第8話

「――クソ野郎!」

 それでもキャプテンは、地面をのたうち回りながら、怒りに満ちた悪態をつく。動き出してしまった攻撃陣のひとりに対して。

「くるな、バカが! ぶっ殺すぞ!」

 夕陽の残照が照らす駐車場は、キャプテン・遠藤の足から流れる血で濡れていく。ドラゴンは追撃しなかった。その獲物がもう動けないとわかっていたからだ。優先すべきは、ほかにある。

「一鉄さん、いまはやばいっす」

 ヤスオは一鉄を止めようとした。こういうとき、あいつは意外なほど冷静だ。

 しかし、岩渕兄はもはやどうしようもないほど近くまできていた。それはおそらく、キャプテン・遠藤を助けるためだ。

 全力疾走で、ドラゴンの首を狙って突進する。

「ホセ、キャプテンを運べ! この俺様が特別に時間を稼いでやるっ。関ヶ原の戦を思い出すぜ」

「ワーオ」

 ホセは首を振った。こんなときでも明るいやつだった。しかし、一鉄の言うとおりに走り出している。

「ホセ、驚きです。一鉄さんはクソバカ野郎ね! 死んだほうがマシです!」

 実際、その通りかもしれない。まず、ドラゴンは尻尾で一鉄をなぎ払おうとした。ルシールはそちらに対処せざるを得ない。彼女は彼女で、ほとんど神がかった動きを見せた。

「チームプレイを実行する」

 ルシールは確かにそう宣言した。

 赤い瞳が輝く。アスファルトを砕くほどの脚力で飛び出す。振り回される尾に対し、真正面からぶつかった。掴む。その体がよろめいた。

 尋常ではない力がかかっているのがわかった。ルシールの髪の毛は触手のように浮き、宙に赤い火花を散らしている。今回は、ただ止めるだけではない。つかんでその動きを抑制している。

「出力――これが、最大値」

 ルシールはフグのように頬を膨らませ、両足のスタンスをひろげた。押し込まれるが、尻尾の勢いは完全に止まった。

 問題は、ドラゴンの前脚に備わった鉤爪の方だった。

 守備陣であるホセも、キャプテン・遠藤も、それを防ぐ役目に回ることはできなかった。キャプテンは罵声をあげながらも、ホセに抱えられて退避行動に移っている。今度は逆に彼らが追撃を受けないように、誰かがそれを防がねばならない。

 あろうことか、いまは岩渕兄がその役目を勝手に背負った。

「二天一流なめんな」

 岩渕一鉄は鉤爪の軌道を見据え、剣を振り上げた。無謀だった。

 俺は大声をあげて注意しかけたものの、間に合うわけもないし、一鉄が聞きいれるはずもなかった。

「やめろ、一鉄! そんなもんで――」

 予想通り、鉤爪は一鉄の剣ごと巻き込んで、その体を吹き飛ばす。一鉄は横殴りの衝撃を受けてアスファルトの上を転がった。剣は手放され、無味乾燥な金属音をたてて地面を跳ねた。

 その頭上に、ドラゴンの黒い影が伸びる。

 夕陽のせいで余計に怪物じみていた。岩渕一鉄はそれを振り仰いだ。

 ドラゴンの琥珀色の目を彼は見てしまったのかもしれない。恐怖と怒りが入り混じったような表情が、その顔に浮かぶのがわかった。

 ドラゴンが口を大きく開いた。

 本当に最悪だったのは、その次だった。

「あ――やばい! ちょっと、いまダメですって!」

 ヤスオが何かわめいていた。

「一成さん!」

 ほんの一瞬のことだ。

 俺は恐ろしく素早い影が駐車場を駆け抜け、狂犬のように飛び跳ねて、ドラゴンに襲いかかるのを見た。

 俺たちは一成の速度を昼間の練習で見ていたが、あれでもまだ全力ではなかったのだろうか。野生の動物すら超えていたかもしれない。

 その接近にドラゴンが気づくよりもはやく、その翼部分の付け根へ深々と、鋼色の光が突き刺さる。槍だ。そのまま一成は突き刺した槍を支点に、ドラゴンの首筋にとびついた。逆の手には剣が握られている。

 岩渕弟の形相は、目を血走らせた獣そのものだった。ライカンスロープ、まさに狼男の民間伝承を思い出さずにはいられない。人間の雄叫びと、獣の咆哮の中間のような声が、よだれの滴る口からほとばしった。

 この一撃は、ドラゴンにとって無視できないものだった。翼を無理に動かそうとして、刺さった槍によってばりばりと傷が広がる。破れていく。地団駄を踏んで首を振り、一成を振り落とそうとする。

「う、う、う、うっ! ううう――」

 一成は唸り声をあげ、構わず剣をドラゴンの首筋に突き立てる。血が溢れた。

「やめろよ、一成」

 一鉄は懇願するように両手を伸ばした。無意味だ。そして怒り狂った。

「やめろ!」

 一鉄は突進しようとしたが、横殴りに吹き飛ばされた際に足を痛めたか、あるいはマナによる疲労の蓄積かもしれない。たった一歩で足をもつれさせて、そのまま前のめりに倒れた。

 何もかもがよくない。俺は全身に力をこめた。震えているのが自分でもわかる。正直言って俺はビビってる。それがムカつく。だいたい、いま動かなければ、いったい何のためにドラゴンを殺そうと思ったんだ。

 あのときミキヒコが殺されようとした。何もしなかった自分に対して許せないような気がしたからだ。ここでやらなきゃ嘘だ。いま戦う必要がある。いま飛び出して、一成を助ける。そのイメージだ。俺は深呼吸をして、自分の膝を殴りつけた。

 向かい側に、いまだ固まったままの杉浦が見える。剣に手をかけたまま震えていた。顔面は蒼白。俺はあれと一緒だろうか? 冗談じゃない。

 とはいえ、一方ではルシールの方も限界だった。

「――ごめん、主任」

 そのつぶやきがはっきりと聞こえ、髪と瞳の赤い輝きが急激に薄くなった。ついに力比べは地力のある方が勝利した。

「わたしも限界」

 ドラゴンの尾が振り抜かれ、ルシールの体は簡単に吹き飛ばされた。背後の装甲輸送トラックにぶつかり、車体をひしゃげさせる。

 そして自由になったドラゴンは、デパート『ヘリオン』に向かって突進した。

 自分の首筋につかまる敵を、もっとも効果的に攻撃する方法について、ドラゴンなりに検討した結果だったのだろう。すなわちその体ごと、一成をデパートの壁にぶつけることだ。

 悲鳴をあげたのは一鉄の方だった。

 及川さんが舌打ちをして、猟銃を立て続けに発砲した。すべての狙いは正確だった。ドラゴンの眼球、ど真ん中へ。二発、三発、四発。猟銃を取り替えながら、人間にこんな正確な射撃ができるものだろうか?

 しかしドラゴンが両目を閉じていたため、それらの銃撃は気を引くことすらできない。目を開けて、正確な攻撃をする必要はなかったからだ。ドラゴンはデパートに向かって、ただ体をぶつければよかった。

「及川さん、はやくそこを――」

 馬場先生が何か叫ぶのと、強烈な振動がデパートを襲うのは同時だった。身を乗り出していた及川さんが、非常階段から落下するのが見える。そしてドラゴンの巨大な影に消えた。

 あとは一方的だった。

 何度も、何度も、ドラゴンとデパート『ヘリオン』の激突は続いた――建物の壁に亀裂が入って、岩渕一成の体が関節も判別できないほど全身捻じ曲げられ、地面に落下し、頭部が砕けるまで。すべてが夕陽を受けて鮮明だった。岩渕一鉄が金切り声をあげてうずくまった。

 俺はそれをすべて見ていた。

 しかし、自分が何かよくわからない叫び声をあげながら駆け出したことには、ぜんぜん気づいていなかった。それと同時に、およそ信じられないものを見たとも思う。反対側から、俺とまったく同じ形相で飛び出す杉浦の姿である。

 ドラゴンは怒りに満ちた琥珀の目を見開き、俺たちに注意を向けた。

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