第2話
そのあとさっさと一階に降りて良かったと、俺は心から思った。
もう一分ほど遅れたら手遅れになっていたかもしれない。なぜなら、そこには喫茶《ふじよし》スタッフ用の外出ドアに手をかけたキャプテン・遠藤の姿があったからだ。腰のベルトには魔法の剣。よく見ればギプスはたぶん自作だ。木片と包帯で即席に作っただけの代物だ。
しかも、いまにも飛び出す寸前だった。俺は呆れた。
「おう、ケンジ!」
キャプテン・遠藤は俺を振り返って、怒りに燃える目で睨みつけてきた。まるで何も変わっていない。何も。俺は安心した。
「まだお前は寝てろ。市議会のクソどもめ、営業妨害しやがって」
「営業してねえじゃん」
「これからするンだよ! ドラゴンをぶっ殺したら、ドラゴンを殺した喫茶店として営業再開だバカ野郎」
「それ、すげえな」
頭の悪そうな響きだ。俺は感心した。キャプテン・遠藤はいつも未来を見ている。いや、逆に言えば、目先のことしか見えていないともいえる。その証拠に、彼は松葉杖を機関銃のように構え、市議会の包囲網に向かって突撃するところだった。
「俺が何もかもケリつけてきてやる。あのドラゴン野郎、なめた真似しやがって! もう許さンぞ、今度こそぶっ殺す! まずは市議会のアホどもを皆殺しだ!」
「やめとけって。その足じゃドラゴン退治は無理だろ、キャプテン」
「黙れケンジ。てめえに心配される俺じゃねえぞ。やれるかやれないかじゃねえ! 俺はな、怒ってンだ。あのドラゴン野郎に! 俺は!」
キャプテン・遠藤は唾を飛ばして喚き散らした。いつもの倍くらいうるさい。
「――一番最初にヘマしちまったンだろうが! クソが! あんな見え見えのフェイントに引っかかっちまってどうする。俺はキャプテンだぞ。打順は三番だぞ。クリンナップだぞ! それがよ――」
わめきながら、松葉杖で地面を殴りつける。
「情けねえじゃねえか。恥ずかしいんだよ。ええ? どのツラ下げて一鉄に会いに行けばいいんだ?」
「いつものそのツラだよ、キャプテン・遠藤は。いまさら顔面を整えるのは無理だぜ。どのみちその足じゃドラゴン退治のお荷物だ。だから」
俺は自分を指さした。
「俺が殺してくる」
「いや、俺だ」
「ダメだって」
「うるせえぞ! ミキヒコが――」
キャプテン・遠藤はさらに激高した。目から火が出そうなほど見開かれる。
「ミキヒコがあんなことになって、そのうえお前までクソみたいなことになったら、そンなもん許せるわけねえ。俺は、お前らがどう思ってるか知らンが、俺はなあ!」
「わかるって、そんなもん言わなくても」
俺はキャプテンの肩をつかんで宥める必要があった。キャプテンに伝えておくべきことがある。それはいまや俺ひとりの役目だった。
「俺もミキヒコも同じように思ってたよ。本当なんだぜ。どっちが喫茶店を継ぐかで揉めたこともある。で、俺は偉大なキャプテン・遠藤の名前に恥じないように行動する必要があるんだよ。そうだろう」
「だからってな、お前、相手が相手だ。いいかドラゴンってのはなあ!」
「すげえよく知ってるよ。だが、やれるかやれないかじゃねえ。そういう育ち方してねえし」
そうして、俺たちは黙って数秒間くらい睨み合った。
ルシールが階段から降りてくるまでの、ごく短い間だ。俺が指示した通りの、えらく大きなリュックサックを背負っている。彼女は黙っている俺たちを一瞥し、首を傾けた。
「どうしたの、主任? 行かないの?」
「行くよ。これからな」
俺はルシールにうなずき、そちらを顎で示した。
「キャプテン、これ以上ごちゃごちゃ言うなら、ルシールがあんたを黙らせるからな。縛り上げてやる」
偉大なるキャプテン・遠藤は、牡牛のような荒っぽい鼻息を吹き出した。同時に、不機嫌そうな声も。
「やるのか、ケンジ」
「やる」
「勝ち目はあるンだろうな」
「キャプテン、その剣は? 市議会に取られなかったのか」
「ドラゴン殺しの剣っつって、店内に飾ろうと思って隠してたンだよ」
「さすが、キャプテン」
キャプテン・遠藤は商売に関して極めて貪欲だ。新メニューであるドラゴン・サンドをいちはやく開発しただけはある。俺は感心して、そのベルトから魔法の剣を鞘ぐるみ奪った。
「そのエピソード、本物にしちまおう。待ってろよ」
「ひとつだけ聞いておくぞ、おい」
キャプテン・遠藤は、行こうとする俺の腕をつかんで唸り声をあげる。
「お前らの、その、喫茶店をどっちが継ぐかで揉めた話だ。なあ。正直に言えよ。ぜひとも自分が継ぎたいっつって揉めたンだろうな」
「おう」
「誰がお前らみたいなバカに店を継がせるか、このクソ嘘つき野郎。殺すぞ。こいつは土産だ、持ってけ」
キャプテン・遠藤は俺に大きなカバンを差し出した。やたらと重い。なんとなく中身は想像がついた。こうして俺はそのまま店を後にした。まずは市議会の連中をどうにかしよう。
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