私には「傷」という勲章がある

私には「傷」という、

勲章がある。


自分が経験した

「絶望」「挫折」「傷」を誇らしく思ってください。

あなたはそういう経験のない隣の誰かよりも、

強く、優しくなっているのです。


「絶望」に落ちて、

自分はもうダメな人間だと思う必要は、

何回も言っていますが、まったくありません。

逆に、絶望の中にいる、傷つけられた、

傷ついたと感じているあなたは、

まわりの誰よりも特別な人間であると感じてください。


そういう経験は、やろうと思ったって、

誰にでもできることではないし、

絶望したことや、傷ついたことは、

必ずあなたの人生の「役」にたちます。


たとえば、他の章でも話したように、

自分という人間を客観的に見れる能力を持つ、

だからこそ、人の気持ちを大切にするようになる、

本当のしあわせを見つける能力を得る、

自分の間違いを認め堂々と自分をさらけ出す勇気さえも、あなたは今自分のものにしようといているのです。


もし、今絶望の中にいなかったら、

酷く傷ついたという経験がなかったら、

あなたは、そのチャンスを逃してしまったかもしれません。


実際、そういう経験がなければ、人間は変われません、

あるいは本当の自分になんて気付かないものなのではないでしょうか?


であれば、ちょっと不遜かもしれないですが、

そういう経験のない人よりも、

自分は「傷」という勲章があるんだ、

と思ってみたらどうでしょう。


あの上手くやっている人よりも、

平平凡凡と毎日をつつがなくすごしているあの人よりも、傷つくことを恐れて、自分を騙し、人を欺いている人よりも、

あなたには「絶望」という経験がある。

つらい想いを乗り越え、

なんとか生きてきた経験と自信がある。

それは年収よりも、地位よりも、対外的な信用よりも、

誰にでも誇れるものなのです。


僕は、たくさんの心理学の本や、哲学、

自己啓発の本を読んできましたが、

惜しいな、と思うことが多々ありました。


それは、とってもいいことを論じたり、

示唆してくれたりしている学者さんや識者の中には、どう読んでも、どう見ても、「僕より傷ついていない人生」を歩んできた人が結構いたことです。


真理や論点、示唆は十分的を得ていても、

そういう人達の言葉はどうも入ってこない。途中で馬鹿らしくなって、本を投げ捨てたこともありました・・とはいえ、自分はいい大学を出て、挫折もせずに「悩んでいる人」や「絶望」の中にいる人を臨床して、あーだこーだ言っているだけじゃん、、、、なんて思いました。

あえて、著述の中でそれに触れなかった方もいるでしょうが、そういうのが、あるのかないのかは、文章から滲みでてくるものです。

逆に頼りになったのは、

ちゃんと自分で絶望や挫折を経験して、

自らを臨床することによって、

言葉を紡いでいる方々の著述でした。

その方たちは、誇張をせずに、

シンプルに自分には「傷」があることを告白していました。そのことによって、その人たちの発する言葉は、生命を持ち、僕の頭と胸の中に入ってきました。


・・あなたも、既にそういった人たちの中の一人です。


自分が経験した「絶望」「挫折」「傷」を誇らしく思ってください。

あなたはそういう経験のない誰かよりも、強く、優しくなっているのです。


「絶望」した人は、

「絶望」していない人より強い。


追い込まれたから、道がなくなるのではなく、追い込まれたからこそ、道が見えてくる。

そういう場所に自分が、今いるということを誇りに思っていいのです。

胸を張りましょう!

あなたには「傷」という勲章がある!

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