3日の法則を自分で決める。 何があっても、3日はしあわせでいよう。
3日の法則を自分で決める。
何があっても、3日はしあわせでいよう。
その後、1日また悩もう。
~死ぬ気が失せる、救急処置。
この文章を読んでいて、一時は勇気づけられたり、
よし、がんばろうなどと思ってみたりするけれど、
ちょっと、一人きりになると、
ふとした瞬間にまた、
不安と絶望が波のように押し寄せる、
そして、その波にまたからめとられてしまう。
そんな一時一時の繰り返しが1日に何度も訪れる、
そんなことを今、感じていますよね?
実は、僕も、そうでした。
色々な方法で、「絶望」から抜け出そうとして、
あらゆることを試みるのですが
(物理的なことや、経済的なことも含めて)
一時的に絶望から抜け出せた気がするけれど、
ふとした瞬間に頭をよぎるのは、
未来への不安、過去への後悔、絶望感、
こんなことが繰り返されるなら、
いっそ、いっそ・・・そう思ったことが、何回もありました。
その頃、僕の間違い・失敗は知れ渡り、
調査・尋問が行われている最中で、
僕は、その「審判の日」の期日を知らされないまま、
「間違い」に対する沙汰を、ただ戦々恐々として、
待つばかりの日々を送っていました。
いつ、いつ、今まで経験したことない不利で不幸な状況は始まるのか?
それを気にしながらも、前向きに「絶望感」を払しょくするように、
様々なことにトライをしていた日々でした。
(今、その時の自分のことを想うと自分が愛しくて涙が出ます。
今では誇らしい思い出でもあります。)
でも、ちょっと希望を持ったと思ったら、また絶望や不安が押し寄せる。
その度に胸が抉られるような気持ちになる・・・どうしようもない。
その時に、自然発生的に思いついたのが、この方法でした。
この方法は、とっても明るくて、とってもポジティブで、
すぐにできる救急処置なのですが、
実はその原因となったのは深刻な「死への渇望」でした。
「希望」と「絶望」のいったりきたりの波が一番きつい。
明るい処方を明るく書いていますが、経験者ならわかると思います。
実は、この波が一番きつい、ですよね。
僕もこの波を経験した時、正直「死のう」と思っていました。
ただ、僕がラッキーだったのは、僕が若干人より「イラチ」であり、あまり性格の良くない人間であったこと、です。
正直、あまりその波がしつこく押し寄せるので、
「むかついて」「面倒臭く」なって、決めたのです、
「もう、この波、いいや!」って。
そして、「開きなおってやろう、3日間だけは、何も起こらない、自分はしあわせだと思い続けてやろう」と。
後は野となれ花となれ。
3日だけ、はしあわせだと勝手に決めた。
あとは、どうにでも、なれ!
そう決めて過ごした3日間は、ものすごくしあわせでした。
前述した「細かい悩みを作る」や「日々のしあわせの見つけ方」という考え方と相まって、「絶望」への脱出の糸口を見つけた3日間でした。
不安や絶望を感じるのは、どうやったって、自分の頭です。
それがつらいなら、やめてしまう、ということです。
大体「絶望」の深い人は、人にも自分にも責任感がある人です。
たとえば、どうせ「死ぬ」という無責任な行為が、この先待っているなら、無責任に「悩むこと」「考えてしまうこと」を放り投げてやめてしまえばいいのです。
実際、この時の僕は、家庭や会社、健康などなど、
絶対的不利で壊滅的な状態におちいる寸前で、
対応しなければならないことが山ほどあったのですが、
全部放り投げて、「悩むこと」「考えること」をやめてしまいました。
(実は、そんなことで、周りに迷惑なんて、これっぽっちもかかりません、本質的には。死んでしまうことの方がよっぽどです。)
そして、3日たつと、
波の数が少しづつ少なくなっていることに気づきました。
じゃあ、もう3日、、、自分に甘い僕はそう考えました。
でも、一応人並みにものを考えたりもするので、
「でも1日ぐらいはちゃんと悩んでやろう」と1日たっぷり悩む日を作りました。そしてまた3日しあわせに過ごす、そしてまた1日、、
人間というのは不思議なもので、楽な方になびく、
気付いたら、1日悩む日が面倒臭くなり、
「わざわざ自分で悩むのは、やめよう。どうせ、不幸は向うから勝手にやってくる」と完全開き直り状態になり・・・・・今に至ります。
不幸の状態、状況は現実社会には、確かに起こります。
でも、であれば、現実逃避と言われようが、
「自分の頭の中だけは、悩みから逃避した状態」を作る方が、
よっぽど、結果的にはいい方向に向かいます。
断言します。
死ぬぐらいの無責任な覚悟があるのなら、
誰に何を言われようが、状況がどうなろうが、
無責任に「悩み」を放り出し、しあわせだと思いこむことが、
「絶望」からの脱出につながります。
ここで大切なのは「頭の楽」はいいけれど、
飲酒や性欲などの「快楽」に逃げないこと、
それは、頭が逃げていることにならないから。
頭が、快楽を欲しがる方向に向かうから。
快楽を欲しがり、頭を欲で満たすのではなく、頭を楽にするのです。
欲でいっぱいになった頭は、悩みでいっぱいになった頭と一緒です。
また違う波が訪れます。それは恐ろしい。
(実は、それも、この時期以前に僕は経験しています。その事はまた機会があればお話しします)
何があっても、3日はしあわせでいよう。
その後、1日また悩もう。
日々のあたりまえのことで、
しあわせになれるということは、既にご存知ですよね。
(楽にする方法、しあわせを感じるコツは、
前の章にも書いてありますよね)
さぁ、明日から、無責任なって、
3日だけ、しあわせだと思って過ごしましょう。
もちろん、今日から、始めてかまいません。
なんにもせずに、
本を読んだり、歩いたり、食べたり、話したり、
今から、3日と、ちょっとだけ、しあわせに過ごしてみてください。
きっと、思ったより早く、
あなたは「絶望」から、自由になれるはずです。
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