楽しめ、楽しめ! こんなに「 」役に 向いてる人はいない!
楽しめ、楽しめ!
こんなに「 」役に
向いてる人はいない!
人の視線、「針のむしろ」は、
自分の人生に新しい役柄が与えられたと思って楽しむ。
僕の失敗が、公にされ、会社や周りの人に知れ渡り、
それでも出勤し、仕事(残務)をしなければならない時期、
会社は、いわゆる針のむしろ、でした。
地獄でした。
発表の仕方は、よく読めばそれでもまだ慈愛に満ち、
反省を促すものでしたが、
それでも、僕の「ミス」は、
鋭く容赦なく「断罪」されていました。
それまでは、誠実で、信頼できる、実力のあるファイター、
それが僕の評価でした。
どちらかと、言えば「正義の味方」。
それが、実は「悪の手先」であったと発表されたら、
あなたは、その人のことをどう見ますか?
ご想像のとおりです。
一般のあまり僕のことを知らない人にとっては、極悪人。
ちょっと知っていた人にとっては、「一皮むけば、悪人」
あからさまではないけれど、好奇や、敵意の目を向ける人がほとんど。
会社のフロアのドアを開ける時に、足が震えたのを今でも覚えています。
でも、僕は、その時には、以前話したように、
自分の間違いを自分で認めることに決めていました。
間違いに対して、ペナルティを払うことに対しても、
堂々と立ち向かうことに決めていました。
じゃあ、どうしようか?
じゃあ、、、、、、この役を楽しもう。
そう決めました。
間違いを犯して、針のむしろにいる、
再生を期した男の役に徹してみよう。
いわゆる札付きだけど、まだ、意気を持ち続けている、
実力だったらまだ負けない、
今はくすぶっているアウトローの役はどうだろう?
いっそのこと、その役の気分で、会社に行ったら?
そして、自分に語りかけました。
楽しめ!楽しめ!
今この会社で、こんなにアウトロー役の似合う奴はいない。
発想の転換でした。
実際、そういうそぶりや、服装をして行ったわけではないですが、
好奇や敵意の視線に向き合った時は、
そう思い、自分が映画やドラマの中の主人公でいる気分で、
過ごしてみました。
これが、案外うまくいきました。
過分ではないけれど、堂々と今まで通り、
過ごすことができるようになりました。
偽悪的になれと、いうわけではなく、
辛かったら、
そうやって自分の頭をコントロールしてしまえば、
楽になるということです。
試しにやってみてください。
実は、悪意、敵意、好奇の視線が、
周りに対する自分の恐れる気持ちだったことがわかります。
役がそういう役なのですから、しょうがない、
と思って堂々とやってみてください。
逆に、楽しんでいるうちに、
「針のむしろ感覚」も薄れていきます。
針のむしろを作ったのは、実は自分の心ですから。
実際、
それまでも、そしてそれからも、
今現在まで、僕のことをわかってくれる、勇気づけてくれる人は、
実は態度を変えず接してくれていました。
それは、今思うと、たいへん勇気がある行為で、
いまさらながら彼らの友情と、
他人に対する揺るぎない価値観に感謝と敬意の念が堪えません。
彼らは「嵐が過ぎ去った」今、
あの頃の僕のことを思い出し、
「迫力増した感じで、悪かっこ良かったですよ」
と言ってくれたりします。
ちょっと今言われると、照れますね。
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