1日目

第1話

 夜が明ける頃には、状況は大きく変化していた。

 たとえばそれは、見慣れたはずの商店街の風景だった。まるで人の姿がなく、多くの店が「閉店」の張り紙とともにシャッターを下ろしている。逃げ出した市民も少なくないのだろう。昨日まではそこそこ人通りもあったはずだが、今朝はまったくのゼロと言っていい。見かけるのは野良犬くらいだ。

 俺は重たい足を動かして、商店街の外れ、かつての新桜庭町内会が建てた多目的施設、《そよかぜ会館》へと向かった。

 そこに、この一連のドラゴン騒動への町内対策本部が存在している。

 キャプテン・遠藤は《そよかぜ会館》の前をウロウロしていた。彼はこのドラゴン対策本部の本部長でもある。今日も怒り狂った達磨のような形相で、《新桜庭ゴブリンズ》のユニフォームを身にまとい、髭面を片手で撫でていた。

 キャプテン・遠藤こと遠藤吉昭は喫茶《ふじよし》の店長であり、同時に《新桜庭ゴブリンズ》のキャプテンでもある。ポジションはセンター、打順は三番。とてつもなく気性が荒く、俺たち《ゴブリンズ》の対外試合の敗因は、およそ半分が彼の逆上による乱闘騒ぎだと推定される。

 そして何より、身寄りのない俺とミキヒコの保護者代理であった。

 よって俺が彼の前に立つには、夜明け頃にとりあえず腹に入れた握り飯をはじめとして、ありったけのエネルギーをかき集める必要があった。

「悪い」

 俺はまず謝るのが先決だと思った。

 だからそうしようとした。

「ミキヒコは――」

「うるせえ」

 最後まで言うことはできず、キャプテン・遠藤は俺の襟首を掴んだ。

「いいか。やるぞ、俺はやるぞ。誰が逃げるかバカめ」

 キャプテン・遠藤の目は怒りで燃えていた。その剣幕に俺はおおいに怯まされた。なぜかは知らないが、ミキヒコの死はとっくに伝えられていたらしい。どうやって? そんな疑問が湧いたが、それ以上に気になることがあった。

「なんだって? キャプテン、何をやるって」

 どうやらそんなことは聞くまでもなかったらしく、キャプテン・遠藤はさらに俺に顔を近づけた。

「あと三日だ。それで限界がくる。物資もぜんぜん届かンし、この有様じゃ商売どころじゃない。それに! あのクソ聖騎士団の野郎ども!」

 彼は唾を吐き捨てた。

「荷物まとめて引き上げやがった。しかも市議会のやつらの言うことにゃあ、あと三日以内に退去しろって避難命令が出たンだとよ。命令! この俺に命令だと! 生意気だ!」

 一息にまくし立てると、キャプテン・遠藤は俺の襟首を解放した。彼がここまで憤慨するのは、隣町の草野球チームに『髭だるまハゲ』という野次を飛ばされたとき以来だった。

 あのときは、止めようとする俺たちを殴り倒し、ついでに隣町のチームのキャプテンを市内の一級河川・耳鳴川に放り込んだものだった。

「俺はやるぞ、ケンジ。クソドラゴン野郎をぶっ殺す」

「あのさ、キャプテン」

「止めンじゃねえぞ」

 キャプテン・遠藤は達磨の目で虚空を睨んだ。この場に存在しない何かに対して怒りをぶつけさせたら、この男は新桜庭市で最も激しい。

「野郎、なめやがって。改装終わったばっかりの店舗を渡してたまるか。商店街にはな、まだローンの残ってるやつもいる。常連客だって仕入れルートだって、イチからやり直しだぜ! なあ!」

 実際のところは、キャプテン・遠藤の言うとおりなのだろう。国からどれだけの保障が出るかわからないし、出たところでいまと同じ商売を続けるのは、商店街のみんなにとっては限りなく厳しいことなのだ。

 恐らく、首を吊る者も出てくるのではないか。

「こんなふざけた話、許せるわけがねえだろう」

「ああ」

 俺は賛成した。もともとそのつもりだった。

「そうだ。許せるわけがねえ」

 そうなると、今度はキャプテン・遠藤が怪訝な顔をする番だった。たぶん、こういうときは、いつも俺が止めようとする側だったからかもしれない。しかしこの際だ。俺は言うべきことをみんな言っておくことにする。

「やるのは俺だ。俺がやる。クソドラゴン野郎をぶっ殺す。そうじゃなきゃ嘘だ。三日あれば十分だ。ミキヒコの」

 喋りながら、喉が渇くのを感じた。

「同じクソ野郎同士、ミキヒコのいる地獄に送ってやる」

 あの男ならばどうせ地獄に堕ちているだろう。

 俺には確信があったが、実際のところは地獄だろうが暗黒魔界だろうがどうでもいい。俺はドラゴンを殺したい。絶対に殺したい。キャプテン・遠藤の言うとおり、許せるわけがない。

「俺がドラゴンを殺す」

 しかし、闇雲に戦うつもりはなかった。ミキヒコが殺された。そこから、俺は戦いをはじめるべきだ。あのとんでもない阿呆は、なにも考えず突っ込んでいってやられた。

 あいつより賢い俺が、それを無駄にするわけにはいかない。方法が必要だった。ドラゴンを殺す方法だ。まじめに考えて、まじめにやり方を準備して、そして必ず殺さなければならない。

 本音を言えば、このとき、玉砕覚悟の特攻という選択肢は非常に魅力的なものに思えた。俺もそうして殺されれば、ある種の申し訳が立つ気がする。だがそんなのは嘘だ。

 いまさらミキヒコに対して、どんな言い訳ができるだろう? 相手はもう死体で、なにをしても生き返らないのが現実だ。低学歴の俺にだってわかる。

 キャプテン・遠藤は少しの沈黙のあと、鼻を鳴らしてまた唾を吐いた。

「ケンジ。てめえが本当に真剣にやるなら、俺らの仲間に入れてやってもいい」

「仲間?」

 俺はちょっと意表をつかれた。キャプテン・遠藤の目を覗き込むと、怒りと狂気が半分ずつ渦を巻いていた。

「ミキヒコの弔い合戦だ」

 彼は握りこぶしをつくり、自分の目を軽く殴った。

「あんなくだらねえ、ただのバカから死ななきゃいけねえってのは、おかしいぜ。ケンジ、お前もそう思うだろ?」

「いや」

 俺はさっきから喉まで出かかっている言葉を、どうにか言おうとした。

「違う。昨日の夜は、キャプテン、聞いてくれ。俺は」

「だがな!」

 唐突にキャプテン・遠藤が大声をはりあげたので、そのとき俺はようやく気づいた。そんな話、彼は聞きたくもないのだ。

 俺は黙った。黙ってキャプテン・遠藤の八つ当たりじみた怒鳴り声に耳を傾けることにした。

「だがな、ケンジ、《新桜庭ゴブリンズ》は舐められたままじゃ終わらンぞ。いまからメンバー集めてクソドラゴン野郎を袋叩きにしてやる。泣いて喚いて謝っても許してやらねえ!」

「メンバーを集めて」

 その部分の単語を、俺は繰り返した。

「どうやって袋叩きにするんだ?」

「俺たちには金属バットが一人一本以上ある。それと及川のやつは猟銃も持ってンだぞ、猟銃。俺はトラックだって運転できる! 何百回でも轢き殺してやる!」

「――そうだな」

 俺は深く考え込んだ。

 生まれてこの方、これほど脳みそを使うときが来るとは思えなかったほど、ものすごく深く考えた。そうする必要があった。

 キャプテン・遠藤の怒りはミキヒコと同じ怒りであり、同じやり方に落ち着くのは目に見えていた。これはただひたすら野蛮な怒りだ。ドラゴンを本当に殺すには、それだけでは足りない。キャプテン・遠藤の考えている原始的なやり方では、近づくことすらできないかもしれない。

 しかし、人数を集めるというのは意味がありそうだ。

 あとは俺が、本当にドラゴンを目の前で見た俺が、やり方を工夫しなければならない。戦いを組み立てる。それには知識が必要だ。どうすればドラゴンを殺すことができるのか?

「わかった。人数は集めよう、キャプテン。一人でも多く」

「おうよ。当たり前だ。これから一人ずつ引っ張ってきてやる――《新桜庭ゴブリンズ》、空前絶後の大勝負だからな」

 うなずくキャプテン・遠藤は、よく見れば太いザイルと鉈を腰に吊るしていた。それをどう使うのかは尋ねるのはやめておくことにした。彼がやる気なら、そちらの方は任せてもいいだろう。

 代わりに、俺は別のことを提案した。

「それと、馬場先生」

「あン?」

「俺、馬場先生に会ってくる。馬場先生ならドラゴンのこと詳しいと思う。色々聞けるはずだ、マリファナでラリってなきゃ」

「おう! そうだ! 馬場先生は魔法使いだし、東京の大学出てる。色々教えてくれンだろ、マリファナでラリってなきゃ」

「本当、マリファナでラリってさえいなきゃな」

「ああ。あいつは三流のヘタレ野郎だけど、いい二塁手なンだよな」

 キャプテン・遠藤は、唸り声とともに顎鬚を撫でた。

 馬場先生は我が《新桜庭ゴブリンズ》最高の頭脳である。なにしろ、メンバーの中で唯一の大学卒だ。魔術処理技師の免許を持った、れっきとした魔法使いでもある。難攻不落の二塁手として、そのクレバーな判断力で何度となく試合中の危機を救ってきた。人呼んで、新桜庭商店街の賢者。

 ただし、最大の悪癖はマリファナを自宅で育てていることで、いつ警察に摘発されてもおかしくない状態ではある。

「俺はドラゴンの倒し方を聞いてくる。早くしないと馬場先生のことだし、逃げ出すかもしれない」

 馬場先生は頭はいいが、その分、状況分析ができる男だ。草野球の試合でも乱闘騒ぎが近づくと、不意に姿を消していることも多い。

「そしたら作戦会議しよう、キャプテン」

「おうよ。馬場のところのヤスオもまとめて引っ張ってこい。容赦すンなよ――で、さっきから気になってたンだが」

 キャプテン・遠藤は俺の背後を指さした。

「そりゃ誰だ? というか、なんだ?」

 俺はつられて振り返り、そして不可解な光景を目にした。

 そこには赤い瞳に赤い髪の少女が、まるで無表情のまま、カカシのように突ったっていた。

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