第9話
ここに至って、とうとう俺は自分がとんでもない間抜けであることを認めざるを得なかった。
ほとんど対策もなしにドラゴンへ向かって突撃している、というこの状況のことではない。一成が完全に殺されるまで、震えて動けなかったことだ。現実的に助けることができたかどうかは重要じゃない、何もできなかったことが問題だった。
もう、本当に許せない。
何がドラゴン殺しだ。
こんなものは、一成が示した勇気の百万分の一にも満たない。
走りながら、俺は妙に感覚が冴えるのを感じていた。ドラゴンが振り返るのがスローに見える。尻尾が持ち上がる。俺は自分の中の何かがおかしいように思ったが、何がおかしいのかはよくわからなかった。
「ケンジ先輩、やばいですって!」
ヤスオが警告しているが、俺は無視して加速した。
やけに体が軽く感じる。ドラゴンの尾が振り回され、唸りをあげて迫る。俺は跳躍する。それで避けられるとわかっていた。我ながら、どう考えても異様な跳躍力だったと思う。俺は振り出された尾を飛び越え、一成が土手っ腹に突き刺したままの槍にしがみついた。
俺の体重で、槍の穂先がさらにドラゴンの腹部をえぐり、ドラゴンの咆哮と血飛沫を噴き出させる。
「――ぶっ殺してやる!」
俺は自分が唸り声をあげていることに気づいた。
このときドラゴンには鉤爪という武器もあったが、そちらは俺ではなく杉浦に向けられていた。袈裟懸けに、引き裂くような一撃だった。
それに対して杉浦のやつはまあ、腐っても聖騎士ということか。体をひねって、両手で剣を跳ね上げると、角度をつけて鉤爪を弾いた。軌道を少しそらすだけだが、それで十分だった。杉浦は低い姿勢で前進し、ドラゴンに迫る。
やりやがる、臆病者のクソ野郎のくせに。
俺はドラゴンの腹部を蹴って、さらにドラゴンの首筋に飛びつこうとした。そちらもやはり一成が突き立てた剣がそのまま埋まっている。もっと押し込んでやろうと思った。このドラゴンの体は、死んだやつらが与えた傷でいっぱいだ。その全部を致命傷にしてやりたかった。
俺は自分の剣をドラゴンの背につきたて、さらに足場を作った。我ながら、滅茶苦茶なことをやってのけていると思う。おそろしく感覚が透き通っている。こんな厄介な作業を、淡々とこなせるとは。
本当にどうかしているんじゃないか?
「ケンジくん、離れて! そんなの無茶だって」
馬場先生がメガホンで怒鳴っている。俺はそれも無視した。
ドラゴンは体をひねって、俺をデパートの壁にでもぶつけようとしたかも知れない。不愉快そうな咆哮をあげながら首を巡らせる――その頭部が、いきなり殴られたように傾いた。
何かが激突している。
車体が大きくひしゃげた装甲トラックだった。なぜか宙を飛んだそいつがドラゴンの頭にぶつかり、大きくよろめかせたのだろう。俺は剣にしがみつきながら、後方を一瞥した。
「主任、ごめん。対ドラゴン戦闘の支援は、これ以上――」
ルシールは赤い髪から火花を散らし、ゆっくりとその場に倒れこむところだった。
「私は、今度こそ、完全に限界」
ルシールの瞳と髪が黒くなり、動かなくなった。
俺はドラゴンの背中を蹴って、走るように飛んだ。首筋に刺さったままの、一成の剣を掴む。柄を握り締め、さらに押し込んでいく。ドラゴンはもはや確かな悲鳴をあげて、のけぞった。
「杉浦!」
俺は怒鳴った。ドラゴンの首筋に肉薄する、彼の姿が見えたからだ。
「その傷がたぶん逆鱗だ、刺せ! ぶっ殺せ!」
「黙っててください!」
杉浦は怒鳴り返して、剣をまっすぐ構えた。狙っているのは、ミキヒコが与えた首筋の傷だろう。杉浦の目が狂気に満ちているのがわかった。
「これは――ぼくは、ぼくの戦いを――」
杉浦はなにか御託を並べようとした。まったくバカバカしい。なぜならそれは、ドラゴンの悲鳴のような咆哮でかき消されたからだ。
予想外にも程があった。
ドラゴンは『最後の手段』とも呼べるような行動に出た。つまり、悲鳴をあげながらのたうち回り、地面を転がったのだ。俺はしがみつこうとしたが、急激に腕から力が抜けていくのを感じた。
こんなときに。
俺は地面に投げ出されてころがった。頭と腕に激痛。意識が飛びかける。とはいえ俺だけが根性なしだったわけじゃない。杉浦のやつも吹き飛ばされて、その体がアスファルトの上をバウンドするのが見えた。
ドラゴンは悲鳴をあげながらのたうち、駐車場から逃げ出そうとしていた。翼を広げる。片方は一成が突き刺した槍のせいで、ぼろぼろに破れている。
「――逃がすな! テメー、杉浦、気合入れろよ! くそっ」
あと少しだ。そう思えた。
俺は即座に立ち上がろうとした。剣を手放してしまった。どこだ? さっき一鉄の手からこぼれたやつがどこかにあるはずだ。しかし、それを探すべく首を動かすことでさえ、ひどく困難だった。
立ち上がらなければ。俺はまず腕を動かそうとして、すこし指先を震わせるだけで終わった。まったく力が入らない。呼吸をしても、肺に空気が入ってこないような感覚。魔法の剣を使いすぎて、マナが枯渇しかけているのか?
それとも、この虚脱感は、もっとヤバイことになっているのだろうか?
頭が耐え難いほど痛む。その激痛すら、どこか遠い場所で起きていることのようだ。俺はぞっとした。意識を手放さないようにするのが精一杯だった。
ドラゴンが大きく翼を羽ばたかせるのが見える。破れた翼を無視した、強引な羽ばたきだった。動かすたびに血を吹き出す翼を広げ、地面を蹴る。驚くべきことに、その巨体は浮き上がった。くそ。あんな状態の翼で飛べるなんて、卑怯じゃないか。
そして、ドラゴンは舞い上がった。
「ケンジ先輩!」
ヤスオのやることは、こういうときであるほど冷静だ。俺たち《新桜庭ゴブリンズ》が応急手当用に常備している、大型の箱を抱えて駆け寄ってくる。
だが、俺は治療どころではなかった。俺にできるのは、意識を手放さないように保ち、ただ見ることだけだった。
だから必死で見た。
ドラゴンの飛ぶ先を見ていた。桜木岳の方向だ。一度は高度をあげたものの、大きくよろめきながら、ゆっくり滑空、というより落下していく。
そう、落下だ。
間違いない。ドラゴンは桜木岳の中腹へと、もはやその巨体を完全に支えきれずに墜ちていった。
追撃して殺す。
いまならやれる。
そう思ったものの、まるで体に力が入らない――視界が朦朧とする――たくさんの人影が近づいてくる。《新桜庭ゴブリンズ》の生き残り、ヤスオ、馬場先生――ホセの馬鹿でかい図体――それから細川まる子をはじめとした、市議会の連中まで。どこかに隠れてやがったのか。
俺はそいつらを怒鳴りつけようとした。
ありったけの力を使って起き上がり、さっさとドラゴンを追うぞ、と叫びたかった。上半身を起こすべく、手を地面につこうとしたが、激痛によって失敗した。手首が変な方向に曲がっていた。折れている。頭も痛む。
少し離れた場所に杉浦がいる――あいつもどうにか全身を震わせるようにして起き上がろうとしている。生意気なやつだ。立つのは俺の方が先に決まってる。
そこまでが限界だった。
あたりが暗い。もう夜が来たのか? 意識はそこで途絶えた。
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