ダメな自分を捨てる勇気ー後書きに代えて

後書きに代えて~

ダメな自分を

捨てる勇気。


「ダメな自分を捨てる勇気を持ち、人生に立ち向かう。」

審判の時。

恐怖、悲しみ、自分の間違い・絶望に立ち向かう勇気が、

生きる力になる。


以前の章で

「自分の間違いを認めないから不幸になる」というお話をしました。

実際、

僕は自分の間違い全てを「審判の日」前日に認めることに決めていたことも。

そして、それによって、自分の人生を取り戻すことができたことも。

でも、それには実はきっかけがありました。

それは、「ある勇気」との邂逅でした。


最後にもう一度言っておかなければならないことですが、

僕は間違いを犯しました。

人によっては、それはしょうがなかったこと、

運がなかったのだ、と言ってくれる人もいます、

でも、それは違います。

間違いを犯したことは事実。

状況がどうであれ、それは確固たる事実です。

間違いには、審判が開かれ、罰せられる、

それが現代社会における約束です。


僕にも審判の日の前日が来ました。

それは、いまだ思い出すたびに震えがくる、

激しく「恐ろしい」ことでした。


万策尽きてはいましたが、

(審判は、自分の気持ちや行動とは関係なくクールに事実のみを捉え進んでいきます。実際僕は、調査段階から、その審判の決裁に至るまでの詳しいプロセスは知り得ませんでした。僕には間違いを犯したという事実があるだけ)

はっきりいって狡いと思われようが、卑怯だと言われようが、自分と家族を守るために、審判がある日に向けて、僕は、たくさんの状況証拠とそれを論破する言い訳、理論武装、証言をかき集めて、その日に臨むつもりでした。

少しでも、少しでも自分を有利におくように。

自分が傷、つかないように。


これは「戦い」だ。そんなことさえ思いました。

よし、これなら、自分の間違いを少しでも過小に見えるようにできるだろう。

そんなことを胸に、審判の日を待っていました。

でも、僕は、それこそが、

「間違い」であったことに気づきました。

「間違い」や「運命」「自分の人生」を誤魔化すことや、

うまく避けることではなく、受け入れることこそが、

自分の人生をしっかりと生き続けることであることに気づきました。

そのきっかけは、

まさしくその審判の前々日に届いた急な訃報でした。


それは、詳しく書くことはできませんが、僕が非常に親しくしている親戚の奥さんの訃報でした。まだ50歳。もう何年も、癌と戦い続けていました。

ここ数年、復調の兆しがあり、その1年前の僕の母の葬式にも不自由な体を忍て(癌の転移のために、片足首を切断されていました)参列し、柔らかな慈愛に満ちた表情で、僕を慰めてくれていました。色々な不利な条件の中で、僕の親戚と結婚したこともあり、ある意味肩身が狭いことは、僕ら周りはなんとなく感じていましたが、それでもいつも笑顔を絶やさず、控えめながらも、周りのみんなのために心を配る、そんな人でした。

そんな人が、50歳で亡くなりました。


彼女には、まだ12歳の息子がいました。

どんなにくやしかっただろう?これから、息子が大きくなり、なんとなく生意気になって、思春期になり、恋なんかしたり、進学、結婚・・それをどんなにその目で見たかっただろう・・そういえば、母の葬式に一緒に来てくれたあの子は、どんなに自分のお母さんが亡くなって悲しいだろう・・そんなことを思いながら、審判の日を明日に控えたぼろぼろの心のまま、仕事を抜け出し、その斎場に向いました。自分の心の渦中にあの「絶望」を抱えたまま、明日にその審判が下るという嵐を抱えたまま。


斎場での、お決まりのセレモニーはむしろ、自分の母の時に思い知ったよりも、おざなりで、他人の死に馴れ切っている事務職人の流れ作業の中、親類一同の席、肩を落とし切った僕の親戚の隣に、その少年は居ました。

堂々と前を向いて祭壇を見つめて。


僕や、僕の妻はその健気な姿を見ているだけで、涙が出ました。

自分や、自分の夫がこれから、絶望の嵐に巻き込まれるという事実など忘れて。


お坊さんの話はとおりいっぺんの「あの世」の話、亡くなった個人のことなど知りもしない人の一般論、お説教、僕は腹が立って仕方ありませんでした。

どんな個性も、どんな人生の死もいっしょくたにしてしまうビジネスライクさが。

そして、そのお坊さんはまるで、「食事ができました」というのと同じ口調で、言ったのです。

「さぁ、それでは、最後にお顔を拝見したい方、これが最後ですので、どうぞ」


何人かの親類、僕の親戚がためらいながらも、立ち上がり、彼女といわゆる最後のお別れをし始めました。まわりの目は、その少年に集まりました。

一番、お別れをしたいのは、あなたでしょう?と。


彼は立ち上がりませんでした。

一年前、最愛の母を亡くした僕には彼の気持ちがわかりました。

最後のお別れってなんだ?お別れなんかしたくないのに。お別れのために一目顔を見たら、また見たくなって、何回でも何回でも見たくなって、しょうがないじゃないか!

本当は、いつまでもいつまでも、その顔を見ていたいんだ。だから・・


それでも、周りに即され、彼はしぶしぶ立ち上がりました。


彼は棺桶のそばに行き、ちらっと、一目だけ、強く一目だけ見て、目をつぶり小さく息を吐いた後、怒ったような顔をして、堂々とこちらの席に戻ってきました。

もう、見た、一瞬でも焼き付けた、だから何度も、見なくてもいい。

ちゃんと、お別れしたんだ。

彼の瞳に涙はありませんでした。


お坊さんや、周りのおせっかいな親類は、もっと見たら、最後なんだから、と彼のことをおもんぱかって、口々にそう言いましたが、彼は目をつぶったまま動きませんでした。


僕は、この時、その小さな少年の中に「自分の悲しさ」と「人生の事実」に立ち向かう勇気を見たのです。


まだ12歳です。

母親が死んだことは、世界の終りにも匹敵する悲しみです。でも、それが、彼に与えられた事実です。でも、彼は、それを堂々と受け入れる覚悟をしているのです。

12歳の少年が。


きっと、闘病生活の中で、彼女は言葉を尽くして、彼にそのことを話したのかもしれません。どうしようもないこともある、でもきっとそれは、受け入れることで、永遠の中に閉じ込めることもできる、、

詩や文学が好きな聡明な女性でしたから、

きっと彼女は彼女の言葉で

自分の息子に自分の人生の意味を教えていたのだと思います。


12歳の少年が、小さな体と心を鼓舞して、

自分の人生を受け入れようとしている。

ありったけの勇気で、母の死、自分の人生に立ち向かおうとしている。


僕は、自分の「間違い」を認める勇気さえない。


彼に比べたら、取るに足らない「恐怖」を、ちゃんと立ち向かうこともせずにごまかしている、「勇気」のない50前の男、それが僕だ。


「間違い・失敗」を正当化するために、

策を弄すのは「戦い」じゃない。

自分の人生に立ち向かう勇気がないから、

立ち向かう前にうろうろしているだけなんじゃないか?

そう思った時、全てを決めました。

明日は、彼にもらった「勇気」を胸に、

堂々と「間違い」を認めに行こう、

ダメな自分を捨てる勇気を持って、

自分の人生に立ち向かおうと。


「絶望」に陥っているあなたにも、

傷ついているあなたにも、その勇気を持ってほしい。


それは、僕のようなきっかけを持たなくても、できるはずです。


ニュースやドキュメンタリー、本やネットを見るだけでも、それはわかるはず。

世の中には、実はそういう勇気を持った人がたくさんいる。

災害や不慮の事故、病気、僕などのように自ら何も間違いを犯していないのに、

不幸な運命に立ち向かっている人はたくさんいます。

世界はこんなにも、

許せない、憤らずにはいられない不運や不幸が渦巻いているのに、

それを受け入れ立ち向かっている人は、たくさんたくさんいるのです。


その勇気を是非、追体験して、自分のものにしてほしい。


「絶望」の中にいるあなただから、

その勇気を感じる力は普通の人よりある。


だからこそ、「絶望」に陥る前には、

手に入れることも考えつかなかった、

自分の人生に立ち向かう勇気をものにしてほしい。


あなたが「絶望」に立ち向かっていくその「勇気」が、

また別の人の勇気になるのだから。


あなたは、もう大丈夫、

また、どこかで会いましょう、笑って。


kissho

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絶望の治し方~絶望サラリーマンがあなたに書いた言葉 KISSHO @kissho

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