03 ナチュラルリーパー

 午後の授業が終わり放課後になった。

 日直の見谷はホームルームのあと提出物を集めていたが、彼女に付きまとうクスクスという笑い声を聞けば、進捗があまり芳しくないのはすぐに分かる。

 しかし俺には関係なく、嘲笑を背にいつもと同じように教室を出た。


 帰り道の坂を下っているときにトイレの電球が切れていたのを思い出し、電車で大手電化店がある駅で降りる。大型電化店のテレビ販売ブースを通りかかったとき、キャスターが喋っているのが耳に入ってきた。


「殺し方がね。自然なんですよ。その場にあるもので殺す……完全にそっちのプロです。僕が個人的なルートで聞いた話じゃ凶器から犯人を特定する手がかりが得られず、警察も捜査が難航してるって話です。捜査本部じゃ自然な死神ナチュラルリーパーなんてコードネームで呼ばれているらしいですよ」


 したり顔でそんなことを言っている。


「俺が死神、ね……? ま、本物の死神ってやつを見たことがないから言えるんだろうけど」

『ねぇ、早く買い物済ませて? あたしお腹減ったんですけどぉ?』


 に立っていた和装の少女が、少々の非難を籠めた口調で話しかけてきた。


『あたし、今日なーんにも栄養摂ってない系なんですけお』


 トロンと間延びした発声。男なら気にせずにいられなくなるだろう独特の甘いイントネーション。 片手で髪をかき上げると、限りなく白銀に近い青髪がふわりとなびき、端正な顔が露わになる。

 少しつり上がった切れ目の瞳。すっと通った鼻筋に薄い唇。それらが小顔にこれ以上ないというくらいぴったりマッチしている。当時のような白い肌が、印象的な紅い瞳と唇を強調している。

 まるで芸術家が命を削り創ったかのような造形美。


『ねぇねぇ聞いてる八尋? トワリさんはーお腹が減ったと言っているんですぞー』

「るせぇ。ちょっと待ってろ」


 俺の声に反応した店員が、ちらりとこちらを見た。

 不穏な言葉を発した相手が学生のだと分ってすぐに興味を失ったようで、近くに来た男性客に向き直った。


『はいはい。じゃあ早く終わらせてね。魂のノルマだってあるんだから』


 トワリと名乗ったその芸術品は、頬をぷくっと膨らませ、端正な顔つきに相応しない甘くくかったるそうな声を出すと、黒と赤を基調とした着物の長い袖をふらふら振り回しくるくると俺の周りをまわり始めた。

 着物と違うのは腰にかけて大きくスリットが入っており、太腿が露わになっていることだ。

 微妙に目のやり場に困るのだが、彼女は気にする様子も無くくるくる回り続け、やがて店員と男性客の間に割って入っていった。しかしその二人はまるで何もないかのように商品について話している。


 彼らだけではない。コスプレのような格好は確実に衆目を集めるはずなのだが、視界にいる他の客は、誰一人として、彼女を見ていなかった。

 彼女はぴょんと跳ねると簡単に店員の頭上を飛び越え俺の目の前に立った。

 それでも誰もそれに注視しない。


 当然だ。のだから。


『まだ? もう一〇秒もお待ちしたんだケド?』

「知るか。何も買わんぞ」


 呆れた身体能力を目の当たりにし思わず声に出してしまう。

 案の定、店員と客が不審な目でこちらに視線を向けた。

 しまった。注目されるのはまずい。

 俺はそそくさと売り場を後にし、目的の物を購入するとさっさと店を後にした。



    *******



 電車を乗り継ぎ目的の駅で降りる。住んでいるマンションは駅から歩いて一〇分ほど。小高い立地は閑静な住宅街となっており住むには良好だ。


 ちなみに国道一本隔てた向こう側は風俗街で有名な場所である。まだ午後六時になったところなので今はそれほどでもないが、ここから深夜にかけて段々と騒がしくなる。

 住宅街が静だとしたらあちらは動。世界を分けている境界線が一本の道というのが何とも言えず、奇妙な立地にも関わらず結構気に入っている。

 一度坂を下りると次は緩やかな登り坂になる。左右にある住宅の軒には大きな木がいくつも植えられていて、同期に一歩先駆けて生まれたセミが鳴き始めていた。


「さてどうすっかな」

『今日のご飯? あたしは唐揚げがいいなぁ』

「いや飯の事は言ってねえっつの」


 目の前にひょいと現れたトワリを一瞥する。


『あはは。お昼にデートした子について考えてたんでしょ?』

「あれがデートに見えたのか。お前の頭は飾りか。それともその頭に付けてる花はお前の頭のお花畑から刈り取ってきたのか?」

『あいかわず回りくどい言い方ー! ひっどーい言い方ー! ヤヒロ、だからクラスでも孤立してんじゃん』

「別に気にしてない」

『はぁ。そんなんじゃ女の子にキモチ伝わらないよぉ?』

「おお。バカにしてるのが伝われば十分だな?」


 周りに誰もいないのを確認してから言ってやった。


『花なら死神の世界にもたくさん咲いてるし』

「へぇ、そうなのか?」

『うん。結構きれいな場所なんだよ。どこの道にも必ず何かの花が咲いてる。罪人へのはなむけって意味もあるみたい』

「もっと毒々しい場所を想像してたが、意外だ」

「でしょ。あ、でも赤いのしかない。どれも罪人の血を吸って真っ赤に染まってるから』


 想像してちょっと眉をひそめた。それ、地面に死体が埋まってるってことでは……。


『うう、ちょっと思い出しちゃった』

「いや言った本人が蒼い顔してんじゃねぇよ……」


 蒼ざめた少女に溜息を投げつけた。

 こいつ何者かと言われると説明に迷う存在だが、俗に言う死神……という存在らしい。

 らしい、というのはまず俺にしか見えず第三者には声も聞こえていないため確認することが不可能だからだ。


『だって血苦手だし。体質だし仕方ないし』

「いつも思うんだが血が苦手な死神ってどうなんだ?」

『どうって……人は殺せないし死んでる現場を見るだけで吐きそうになるしなんにもいいことは全くないよ?』


 そりゃそうだよなぁ? 何で死神やってんだか。

 俺はちらりと着物姿の少女を視界に入れた。

 形の良い眉を指で押さえ唇をへの字に曲げている。「むむむ」と唸っている姿は、まあ……なんというか、相応に可愛らしい。見た目の成長度合いはクラスメイトの女子らとそれほど変わらないが、容姿という点で評価すれば頭二つくらい余裕で抜けているだろう。


『ん、なに』

「……いや」


 お前いくつなの、出しそうになった言葉を飲み込んだ。トワリとの付き合いはもう四年近いが、生まれなど身辺の話を深く聞いたことはなかった。

 結局口から出たのはそれほど深く考えて出したわけではない質問だった。


「次のノルマ、まだなんだっけ?」

『ノルマ……魂の刈り取り……うん期限までまだあるから大丈夫――――じゃない! 近い! 期限近いよ⁉ なんで今期こんなにはやいの⁉ あああああああもう! やなこと思い出しちゃったじゃん! ヤヒロのばっか!』

「馬鹿とは何だ。むしろ期限前でセーフだったと思え。で、次のノルマはどれくらいなんだ?」

『ううう……。えっと……』


 トワリは着物の懐に手を入れた。その際に白い肌がちらと見えてしまい思わず目を背ける。が本人は一切気にする様子はない。しろ。


『ええっと、今期はあと二つかな。ううちょっと重い……。あ、でも魂の浄化施設はけっこうあいてるみたいだから、穢れの方の条件はないみたい。やったっ!』


 手帳のようなものを手にしぺらぺらめくっていた彼女は胸の前でぐっと拳をつくった。


「死神って言われると「死をもたらす者」っつーイメージが強いけど」

 そう聞いたのはいつだったか。薄れかけていた記憶を掘り起こす。

 そうだ。彼女がそういう存在であると認識してから暫く――出会ってから一ヵ月したころだった気がする。


『んーそうね。死んだ者の魂を既定の場所へ運ぶという仕事がほとんどよ。もちろん死をもたらす者って意味での死神も存在してるんだけど、それって権限が超高いごくごく一部の神サマなんだよね』


 記憶の中のトワリが言った。


「へぇ……死神の世界にも階級があるのか」


 記憶の中の俺が返す。


『どこの世界も同じよ。効率的にやっていこうとしたら自然とそーなるもの』

「人間とかわんねぇな」

『そりゃあね。人間と比べて肉体マテリアル精神体アストラルの構造とか色々根本的に違うけど、でも生命という存在、魂という存在の器があることには変わりないんだから』

「存在の器?」

『物に宿る最後のパーツでその存在固有のもの、っていえばいいかなぁ。人間はもちろん草木や動物にも存在してるわ。で、宿った存在の価値が終わるまでに何をしたかは魂に全部記録されていく』

「記録……つまり存在自体は継続されているってことか」

『そゆこと。そして記録の累積は、魂の色になって現れる』

「色?」

『死ぬまでに重ねた罰の量が少なければ真っ白のまま、逆に多ければ魂は黒に近づいていくわ。裁定はけっこう細かくてー……えーっと細かいところを説明しようとすると人間界でいう六法全書一〇三二冊分になっちゃうから省くけど……ってなんでじっと見てんのよ! ちゃ、ちゃんと覚えてるからしっ⁉』

「わ、わかってっての。顔ちかづけんな」


『わかったならいいわ。こほん。じゃ続き! で、黒に近づいた魂――あたしたちは焦げた魂って言ってるけど――それをそのまま次の生命に宿らせちゃうとよくないことが起きるから焦げた魂しゃ「裁考さいこうの広間」で少し時間をかけて浄化させるの。で、あたしたち死神は焦げた魂をその裁考の広間へ運ぶのがお仕事ってわけ。これでもエリートなのよ』

「へぇ」

『あんまり驚いてないね⁉ あたしたちが魂を運ぶことで世界を成り立たせてるんだよ?』

「いや突拍子もない話で実感ないし。それにエリートって言われても、死神? ってやつの職業人口がどれくらいの数いるのかにもよるだろ。何人くらいるんだ? その死神ってのは」

『一〇〇〇万人くらい』

「スゴイナータイヘンダナー」

『……なーんか引っ掛かる棒読みやめて?』


 ジト目で睨んだトワリは、それから死神の仕事の現状について説明し始めた。

 魂を運ぶ仕事だがここ一〇〇〇年くらい前から穢れた魂の量が増えすぎて、死神がオーバーワークになりつつある。そもそも「裁考さいこうの広間」に入れない魂も出てしまっているほどで、何らかの手を打たなければならなかった。


 そこで穢れそうなラインに達している魂は穢れきる前にさっさと刈り取る――つまり「殺す」――という方針が決定され、一応それなりのエリートだったトワリはその役目を行う一人に抜擢された。


 しかも与えられた仕事は、魂の中で最も重く面倒な「ヒト」を刈り取るというお役目。


 ここで認められる仕事をすれば更なる上位の存在へ進むことができる――――はずだったのだが、この自称エリートの死神トワリ、役目を担うには決定的にダメな点があった。


 それは血が苦手だということだ。

 血を流さない殺し方、例えば心臓麻痺とかがないわけではなかったが、浄化するためには穢れを内包する血を体内から吐き出させるという行為が必要だった。

 エリートダメ死神は頭を悩ませ、結果、ある存在を利用することにした。


 人でありながら人を殺すことを厭わない存在。殺し屋。

 彼らが殺したのを運べばいいのだと。


 そしてトワリが選んだのは――俺だった。

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