら手間が省けたようだ」


 月明かりの薄い光りが男の表情を照らし出した。まるで死神のように薄く冷たい目をしていた。

 死神? いや。死神でももう少し生気がある眼をしてた。


「……?」


 薄く笑った俺を、男は不思議に思ったのか片方の眉を上げた。

「これは貴様一人でやったのか」男が質問してきた。本当にただ疑問を投げてきただけのようで、その声色に特別なものはない。

 一応「死神の力を借りて」やったわけだが、正直に言う必要はないと思った。そもそも説明しても信じて貰えるかは怪しいものである。

「ああ。そうだ」だからシンプルな答えを返すに留めた。


「ふむ」


 男は顎に手を当て一つ頷くと、それっきり黙り込んで何かを考えるかのように部屋を周りはじめた。

 壁にかけられた古い時計がかちかちと秒針を鳴らしている。五分くらい経っただろうか。みぞおちから広がる鈍痛も収まったころ、男が質問を投げてきた。


「貴様。これからどうするつもりだ」

「どうする、って? なにが」

「このままここで灰のようになるまで暮らしていくか、自首するか、後悔に満ちたまま命を絶つか、どの道を選ぶのかと聞いた」

「……」

「一つアドバイスをくれてやるが、幾つかのルートに手を回してここの情報が警察に漏れるよう手配してある。居ついても長くは持たないだろう。つまり最初の選択肢と最後の選択肢はほぼ同じということになる」

「じゃあ二番目のしかないじゃないか」

「その通りだ。そして自首させるという選択肢はこの私が消すことになる」

「つまりぼくはどうあってもここで死ぬってわけか」

「そうだ。クソ溜で生きていた貴様はここで死ぬ」


 諦めの薄い笑いが口を歪めさせた。

 まあ。それもいいかもしれない。もう、生きる目的も失ったのだから。


「だが殺意を形に変えられる貴様のその力は、貴様を生かすこともできるだろう」


 殺し屋の男が、意味の分からない言葉を吐いたので、俺は下に向けていた顔を上げた。


「私のところへ来い。殺し屋スイーパーとして生きる術を教えてやる」

「……殺し、屋……?」

「そうだ。今のお前はここで死ぬ。名を捨て、過去を捨て、新たな名を得て新たな道を生きろ」


 思ってもみなかった道が開かれた。


「ぼくは殺されないのか」

「そうだ」

「ぼくはこれからクソ野郎を殺して生きていけるのか?」

「そうだ」

「もし嫌だと言ったら」

「今いる場所がクソ溜から地獄に変わるだけだ」


 なら迷うことはない。もうここは地獄なのだ。


「そういえば死神も来たしな」

「なに?」

「いや。何でもない。連れてってくれ。ぼくを、俺を地獄に」


 男は一瞬何か言いかけたが、フッと口を歪め笑うと手を差し出した。


「まずはその口の利き方から調整してやるとしよう。貴様、名は」

「……ヤヒロ。八尋だ」


 間接的に彼女を殺すことになった男の手を、俺は握り返し立ち上がった。


 君を殺した男は死んだ。でも君を殺した原因はまだ世界に漂い続けてる。

 だから君が死ぬことになった原因を全て消そう。そしていつかそっちへいこう。例えこの肉体が滅んだとしても。


 男に連れられ屋敷を出る。中にスタッフや児童らはいるはずだったが、まるで誰もいないかのように静まり返っていて、誰かに見られることはなかった。

 くるぶしまで伸びた草が生い茂る広場へ出たとき、俺は振り返った。

 誰もいない。月明かりで伸びた影が二つ揺れているだけだった。

 あの死神はまた来るだろうか。いや。来る気がする。またね、と言ったのだから。

 あの力はこれから必要になる。利用しよう。使えるもの全てを。


 止んでいた雨がまた降り始めていた。ぴちゃっと、濡れた地面を踏む音が先へ進んだのに気付いて、俺は歩みを再開する。

 ヤニの匂いが身体に擦りついて消えなかった。降りはじめた雨が流してくれるかもしれないと期待したが、小雨ではそれも無理のように思えた。


 自らについたヤニの匂いで嘔吐したのは、敷地から一歩踏み出したときだった。

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