第7話
とはいえ、そろそろ彼の出番なのではないかと思っていた。俺にはなんとなく確信があったし、そうじゃなきゃ嘘だとすら思っていた。
最初に気づいたのはもちろんルシールで、彼女は不意に顔をあげた。
「あ」
俺にもそれがわかった。斜面の茂みをかき分けて、何かが転がり落ちてくる。獣じみた唸りから、やがて吠えるような声。杉浦が剣の柄に手をかけて立ち上がる。
「待ってください。いま、なにか――」
「お前、バカだな」
俺は思わず吹き出してしまった。
「避けろよ。そんなところにいると潰されるぜ」
杉浦は顔面の右半分を引きつらせ、なにか反論しようとした。
だから手遅れになった。
大きな影が斜面から滑り落ちてくる。かなり大きい。あちこちが破れ、めちゃくちゃに汚れたユニフォーム。背中にコンテナみたいな、頑丈そうな大箱。そしてこんなときでも信じられないほど陽気なアホ面。
ポジションはファースト、打順は四番、《新桜庭ゴブリンズ》の主砲。ホセ・ミラモンテス以外に、こんな顔ができるやつはいない。
「えっ」
杉浦はその大男の滑落に巻き込まれ、咄嗟に避けようとしてバカみたいに尻餅をついた。ホセの右足がその腹に食い込み、耳障りな悲鳴があがる。俺とヤスオは爆笑するしかなかった。
そうしてホセは地面に転がったまま、とっておきのジョークを披露した直後のような、底抜けに明るい顔で両手をあげた。
「トモダチ! まだこんなところでウロウロしていたんですか? テメエら、すげーノロマです! 遅すぎて、ホセ、化石になっちゃうところだったよ!」
「遅いのはそっちだろ。もう昼過ぎだぜ、どこで寝てたんだよ」
「押忍、ホセさん! お疲れっす!」
俺はホセの肩を叩き、その腕を引っ張って立たせようとする。ヤスオは両手を組み合わせて祈るような、変な挨拶をした。馬場先生もぎこちなくホセを起き上がらせるのを手伝いながら、疑わしげな目でホセを見る。
「……どうでもいいかもしれないんだけど、ホセさん、なんでこんなとこいるの? 市議会に逮捕されてたんじゃないの?」
「そんな! ひどい! ホセ、いつまでも劣等種に捕まってるタマじゃないよ! 脱獄しました! 及川サン手伝ってくれたから感謝です!」
「……ああ」
こちらは斜面をゆっくりと歩きながら、もう一人分の人影が降りてくる。やはり薄汚れたユニフォーム。その上から迷彩柄のジャケット。片手に猟銃。帽子。いつもの通りだ。こちらも、何一つ変わっていない。
及川さんは、俺たちを見下ろして少し笑った。
「あれはいい陽動だった、ケンジ。潜り込むのが楽になったからな」
及川さんに褒められるのは、他のやつに褒められるのとは価値の桁が違う。俺はなんと答えればいいのかわからなくなった。代わりに質問で返すことにする。
「及川さん、もしかして脱獄関係のプロなのか? ホセがひとりでそんなことできるわけねえし」
「昔に。大陸の方で、少しな」
及川さんは短く答えた。なんの説明にもなっていない。だがかっこいい答えだ。大陸の方で、少し。俺も今度使おう。
「及川サン、スゲー野郎です。脱獄! コンバット! 火薬です! おかげで、これ、回収できました。魔法のブキ。たくさんあります!」
ホセは意味不明な身振りを交えながら、背中のコンテナらしき箱を下ろした。俺たちはその中を覗き込んだ。魔法の武器だ。剣、槍、そして盾。これで馬場先生とヤスオにも武器を持たせることができる。
しかし――
「ホセ、いいのか?」
俺はホセの陽気すぎる笑顔を見返した。このへらへらした笑顔のせいで、何を考えているかわからないやつだ。
「昨日やったように、ドラゴンは強いし、勝てる見込みも少ししかない。というより、勝てても誰かは死ぬかもしれない。ホセには嫁も子供もいるんだろ?」
「アー。ホセ、ケンジごときに心配されて、とても悲しいです」
「おい」
「でも大丈夫! ホセノオクサン、まだ若いから! ホセになにかあっても新しい旦那サン見つけられます。ホセ、犬死するなら、イマノウチです!」
「ホセ、お前さあ」
「それに、ホセ、トモダチ見捨てないよ! 劣等種と一緒にしないで欲しいです! そういうとこ、ホセはチャンとしてるから!」
一気にまくしたてられ、俺は馬場先生と顔を見合わせた。彼も困ったような顔をしている。
「馬場先生、ホセの言ってることって、どのくらい本当なの?」
「私に聞かないでよ。知らないよ」
考えても仕方のないことは、考えない。俺たちはいつもそうだし、今回もその方針を採用することにした。だから俺は期待を込めて及川さんを見上げた。
「手伝ってくれるんだよな、及川さん。当てにしてるんだ」
「いや、俺はホセを送りに来ただけだ」
及川さんはそう言って、唇の端を痙攣させた。冗談を言ったつもりだったのだろう。これは非常に、非常に珍しいことだった。
「忘れ物を取りに行くから、俺は一度下山する。お前たちは先に行け。後からすぐに追いつく」
「――よし」
俺はそこでみんなを見回した。
数時間前が嘘のような状況だ。俺とルシールの二人だったところへ、クソ野郎どもが五人も増えた。俺は自信をつけるため、声に出して言うことにした。
「俺たちなら、ドラゴンくらいぶっ殺せる。楽勝だ。そう思わないか?」
「主任がそう判断するなら」
ルシールは簡潔にうなずいた。こいつの意見はあまり参考にできない。
「その可能性は、低いと思いますけど」
杉浦は憂鬱そうな顔で、いまいちテンションの低い発言をした。こいつの意見も参考にできない。
「押忍! ドラゴンくらい楽勝っす! 男になります!」
ヤスオは大声で喚き散らした。こいつの意見も参考にできない。
「ホセの実力、今度こそ見せるよ! 足を引っ張らないでほしいです!」
ホセはへらへらと笑った。こいつの意見も参考にできない。
「っていうか、いま生き残ってるだけでも奇跡的だよね」
馬場先生はため息をついた。気合が入っていない。この意見も、やっぱり参考にできない。
結局、ここの連中の意見は何一つ参考にならないということだ。及川さんはそもそも意見を言わない。無言で俺に背を向けた。山を降りていく。
しかし、やるしかないのだろう。
「戦い方は歩きながら説明する。まずは、ルシールの背負ってるこれを使う」
俺はルシールの背中に手を伸ばし、その大きなリュックサックの中身をいくつか取り出してみせた。
花火である。ミキヒコがやたらと好きなので、押し入れのなかに山ほど溜め込んでいた。中には火薬をほぐして違法に威力を増強したものもあり、こいつで山の中の神社を焼き払いかけたこともある。ミキヒコはアホなので、すごい音とすごい光が出るものが好きだった。
俺はみんなの間抜けな顔を眺め回し、山頂を指差す。やらなきゃよかった。
「しまってこうぜ!」
「ふが」
ルシールの噛み方はいつもより乱暴で、牙を外させるのに苦労した。
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