悲しみが大き過ぎるのなら、 いったん何もかもあきらめ、 逃げてしまうのもいい。

悲しみが大き過ぎるのなら、

いったん何もかもあきらめ、

逃げてしまうのもいい。

それは、悪でも、卑怯でもない。

また、少しして戻ってくればいい。

  

「絶望」することによって、

命を落としてしまう人がいます。


その中には、人より優しくて、勇気があって、

責任感がある人が多くいます。

だからこそ、「絶望」の中にいる自分と向き合い、

さらに「絶望」が深くなることがあります。


逆に言えば、

彼らは「弱かったから」命を落としたのではなく、

人より「自分に厳しかった」から、

そうなってしまったんだな、と心からそう思います。


でも、それは、決して「良い」ことではありません。

なぜなら、きっと、あなたがいなくなってしまうことで、

あなたと同じような「絶望」を感じる人が、

少なからず生まれるから。


たった一人きりで「絶望」と戦っているあなたにも、

今は気づいていないかもしれないけれど、

必ず「悲しませる」人がいます。

それは、もしかすると、意外な人物かもしれないし、

ちょっと抽象的な言い方になるかもしれませんが、

あなたの名前さえ知らない誰かかもしれません。


今まで生きていた限り、必ずそういう人は、あなたにもいます。


あなたは、今自分が抱えている絶望的な気持ちを、

誰か他の人にも味あわせたいと思いますか?思いませんよね。


絶望を抱えるような人は、

あるいは、今絶望を抱えているからこそ、

そういう人は他人への優しさを持っている人であることは、

以前もお話しました。


だから、決して「自分に厳しく」あろうなんてしないでください。


「絶望」や「悲しみ」への感じ方は、

人それぞれで、「絶望」自体の形も様々です。

僕よりももっともっと深い「絶望」に陥っている人も

たくさんいると思います。


もし、

そうであれば、

悲しみが、あまりにも深すぎて、

どうしていいかわからなければ、わからないほど、

自分を許して、無責任になって「悲しみ」から逃げ出してみてください。


もう、まわりのことも、これからのことも、どうでもいい。

ただ、生きているだけで、十分だろう。

あとは勝手にしろ、責任も義務もない、

是非、進んでそう思ってください。

それは、卑怯でも、なんでもありません。


実際、絶望の只中にいる時は、責任を取ったり、

義務を果たすのがつらい時なのです。だから、いいのです。

あなたは、逆に言うと無責任でいられる権利があるのです。


何もかもから逃げてしまっていい。

ただ生きてさえいれば。


命を落として、他の誰かを絶望に落とすより、まし。


全てを明るくあきらめてしまうと、

とても楽になります。


楽になってから、行動しよう。


いつ行動できるようになるか?

いつまで逃げていていいのか?

そんなことも考えなくて大丈夫です。


人によってかかる時間はさまざまですが、

今まで、人生を自分なりに(人の評価はどうでもいいです)

生きてきたのであれば、案外、早く時期は来ます。

人間はそういう風にできている、と気づく時が来ます。


悲しみが大き過ぎて、死さえも考えてしまうのならば、

いったん何もかもあきらめて、

逃げてしまうのもいい。生きてさえいればいい。


つら過ぎるならば、是非、今の瞬間から逃げてください。

この本を閉じて。


また、近い時期にお会いできるはずです。

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