ちゃんと絶望しているなら、 「絶・望」=空だから、あとは、自然と満ちるのを待つだけ。
ちゃんと絶望しているなら、
「絶・望」=空だから、あとは、自然と満ちるのを待つだけ。
ちゃんと絶望していないと、満るスペースが濁る、
「望」を自ら「空」にすることで、「何か」が満ちてくる。
「捨つれば満る」という有名な禅の言葉があります。
本質的な意味とは若干違うかもしれないけれど、
僕がここで言いたいことは、その言葉に全てが現れています。
普通にしあわせに生活している、
あるいはほんとは、しあわせに生活しているのに、普通に暮らしていると思っている人には、あまりリアリティのない言葉かもしれません。
そういう人たちには、やろうと思ってもなかなかできないこと、
それが「望」を絶つこと、「捨てる」ことだからです。
「満る」ことができるのは、ちゃんと「捨てた」人だけ。
中途半端に「失望」を「絶望」に感じている人、
「絶望」の残骸を抱えている人には、それができない。
望の塵が舞っていて、澄んだ「空」がないから。
でも、「絶望」の中にいるあなたは、
もうほとんど捨てる気持ちができているはず。
捨てる気なんて、毛頭なかったのに、無理矢理引きはがされて、
もう「望」は「絶」えてしまったのですから。
つまり「望」が空の状態。
空であると、そして生きていると、空のものに、何かが満ちてくるのは自然の摂理です。水は高いところから低いところに流れるように。
息を吐いたら吸うように。
本当に望が絶えた時が、新しい空気を入れるチャンスなのです。
ちゃんと「望」を「絶」しないで、「絶望」という概念をもて余しているのではなく、ちゃんと絶望して、もう胸の中に何もない人は、自分でも気づかないけれど、清々しい顔をしているものです。
僕もさきほどの章でお話したように「間違いを自分で認める」こと、
「ダメな自分を捨てる」ことによって(それはまた後の章でお話します)、新しい「自分」になるチャンスを得ました。
ちゃんと絶望していないと、満るスペースが濁る。
「望」を自ら「空」にすることで、「何か」が満ちてくる。
人間はそういう風にできている。
それを拒絶しては損です。
思い切って、自分の中の「中途半端な望み」を捨ててみれば、
どれだけ、気持ちいいか、たぶん、わかると思います。
そこから、本当の「望」、希望が満ちてきます。
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