第4話
馬場先生の自宅は、商店街の外れにある。
家の前には『直売所』という特徴的なマリファナの葉っぱマークが書かれた看板があり、さらに注意して探すと、門の内側、茂みの中に『馬場そろばん教室』という看板も見つけることができる。
そのくらい、商売する意志を感じさせない教室だった。
俺も子供の頃はミキヒコとともに、キャプテン・遠藤によって通わさせられたが、どれほどの成果があったかは言いたくない。劣等感を刺激される思い出が残っているだけだ。
あと、マリファナがバッドにキマっているときの馬場先生は最低最悪だった。
だからここ数年来、草野球の件以外でこの家の前で足を止めることはなかったが、今日は違う。
「あ」
俺たちが家の前にたどり着くと、軽トラックが駐車しており、ひとりの少年が荷台でなにやら作業していた。
ジャージ姿であり、髪の毛はかなり気合を入れて染めたと思しき金色。目つきの悪さも含めて、見るからに田舎の少年ヤンキーである。ついでに、なぜか錆びた鎖鎌を両手に抱えていた。
鎖鎌とは、鎌と鎖分銅を組み合わせた古風な武器であり、彼の宮本武蔵もこの使い手には苦戦したと伝えられる。使い方にはコツがあり、分銅を投げつけて動きを封じ、鎌で動脈などを掻き切るのだ。
「ケンジ先輩。なにやってんすか」
荷台から身を乗り出し、ジャージ姿の少年は俺の顔を覗き込んできた。
彼の顔も名前も知っている。馬場先生の一人息子で、馬場靖雄という。俺たちはヤスオと呼んでいる。まだ高校生で、いちおう俺の後輩でもある。
父親は頻繁にマリファナでラリってるし、母親はそれに愛想をつかして出て行くしで、ヤスオは小学校を卒業する頃から順調にグレはじめた。
それでも最悪のグレ方はしなかったので、かなり奇跡的な不良少年の一種だろう。とはいえかつて一度だけ、父親を釘バットで撲殺しようとしたところを、ミキヒコと俺で止めたことがある。落ち着いたのはそれ以来かもしれない。
さらに重要なのは、彼が《新桜庭ゴブリンズ》の一員であることだ。ポジションはサード。いかなる打球にも怯まない根性と、天性の俊足を備えた武闘派三塁手だ。
「そっちこそ」
と、俺は彼の異様な出で立ちと、トラックの荷台を観察した。そこにはダンボールや、家具の類が詰め込まれつつある。
「なにやってんだ」
「あ、これすか? ウチの親父が夜逃げしようとしてたんで、その妨害っす。とりあえずタイヤをパンクさせてました。鎖鎌で」
ヤスオはこともなげに答えて、片手の鎖鎌の分銅をじゃらじゃらと回した。そして少し顔をしかめる。
「親父、完全にビビっちまってるんスよ。一人息子を置いて逃げようとしてたんですから。マジっす。そりゃオレもグレていいっスよね」
「馬場先生はそういうタイプだよな」
俺は同調してみたが、実のところ、これは悪くないとも思った。やはり馬場先生はドラゴンの危険性を知っている可能性が高い。
「で、あの、ケンジ先輩」
ヤスオは俺を見上げた。目つきが悪いので睨まれているような気がしてくる。
「あれってマジなんすか? あの、あれです、ミキヒコ先輩が――」
「ああ」
俺が見殺しにした。あいつは一人で突っ込んでいったのに、それを見ているだけだった。そう言おうとしたが、俺にはとても無理だった。
「殺された。もう戻ってこねえ」
「マジすか」
ヤスオは口をぽかんと開き、なんの意味もない相槌らしきものを打った。
だが、実際、それ以上の反応が誰にできるだろう? 俺も期待していない。『心中お察しします』とか言われたら、こいつだろうと構わずぶん殴っていたかもしれない。ヤスオはやや間抜けなその表情のまま、さらに続けた。
「じゃあ、先輩、ケンジ先輩はどうすんスか」
「ドラゴンを殺す」
これはほとんど反射的に出てきた。
「ミキヒコを殺したドラゴンを追い詰めて、ぶっ殺す。そのやり方を、馬場先生に聞きに来た」
「う」
ヤスオは拳を握り締め、そのまま数秒ほど唸り声をあげていたかと思うと、急に壊れたように涙を流して怒鳴った。
「うおおおおおおおお! おおっ! おおおっ! 先輩!」
「なんだよおい、鼻水出すな」
「やっぱケンジ先輩はパネェ」
ヤスオは鼻水をたれながしたまま、鎖鎌の分銅を旋回させはじめた。
「そうだ! そうっすよ、先輩! オレもやります。オレもドラゴン殺して男になります! ミキヒコ先輩の分、俺がきっちりぶっ殺します!」
「やっぱりな」
ヤスオはそういうタイプだった。
なんとなく確信があった。彼の普段の口癖は『ビッグになりたい』とか『男になりたい』とかそんな類のものである。『ミキヒコの仇のドラゴンを殺す』なんて言葉をぶら下げられて、その気にならないわけがない。
しかし、それこそが不安要素だった。ヤスオは目の色をかえて、俺に顔を近づけてきた。
「ケンジ先輩! オレ、なにすりゃいいんすか!」
「まずは鼻をかめ」
俺はヤスオにポケットティッシュを差し出した。
「それにヤスオ、鎖鎌振り回してるだけじゃドラゴンは殺せないぜ」
「いや、オレ、マジ気合はいってるんで。絶対ケンジ先輩の役に立ちます! 押忍! あとそれと、さっきから気になってたんスけど、その、それ」
ヤスオはポケットティッシュを手に取り、俺の背後を指さした。
さきほどから、一言もしゃべらないまま、相変わらずカカシのようにルシールが突っ立っている。ヤスオは凶悪な目つきでそちらを睨んだ。
「そいつ、なんなんスか? ケンジ先輩の知り合いスか。めちゃくちゃ気合入った頭してますけど、先輩の女っすか?」
「あー」
俺はルシールを見た。ルシールは睨まれても反応らしい反応は返さない。自己紹介するつもりもないらしい。
仕方がないので、俺は適当に嘘をでっちあげることにした。ヤスオにどう説明すれば理解してもらえるのかわからないし、そもそも俺だって彼女が何者なんだかよくわからない。
「こいつは、」
「ふが」
このとき、俺はルシールを指差すという失敗をふたたび犯した。ルシールは俺の指を血が出るほどに噛んだが、今度は悲鳴をあげるのは堪えた。ヤスオの方がうめき声をあげてのけぞったくらいだ。
「……こいつは東京に住んでた、俺の遠縁の妹」
俺はルシールの牙の間から指を引き抜き、代わりに肩を叩いた。
「……みたいなもの、だな」
我ながら口から出任せにも程があると思ったが、ルシールの言うとおりだ。余計な問答をしている暇はない。俺たちには時間制限がある。なにしろ、これからドラゴンを殺そうというのだ。
「マジっすか! ケンジ先輩の!」
馬場ヤスオは即座に信じた。そして凶悪な威嚇の形相を凶悪な笑顔に変え、馴れ馴れしくルシールの肩を叩いた。
「おい、睨んで悪かったな。名前なんだよ。あ?」
「……ルシール」
ルシールは不思議な生き物の生態を観察するように、一転したヤスオの表情を眺めていた。
「おう。オレはケンジ先輩の舎弟だから。困ったことがあったらなんでも言えよ。な。オメー、どこ中の何年よ」
「ドコチュウ?」
「中学だよ。東京だから頭いいのか? あ?」
「なんで?」
「なんでって、そりゃまあお前、東京には頭のいいやつがいっぱいいるだろ」
ヤスオの相手はルシールに任せておいて、俺は馬場家の門を潜った。嫌な予感がしていたからだ。
たった今朝から、俺は自分の直感を信じて動くことに決めていた。ミキヒコは、俺がぐずぐず考えている間に死んだ。
そして案の定、裏口の方からこっそりと出ていこうとする一人の男を見つけた。薄汚れた身なりの、メガネをかけた細身の男。ここまで騒いでいれば、家の中にいる人物に気づかれていないはずはなかったのだ。
「――馬場先生!」
俺は大声で怒鳴り、その男を追って走り出した。
「げっ」
馬場先生は全力で逃げ出そうとしたが、まともに走れば俺の方が速い。
たちまち距離は詰まった。最後の抵抗として、馬場先生は俺を突き飛ばそうとしたが、俺は《新桜庭ゴブリンズ》キャッチャーだ。突っ込んでくる殺人スライディングをかわし、取り押さえるのは慣れている。
体を入れ替えるようにして、引きずり倒す。ほんの一瞬だ。土煙こそあがらなかったが、馬場先生は俺の手によって地面に押さえ込まれることになった。
「親父」
近づいてきた馬場ヤスオは、その表情を見るまでもなく呆れているのがわかった。
「なにやってんだよ。情けねえ」
「いや」
馬場先生は地面に顔を押し付けられながら、愛想笑いをした。さしあたって、マリファナの匂いはしない。どうやら比較的意識は明瞭のようだ。よかった。
「私はね、ただ、ちょっと外の空気を吸おうと思ってね。たまには大麻の煙じゃなくてね」
「うまいこと言ったつもりか。誤魔化されるわけねえだろ」
「とりあえずケンジくん、絶対逃げないから放してくれないかな」
「わかった。じゃあ、ヤスオ、それ」
「押忍!」
俺が手を出すと、ヤスオは鎖鎌の分銅を旋回させはじめた。まずは、話を聞きやすい姿勢にする必要がある。
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