未来に不安があるということは、 今をおざなりにしている、 ということだ。

未来に不安があるということは、

今をおざなりにしている、

ということだ。

今を楽しむ、今を抱きしめる、

そうすれば、未来に不安なんか感じない。


「明日を悩んで、今日を不幸にするな」の章でもお話ししましたが、今のあなたが抱えている未来の不安と、今のあなたとの関係について、もう一度、お話したいと思います。


実は「今」「未来」「過去」への考え方が、

「絶望」や、

「絶望からの脱出」に大きくかかわっていると思えるからです。


絶望や不幸は向うから勝手にやってきます。


冷酷非情な言い方にも聞こえるでしょうが、

実は、これは人生においての真理ですよね?


もちろん、失敗や間違いから生まれた「絶望」や「不幸な状態」はあるものの、基本的には、そういった「不幸なできごと」は、

こちらが意図しない時に勝手に向うからやってきます。


だからこそ、ダメージが酷い、とも言えます。


どんな人でも、明日、不幸や絶望に陥る可能性はあります。

今日普通に暮らしているからといって、

明日もそれが続くとは限らない。


恐ろしい・・ですよね?

それは、ほとんどの人間が避けられないこと。

でも、避けられないことを、

避けようと思って生きているのが人間です。

だから、不安になる。

今日はいいけど、明日はどうかわからない。

あるいは、過去にしてしまったことに対して、

いつ不幸が訪れるのかと、びくびくしながら生きる。


僕もそうでした。

しかも、一回そういうことがあると、トラウマになります。


その事件があったあと、

しかも波のように襲ってくる不幸や絶望が続く中、

ちょっとしたことでも不安になり、

何か起こるんじゃないか?何かしてしまったんじゃないか?

と、その週にしてきたこと、来週に起こる何かに怯えて、

週末はびくびくして過ごしていたことを思い出します。

家族の手前、顔には出しませんでしたが。

(きっとそんな雰囲気は家族も気づいていたように思えます。)


でも、そんな中、

いつもと変わらず、降り注ぐ太陽の光の中、

空の青さを感じ、明るく笑って過ごす妻や娘を見た時に、

そして彼らといつものように、

食卓を囲む時に(食欲はあまりありませんでしたが)

明日への不安で真っ暗な心を抱えていることが、

実は、今この時のしあわせをないがしろにしている、

ことに気づきました。


明日何かあるかもしれない。

でも、今はたしかにしあわせを感じていられるのに、

このしあわせをちゃんと受け止めないのは、

ちょっとないんじゃないか?


せっかく、誰かが与えてくれた今日のしあわせを

「おざなり」にしているのではないか、

そんなのもったいない。


明日何か起こるかもしれない、

不幸や絶望は勝手に向うからやってくる。

でも、であればこそ、

「今しあわせ」であることを

大切にしなきゃいけないんじゃないか?

それが、実は「しあわせ」に生きるということで、

「絶望」からの脱出につながるのではないか?

これに気づいたことは、大きいと思いました。


逆にそういう気持ちがあれば、

明日何があろうと大丈夫なんじゃないか?

そう思える気持ちがいわゆる「強さ」なのではないか?

そうです、あなたが生きているのは、過去でも未来でもありません。

今、なのですから。


未来に不安があるということは、

今をおざなりにしている、ということ。

今を楽しむ、今を抱きしめる、

そうすれば、未来に不安なんか感じない。


絶望や不幸は向うから勝手にやってくる。


であれば、腹を括って今日のしあわせを精一杯受け入れる。

それを身をもって知っている人はもう無敵だとお思いますが、

いかがでしょう。


ほら、こんなにも今日の世界は、

しあわせなことで満ちていますよ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る