「底」を知る気持ち良さ。

「底」を知る気持ちよさ。

落ちる、という恐怖から、底を知る自覚へ、

カムバックするという目標へ。

そのピンチを楽しめ!

それは、他の人にはできない

「あなただけの」経験なのだから。


さて、今、あなたは「絶望」を抱えているかもしれませんが、こんな絶望、今まであったでしょうか?


あった。というあなたは、ある程度は、その「絶望」というものの捉え方をわかっていると思えます。(それでも、これを読んでくださってありがとうございます)そうであれば、今絶望を抱えている状況が、自分の人生の「底」であるという感覚をよく理解できるのではないでしょうか?


でも、今回が人生で最初の絶望であるように思えるあなたにとってはいささか、あなたの人生は今「底」である、とう言葉には、恐怖や、抵抗、耐え難い侮辱を感じるかもしれませんね。


でも、物は考えよう。

じっと、この文字を読んでみてください。

「あなたの人生は、今、底である。」


怖いですか?侮辱を感じますか?

違うと思います。結構すんなり受け入れられませんか?

堂々ときっぱり文字にしてみると。


なんだか、不思議に明るい希望を感じてきませんか?


底であるということを意識して自覚してみると

案外客観的な気分になります。


そして、このくらいが「底」だったら、

なんだかまだツイているんじゃないか?

なんて思えたあなたは、

僕より、もっと「絶望」からの脱出が早い方かもしれませんね。


底を知るというのは、実は、

自覚してしまえば案外気持ちの良いものなんですね。

いい意味で、客観的に「底にいること」を知る。

さっぱりと。

もう、ここまで来たら、しょうがないや、という感じで。


実は、底だと自覚すればするほど、上が見えてくる。

ファイトが湧いてくる。

底だからこそ、見るところは上しかないんですね。

上を見上げるしか、見るところがない。


僕も「あ~、これが、人生の底なんだ」と思った時、

逆になんだか気が楽になってしまいました。


だって、あとは、上を見て、少しづつ登っていけばいい。

下に行くことは、たぶん、もうない。

(僕の場合は、それでも底が若干まだあって、おっと!びっくりしたのですけど、それでも、一回「底を自覚する」と、後ちょっとぐらい下がったって、同じだ、と結構開き直れるものなんです。)


落ちている時は苦しいです。

落ちること自体が激しく苦しく、痛い。

でも、落ちてしまえば、そして落ちてしまったことを自覚すると、

なんだか心が「シン」としてすっきりしてしまうものです。


真っ逆さまに落ちた井戸の中で、

上を見上げて空と太陽の光を見るように。


じたばたしてもしょうがない、

あとはどうやって登ろうか、ゆっくり考えてみよう、この静かな空間で、・・なんて考えるようになります。


逆に自覚しないで、

底は嫌だ、自分は底なんかにいるのではない、

とじたばたすると、上から差してくる太陽の光は見えません。

腹を括って、自分は今「底」にいるのだと自覚してみましょう。


それに、そんな経験は、人生ではあまりないのですから、

きっとあなたを強くする良い体験になります。


あえて、「人生の底を知る」経験を楽しんでみたらどうでしょう。


案外、すぐに「底」から上がって行き、近い将来、そんなことも笑い話になる日が来てしまいますから、今、是非、底を知る楽しさを感じてみてください。


その経験は、新しいあなたの人生への価値観を産み、

生きる技術も得ることになると思います。

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