第10話
おそらく、俺たちは正しく動けたと思う。
誰もがやるべきことをやれたと思う。ホセは時間を稼いだ。ひとりでドラゴンの正面に立ち、危険を引受けた。それで十分だった。
ホセがいよいよアホだったのは、その後だ。
「ダイジョーブ」
ドラゴンによって殴り倒されたホセは、ほとんど瞬時に体勢を立て直して立ち上がった。そして砕けた盾の欠片をドラゴンの鼻先に投げつけながら、前へ走った。この野郎、やっぱり走れるじゃないか。
「優越種族のリアルな凄さ、テメーらもよく見ておくがいいです」
そして、折れていない右の前脚に飛びつく。押さえ込む。全身が震え、額に血管が浮いているのがわかった。馬鹿だ。そんなもん、長続きするはずがない。
だから俺は全力で叫んだ。
「ホセを」
本当なら、そんなことは叫ぶ必要がなかった。誰もがすでに行動を始めていた。
「助けるぞ、クソ野郎ども! あんまり助けたくねえやつだけど!」
いまが気合の見せ所だった。
最初に突っ込んだのは、杉浦だった。あいつは臆病者のうえにクソ真面目だから、最初から次の作戦通りに動こうとしていたのだろう。背後から全速力で近づき、傷ついた左後脚をさらに深く切り裂いている。
あまりにも深かったものだから、ついに剣がへし折れて破片が跳ねた。
「こんなときに――」
杉浦が舌打ちを残し、転がるように離脱する。
しかしそれで良かった。がくん、と、ドラゴンが明らかにバランスを崩すのがわかった。決定的な『あとひと押し』だったのかもしれない。左足が途中でへし折れ、自重によって潰れる。
耳障りなドラゴンの悲鳴。
もはや尻尾はない。右の前脚はホセが捕まえた。だから、胴体への攻撃も届く――俺たちは左右から迫った。特に打ち合わせをしたわけではない。それがもっとも効果的だと、なんとなくわかっていた。
左側面から、ヤスオと馬場先生。右側は俺と一鉄だった。
「ああおっ」
ヤスオが変な短い雄叫びとともに駆け込み、飛び上がった。その手には槍がある。まっすぐ、ドラゴンの腹部へ突き刺す。体重をかけるようにぶらさがると、腹部が湿った音とともに裂け、血が吹き出した。
ヤスオはそれでもなお、必死で槍の柄に力をこめようとする。傷口を、少しでも広げるためだ。
「おっ、おっ。すげっ。オレ、すげえーっ」
「こっちは――も、もう、これが限界だけど!」
同時に泣き言を言いながら馬場先生。彼の手にも槍が握られているが、ヤスオのものとはその穂先が違った。赤く発光し、火花を散らしてる。ちょうどルシールの髪の毛と瞳のようだった。
もしかしたら、それは本当の、馬場先生のなんらかの魔法だったのかもしれない。
ドラゴンの鱗に突き刺さると、赤い穂先は焦げるような煙をあげた。そのまま力強く差し込まれていく。ドラゴンが身をよじる。まだ無事だった左の翼が咄嗟に開かれ、それはまだ体重をかけて槍をねじ込もうとしていた、ヤスオの胸を直撃した。
言葉はなかった。
ヤスオの体は簡単に吹き飛ばされた。
馬場先生が何か呪いの言葉を吐きながら跳んだ。よくも間に合ったものだと思う。ヤスオの体にしがみつき、そのまま抱えこむ。二人はかなり長い距離を一緒に転がった――岩場から、その端の急斜面へ落ちるまで。
両者の姿は見えなくなった。
むろん、俺と一鉄の方も無事では済まない。
ヤスオと馬場先生の攻撃とほぼ同時、俺は剣をドラゴンの土手っ腹につき込み、引き裂いていた。岩渕一鉄は「殺す」と「クソ」を繰り返し唸りながら、破れかけた右翼に剣の一撃を加えた。決定的な一撃だった。翼はついに根元から叩き切られ、さらにドラゴンがのたうち回ったために千切れて宙を飛ぶ。
やみくもに暴れるドラゴンの巨体をかわすのは、間一髪というところだった。神経が冴え渡り、一撃離脱を心がけていた、俺にとってすら。
――岩渕一鉄は馬鹿だ。
だが、彼は岩渕一鉄なのだから仕方なかった。
二本目の剣を叩き込もうとしていた一鉄は、体当たり気味に突っ込んできたドラゴンの巨体に巻き込まれた。硬質な音が響き、その体が宙に投げ出される。転がって、繰り返し続けていた一鉄の悪態が途絶えた。
俺は慌ててそちらへ走るしかなかった。肩を押さえつける。彼はまだ起き上がろうとしていたからだ。
「どけ、ケンジ。殺すぞ」
頭から血を流しながら、岩渕一鉄は俺の腕を掴み返した。どけ、とは言うが、呼吸が荒すぎる。俺の腕を掴む手にも、明らかに力が入っていない。そもそも剣は二本とも手放してしまっている。ドラゴンの足元に転がっていた。
「お、俺様の、剣だ――持ってこい!」
俺は一鉄に殺意を覚えた。俺がみんなのことを、一鉄自身のことだって、どう思っているか知らないわけじゃないだろうが。俺の手を掴む一鉄の手が震えた。
「いいか、二本分だ。二本。きっちり、あの、クソドラゴン野郎に――」
「ホセの言うとおり。あんたアホだから、死んだほうがマシだぜ、一鉄」
俺は一鉄を抱え、押しのけるようにして岩場の影に押し込む。そのわずかな時間を稼いだのもまた、ホセと、そしてルシールだった。
ホセがドラゴンの右足を抑えていたのは、ほんの数秒に過ぎない。あっという間に力比べの均衡は崩れ、蹴飛ばされる。ルシールはその襟首を空中で掴んで受け止め、岩陰に転がした。ホセはもうどう見ても限界だった。
ルシールがそれに代わった。
束の間、ルシールはドラゴンと正面から相対した。明らかにドラゴンは、目の前の少女こそが最大の脅威だと考えていた。ドラゴンの折れていない方の鉤爪が素早く動く。フェイントだ。ルシールの赤い瞳はそれに反応すらしなかった。
ただ、赤い光が強くなった。
ドラゴンはちょうど使い物にならなくなった左後脚を潰し、へし折りながら、驚くべき跳躍力で前へ踏み出した。
ルシールに対して牙を剥き出す。ドラゴンの牙は、ルシールのものなんかよりもはるかに鋭く、太い。その一本一本が殺人的な凶器であることは、疑いようもない。
「あなたに噛まれるのは」
ルシールは、両手を上にあげた。そして、ドラゴンの牙を正面から受け止める。
「絶対に嫌」
とにかく『時間を稼ぐこと』だった。
それが自分に与えられた役割であると、彼女ですら理解していた。両手で上顎の牙を掴み、右足で下顎をおさえる。ドラゴンの噛む力と、ルシールの原理不明の異常な腕力が拮抗する。
髪の毛が赤い火花を散らし、白い息が大量に吐き出された。あるいは煙だったかもしれない。
しかし、ひとりで粘るのは無理がある。
そりゃそうだ。俺は一鉄を蹴飛ばし、走り出す。
「どいつもこいつも、勝手にやりやがって」
最初の予定がぜんぶ台無しだ。もはや完全に乱戦になってしまった。俺は全速力で走った。ルシールを助けなければならない。あんなもの長く持つはずがない。
第一に――
「ルシール!」
俺は怒鳴った。ドラゴンの喉が不気味な音をたてるのがわかったからだ。炎の息が、まだ残っている。
「さっさと逃げろ!」
間に合うと思った。俺はそう信じた。
全ては一瞬だった。ルシールの襟首を掴む。そのまま抱き抱え、ドラゴンの牙の隙間から引っこ抜く。がちん、と、強烈な音を背中に聞いた気がする。それから炎。眩しい光と熱がすぐ近くの大気を焼いた。
「おい、ルシール」
俺はルシールをかかえて地面を何度も転がった。頭を打ち、全身を打った。それでも、這うようにして岩影に滑り込む。
ドラゴンがもはや絶叫に近い咆哮をあげ、地面をのたうち回っているのがわかる。いま与えた幾度かの攻撃は、紛れもない痛手となっていた。
そのわずかな間、俺はルシールの状態を観察した。抱え上げていたルシールの体は、想像したよりはるかに軽かった。無表情な顔は、これまでにないほど不機嫌そうだ。髪の毛の赤い光が徐々に失せ、黒ずんできているのもわかった。
そしてなにより、おそらくはドラゴンの牙によるものだろう――左の肩が引き裂かれ、ほとんど千切れかけていた。そこからとめどなく血が溢れている。
「何やってんだ。あんな、めちゃくちゃしやがって。くそっ。どいつもこいつも」
「主任、ごめん」
ルシールは、無事な右手で俺の腕を掴んだ。痙攣しているのがわかる。
「あんなのに噛まれた。最悪」
「うるせえんだよ、いまそれどころじゃない。すぐに血を止めて――」
「必要ない。わたしはオーガーだから。それより戦いを。ドラゴンとの戦闘の継続を。……でも、その前に」
ルシールの痙攣が止まった。その赤い瞳がすこし光を取り戻し、なんらかの強力な意志の力を示した。髪の毛がふたたび淡く発光する。
「わたしを噛んでもらいたい」
「なんで?」
「不可能?」
「楽勝だ」
俺はルシールの手を強く噛んで、立ち上がった。
ここからが延長戦だ。俺は周りを見回し、絶望に近い気分になった。
立っているのは、いまや俺と杉浦だけだった。あのクソ野郎かよ、と俺は思う。向こうも似たような顔をした。
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