3日目

第1話

 すこし夢を見た。

 詳しい内容は朦朧として、よく覚えていない。

 キャプテン・遠藤の店には《新桜庭ゴブリンズ》のみんながいて、いつもどおりに騒いでいた。こういうとき、一般客は立ち入り禁止となる。危険だからだ。

 なにもかも、いつもどおりの夢だった。

 ミキヒコがなにか馬鹿な提案をして、それにヤスオが乗っかり、岩渕兄までそれにくわわる。ホセがへらへら笑いながらそれを混ぜ返し、馬場先生が巻き込まれる。キャプテン・遠藤は「店の外でやれ」と怒鳴り、岩渕弟は唸り声をあげて兄の後ろに隠れる。そして、及川さんは黙ってコーヒーを飲んでいる。

 もうすぐミキヒコか岩渕兄あたりが暴れだしてもおかしくない、そんな騒ぎだったと思う。

 だが、残念ながら何についてそんなに騒いでいるのか、俺にはさっぱり頭に入ってこないのだ。会話に加わろうと声をあげても、なぜかうまく話の輪に入れない。酔っ払った岩渕兄の薄汚い笑い声、岩渕弟は膝を抱えてがくがくと兄の言葉にうなずく。ミキヒコとヤスオが声をそろえて何かを主張する。何が楽しいんだろう。

「バカ」

 とか、

「クソ野郎」

 とかいう怒号が飛び交い、まるで店全体が喧嘩をしているようだった。

 でも、俺はそれでも満足だった。そこに《新桜庭ゴブリンズ》のクソ野郎どもがいるからだ。俺というやつは、本当にそれだけで十分だった。

 つまり、そういう夢だ。


 目を覚ましたとき、最初に見たのはルシールの赤い瞳だった。

 すぐに全ての感覚が鮮明になった。俺は寝ている。自分の布団。自分の部屋だ。意識を失う前のままのユニフォーム。天井の電気は点いていない。窓からは太陽光。すぐに、とはいったが、ルシールの無表情な顔とにらみ合ったまま、三十秒くらいの間があったかもしれない。

 ということは――

「朝か?」

「八時二十三分。主任、おはよう」

「……おはよう」

 間抜けな挨拶だ。さて、どんな風に始めるのがいいだろう。少し考えて、俺はルシールの肩を叩いた。まずは昨日の試合の反省からだ。

「昨日はナイスプレイだったな、ルシール。特にあの車を投げ飛ばしたところ。ナイスピッチ。いい肩してるじゃねえか」

「そんなことはない」

 ルシールは眉毛をすこし動かした。

「最後まで主任の戦闘を支援できなかった。稼働マナ不足を言い訳にするつもりはない。出力配分に誤りがあった。正確に出力を節約できれば、あと五十秒は動けていたはず」

「お前、ほんと融通きかねえな。クソ真面目だな」

 これは俺も呆れるところだ。

「野球ってのはチームプレイだ。お前がぶっ倒れるまで働かせたのは俺たち全員の問題だ――おい。起きたいから、顔どけてくれ」

「主任、起き上がれるの?」

「起き上がれ、る。あれ?」

 俺はルシールの顔をどかして、起き上がりながら、ちょっと違和感を覚えた。右手のことだ。

 昨日、気を失う前には折れているような気がした。一瞬、あのことはすべて悪夢ではないかと期待したが、そんなはずはなかった。それを誤魔化すことは、岩渕弟へ何かすごく悪いことをしているような気がした。

 だから俺は大きくあくびをしてから、この三日目の朝にとりかかることにした。やることは、あまりにもシンプルだ。そして難しい。

「ルシール、教えてくれ。昨日はあのあと何があったかわかるか?」

 俺の質問に、ルシールは軽く首を傾げた。

「いろいろあった」

「具体的に頼むぜ」

「えーと」


 ルシールの解説は簡潔すぎて、何度も細部を確認しなければならなかった。

 俺と杉浦は、負傷とマナの枯渇により意識を失った。すぐに市議会のクソどもがやってきて、俺たちを糾弾した。あまりにも危険な行為であり、社会的良識に欠ける。被害も発生した。特に――岩渕弟の死は深刻なものとして受け止められた。

 体力をほとんど失っていたメンバーは、罵倒を黙って受け入れるしかなかった。厳重な注意と避難命令を受け、ホセに至っては逮捕・拘束された。そして、及川さんの姿はどこにもなかったという。

 さらには剣も盾も槍も、俺たちが違法に回収していた魔法の道具は市議会に奪われてしまったらしい。

 こうした話を、俺は顔を洗い、歯を磨きながら聞いた。

 そして思わず唸った。

「うーむ」

 事態は非常によくない。ホセが逮捕されたことも痛手だが、及川さんが見つからないというのも。最悪のケースも考えられた。

 だが、俺はまったく気が進まないことを聞かねばならなかった。

「あのさ。岩渕一鉄の方なんだけど」

「ハーフ・ナチュラルの兄?」

「ん? ああ、まあ、そうだな――どうしてる?」

「さあ」

 ルシールは首を傾げた。わからない、ということらしい。俺は岩渕一鉄に会いたかった。その気分がよくわかるからだ。ミキヒコを死なせてしまった俺には。

 俺はもういちど顔を洗った。冬の冷水が染みる。まだ水道は維持されているらしいが、このままではそれも今日で最後になるだろう。今日が三日目だ。もう後がない。さらに言うなら、状況は昨日より悪いかもしれない。

「主任、どうするの」

 ルシールは廊下を歩く俺の前に回り込み、顔を突き出してきた。その瞳の赤さがよくわかる。

「ドラゴン。昨日の敗北で、普通は戦意を喪失してもおかしくないと思う。主任はどうなの」

「俺?」

「答えて」

 ルシールの目は真剣だ。というより、こいつにはユーモアや柔軟さというものが足りなさすぎる。

「主任はドラゴンと戦うの? わたしは必要とされる?」

「お前の方こそ。まだ戦えるのか」

「わたしはオーガー。対ドラゴン戦闘支援兵器なので。主任さえ、あなたさえ、そのつもりがあれば。いいから答えて」

「野球を教えてやるって言ったな、ルシール」

 俺がルシールの肩を拳で殴ると、彼女は眉間にかすかに皺を寄せた。

 ルシールの目には、真剣さと同時に不安があるように思った。それは恐怖に近い。彼女にはそれが必要なんだと思う。彼女は己が優れた兵器であると信じている。それがプライドってやつだ。

 その手のものは、俺にだってある。

「まだドラゴンを殺したわけじゃないんだが、ひとつだけ先に重要なことを教えてやろう」

「なに?」

「『野球はゲームセットしてからが本当の勝負』だ。これは野球の神の子を自称していた、ミキヒコという男による名言だ」

 俺はルシールの肩を掴んで、一回転させた。背中を押して歩き出す。これから少しだけ、やるべきことをやらねばならない。

「さあ、ドラゴンをぶっ殺そうぜ」

 その言葉を聞いたとたん、ルシールは振り返って目を赤く輝かせた。そして俺の手をとり、止めるまもなくその指に噛み付いた。ちょっと滑稽なほどの喜びようだったので、俺はつい笑ってしまった。

 だがその笑いも、ルシールが指から牙を離すまでの短い間だった。

「でも、主任、多少の問題が」

「知ってるよ。いくらでもあるだろ。俺たちの相手はドラゴンだし」

「そうじゃなくて、外に」

 ルシールは窓の外に目をやった。俺はそこではじめて外の様子が気になった。そういえば、何か大声が聞こえる。音割れのするスピーカーで、そう、あの声はたしか、聞き覚えがある。

『喫茶《ふじよし》店長、遠藤吉昭に勧告します!』

 市長の娘、細川まる子の声だ。俺は窓に近づいて外を見た。

『――いますぐ消防庁から違法に収奪した、オーガー・ルシールの身柄を引き渡しなさい! 聞いていますか!』

「うるせえンだよバカ野郎!」

 キャプテン・遠藤の怒鳴り声。

 喫茶《ふじよし》を包囲するように、市議会の作業着を来た連中が並んでいる。その中心でスピーカーを構えているのが細川まる子だ。そしてもちろん、それに対峙して怒鳴り散らしているのがキャプテン・遠藤だ。片足にギプスをつけて、松葉杖をつきながらも、その剣幕はまったく衰えていない。

 営業用の出入り口から顔をだし、鬼の形相で吠える。

「腰抜けの市議会どもは帰れ! 商売の邪魔だからさっさと消えろ!」 

『それは違います。この地区での営業行為は禁止令が――』

「俺は諦めねえぞ!」

 キャプテンはよろめきながら、松葉杖を振り回した。いまにも突撃しそうだ。

「まずいな。ルシール、俺はキャプテンを止めてくる」

「主任に随行する」

「その前に」

 俺は一階への階段を降り始める。

「押入れからちょっと取ってきてほしいものがあるんだ。一番でかいリュック。それ持って、すぐにきてくれ」

 大変な一日になる予感がする。ドラゴンの前に、片付けるべき問題がいくつかありそうだった。

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