第5話

 最終的に鎖分銅で足を、ビニール紐で手を拘束された馬場先生は、和やかな愛想笑いとともに対話に応じてくれた。

 縛り付けられて、庭に転がされている状態ともいう。

 俺はドラゴンの話をリクエストした。

 馬場先生は必要なぶんだけ喋ったら逃げてもいいという俺の嘘を真に受けて、快く解説をはじめた。

「ドラゴンと人類が遭遇したのは、紀元前まで遡ると言われているんだよね」

 最初はそんな切り出し方だった。俺はうんざりした。

「ドラゴン退治の話は世界各地に残っているけど、まあたぶん少しは本当のものもあるんじゃないかな。で、だいたい十二世紀ぐらいまで絶滅したと思われてたんだけど、これと再遭遇したのがあの有名なコロンブスで――」

「コロンブスだかメロンパンだか知らねえけど、そのへん、ちょっと省略して」

 俺はそういう歴史上のクソつまんねえ話を聞かされるのが苦手だ。もっと面白い戦争の話とか、超古代文明とかの話なら聞いてやってもいい。

 とにかく、いま俺たちに必要なのは、

「ドラゴンを殺す方法だ」

「はあ」

 馬場先生は生返事を返した。

「ドラゴンを? 殺すの?」

「そうだよ。ぶっ殺す。あと三日以内に」

「三日で!」

 馬場先生は卒倒しそうになった。

「本気で言ってるの、ケンジくん!」

「おうクソ親父、ケンジ先輩はマジだからな」

 ヤスオは己の父親に対して、襟首を掴んでメンチを切った。

「いいから洗いざらい全部吐けよ。あ? 知ってんだろ?」

「我が息子ながらこの態度」

 馬場先生は地上でみじろぎした。彼の場合、育て方を間違ったというより、この父親のもとでよく育ったというべきだろう。

「私が話してあげるのはいいけどさあ。無理だと思うんだよね、確実に」

「無理かどうかは聞いてない」

 俺は馬場先生にも伝える必要があった。

「無理だと思うなら、なにがあれば殺せる? 必要なものはぜんぶ用意すりゃいいんだろ?」

「なにがあれば、というか」

 馬場先生は大いに逡巡したようだった。

「あのさあ、ケンジくん。まず聖騎士団が一個大隊もいて、歯が立たなかったんだよね。それってもう日本史上初レベルの災害だよ。最新鋭のオーガーもやられちゃったんだろう?」

「いえ」

 ルシールが不機嫌な声で答えた。表情こそ変わらないが、さっきから俺には彼女が不機嫌になる条件がわかってきた気がする。

「やられてない。むしろ健在。まだまだ継戦可能」

「えっ」

 馬場先生は複雑な顔で、俺とルシールを交互に見た。より正確には、馬場先生はルシールの赤い髪と赤い瞳に驚愕していた。

「なにこれ? もしかしてオーガーなの?」

「そうだよ。最新鋭のオーガー、ルシールだ」

「そう、最新鋭」

 俺が紹介すると、ルシールは厳かにうなずいた。馬場先生はさらに複雑そうな顔になった。俺はその理由を究明しようと思った。

「これでも勝ち目ゼロになるのか、馬場先生」

「いや、ゼロじゃないけど、それだけにもっとタチが悪いと思って。せいぜい勝率百億分の一くらいじゃないかなあ」

「ゼロじゃなけりゃいいよ」

「ほら!」

 馬場先生は目を見開いた。

「きみら、そうやって『ゼロじゃなきゃいける』理論で突っ込むよね、本当。キャプテン・遠藤もそのタイプでしょ。自殺するようなもんだよ。まず、武器がないと」

 馬場先生はようやく建設的な話をする気になったようだった。

「そう、魔法の武器が必要だね」

「魔法の?」

 そこは、俺も気になっていたところだ。

 昨夜、確かに聖騎士の連中は、剣とか槍とかの原始的な武器ばかりに頼っていた。銃撃も一応は試していたが、確かにあれはドラゴンにはなんらダメージを与えた様子はなかった。

「なあ、馬場先生。普通の金属バットとか、鎖鎌とか、鉄砲とかじゃダメなのか?」

「ダメだよ、ぜんぜんダメ。ドラゴンには魔法の武器しか効かない。これはもう絶対に。いいかい? えっと、図を書いて説明したいんだけど。差し当たってこのビニール紐を」

「いいからどんどん喋れ」

 いかにも馬場先生は専門的な説明をしたそうだったが、付き合っている暇はなかった。

「――はい。ドラゴンの鱗はすべてマナ構造で覆われているんだよね。あの、魔法の装甲っていうのかな、とにかくドラゴンは魔法のチカラで守られているわけ。だから銃で撃とうが爆撃しようが通じないんだよ」

「よくわかんねえ」

「えー……それじゃあまあ、よくわかんなくていいんだけど、まずドラゴンの鱗は魔法の力でしか傷つかない。だから魔法の武器がいる。魔法の剣とか槍とか」

「それってロングソード+1とか、そういうの?」

「え? あ、うん。まあ、そうかな。そういう感じ」

「面倒だな」

 ここで、ようやく一つの謎が解けた。聖騎士たちのあの時代遅れの装備には意味があった。あれはドラゴンと戦うための解答だったのだ。

 だが、ドラゴンと白兵戦を挑むことを考えると、かなり厳しいものを感じざるをえない。俺はいちおう聞いてみることにした。

「それってさ、馬場先生、魔法の銃とか無いのかよ」

「無理だと思うね。魔法っていうのは、人間の《マナ》――えっと、人間誰もが持ってる《魔法動かすぞエネルギー》を使って作動するわけ」

「そこまで俺をアホだと思わなくていいから。逆にわかりにくい。で?」

「うん、じゃあ、魔法の武器は人間が触って、持続的にマナを注ぎ込んでいてあげないと作動しない。銃とかは、あれ、弾丸を飛ばさなきゃいけないだろう? インパクトの瞬間に人間がマナを注げてない。それだとぜんぜん意味が――」

「あ、やっぱぜんぜんよくわかねんえから説明はいいや。とにかく魔法の武器が必要ってことだな」

「そう。あとできれば魔法の防具ね。ドラゴンの爪と牙にはマナがあるから。魔法の盾とかで防御できるかもしれない。諦める気になった?」

「うーん」

 俺は考えざるをえなかった。生まれてはじめて、こんなに激しく脳みそを働かせている。魔法の武器。俺たちがドラゴンに勝つにはそれが必要だ。

「それって岩渕兄弟のところに売ってない?」

 俺は商店街に存在する金物屋の名前をあげた。

 表向きは普通の金物屋だが、兄弟の趣味で剣やら斧やらも勝手に制作して売っている。法的な許可があるかどうかは俺もよく知らない。

「売ってるわけないじゃん、どう考えても」

 馬場先生は明らかに呆れていた。

「その点、オーガーは効率的なんだよね。全身が魔法の武器なわけで、直接にマナを注ぎ込んでドラゴンを攻撃するんだから。えっと、そっちの、ルシールだっけ」

「ええ。私は最新鋭なので」

 ルシールは露骨に性能アピールをしてきた。

「私の対竜マナ伝導率は、一○四・九六パーセント。最新の魔法工学技術に基づくシステムにより、実に五パーセント近くもマナを増幅して打撃をくわえることが可能。主任、わかった?」

「うーん」

 俺は唸った。

 必ずドラゴンは殺さなければならない。どんな手を使ってでも。たとえば体に爆弾を巻きつけて突っ込むことで、ドラゴンを確実に殺せるなら、迷いなくその手段をとってもいい。しかし、それでは傷すら与えられないとなると――

 俺の心中も知らず、ルシールは不機嫌そうな声をあげた。

「主任、疑ってる? 試す?」

「いや別に」

 俺の人体で試されるのは気が進まないので、話題を変えることにした。

「それより馬場先生、他には?」

「他にって」

「ドラゴンの弱点だよ。なんかあるだろ? 鱗が魔法の武器しか通さないなら、目玉とか、口の中とか。あとはそうだな、毒とか効かないか?」

「えーと、それは」

 馬場先生は、急に頼りない顔になった。

「やってみないと、なんとも。マナで守られてるのは鱗部分だけだとは思うんだけどね。あれだけ大きな図体に毒が効くのかどうかわからないし。鱗の中でも特別に脆い《逆鱗》があるって聞くけどさ」

「馬場先生、消極的だなあ」

「そりゃそうだよ」

 馬場先生はものすごい阿呆を見る目で俺を見た。

「まず私はドラゴンの専門家じゃないし、なにより、あのドラゴンだよ! ケンジくんもその目で見たんじゃないの? めちゃくちゃ強いよ。あと三日で殺そうなんて無理すぎるよ。絶対死ぬよ!」

「うるせえなあ」

 実のところ、馬場先生の言うことなら、昨夜から何度も俺の頭の中で繰り返されてきた。無理すぎる。相手はドラゴンだ。どうやって殺せる? そもそも、殺す方法があるのか?

 しかし、いまはそういうことを言っている場合ではない。

 迷っている暇があるなら、ドラゴンを殺すための努力をするべきだ。なにしろ、タイムリミットはあと三日を切っているのだから。

「――すみません、ケンジ先輩」

 ヤスオは申し訳なさそうに両手をあわせて、俺を拝んだ。

「親父はこのとおり情けねえタマっすけど、オレはマジで本気なんで。ドラゴンぶっ殺すんで! 男になります!」

「なあ、馬場先生」

 俺はヤスオを指差し、馬場先生の襟首をつかんだ。

「息子がああ言ってるんだぜ。それに、あんただってよくわかってるんだろ」

 そう、俺より頭のいい馬場先生が、わかっていないはずがないのだ。

「この街を出て、あんたがまともに社会でやっていけるわけねえだろ! マリファナ栽培で即座に逮捕だよ。いまどきそろばん塾なんて、地域密着型以外でどうやって生徒を集めるんだ?」

「いや、それはね」

 馬場先生は口ごもった。

「ぼくもわかってるんだ。もちろん。でも」

 馬場先生は凶悪な顔でメンチを切っているヤスオを見た。何か言おうとしている。その男がやってこなければ、最後まで喋ることも可能だっただろう。


「――ケンジ! みんな、トモダチ! テメエらココにいたんですか!」

 不意に、素っ頓狂なイントネーションの声が聞こえた。

 振り返ると、馬場家の塀の上からえらく長身な男の胸から上が覗いていた。その身長、軽く三メートルはあるだろう。色黒であり、日本人離れした彫りの深い顔立ちをしている。しかも、この寒いのにアロハシャツだった。

「……なにあれ」

 ルシールはまた新手の珍生物が現れたものとして非常に警戒していたが、俺は彼の顔を知っていた。

「おう、ホセ!」

 彼こそはホセ・ミラモンテス。

 その圧倒的な長身が示すとおり、出身はフィリピン諸島の《霜の環》に暮らす巨人族の若者だ。

 彼もまた《新桜庭ゴブリンズ》の一員にして、守備位置はファースト、打順は四番。その長身を生かしたダイナミックな打撃は、隣町のチームから『外国人助っ人選手』と呼ばれ恐れられている。守備と日本語については勉強中だった。

「ホセさん、お疲れっす!」

 ヤスオはキリスト教の敬虔な信徒のように、両手を組んで頭を下げた。

 彼は騙されやすいので、それがフィリピン巨人族における正式な挨拶のしぐさだと信じ込んでいるのだ。ちなみにこの嘘を吹き込んだのは俺であり、ミキヒコの迫真の演技がとどめを刺した。

 ちなみにホセは商店街の酒屋に勤務している。就労ビザはとっくに切れているものの、当局の摘発をかわし続け、本国の妻子を養うためにはたらく勇敢な戦士だ。しかしそんな過酷さをおくびにも出さない、底抜けに陽気な男である。

 だから俺は、このときホセの陽気さに影響されたのだろう。あまりにも呑気に、彼に手を振って答えた。

「ホセ、なにやってんだ? キャプテン・遠藤が探しに行かなかったか?」

「来たよ! トモダチ!」

 ホセは明るく両手を振った。彼は『トモダチ』という言葉を明らかに勘違いしており、なんとなくいい感じの相槌か何かだと思っている。

「けど、キャプテン、もう行ったよ。トラック、運転。ホセも免許ほしい。国籍よりも免許ほしいです」

「え? おい。行ったって、どこに?」

「ヤマ!」

 ホセは桜木岳の方角を正確に指さした。

「これからドラゴンをぶっ殺すって言ってたよ。ほかのみんなを連れて、先に行ってるって。トモダチ!」

「なんだって?」

「だからホセ、ケンジとババさんとババの息子も迎えに来ました。テメエら、スッゲー遅いから!」

 ホセの声は底抜けに明るい。だから俺はその言葉が意味する事態を理解するまでに、実に数秒を要した。

 足元の馬場先生と顔を見合わせる。

 馬場先生は、『やっぱり』という顔をしていた。

「まずいな」

「そうっすね!」

 ヤスオは獣の目で桜木岳を睨んでいた。いまにも吠え声をあげそうだった。

「オレらも急がないと! ドラゴン殺して男にならねえと! あっ、そうだオレ、単車回してきます!」

「違うバカ! お前は黙って――いや」

 俺は本気で怒りを感じた。

 だが、これはまったく筋違いな怒りだし、八つ当たりのようなものだ。それはわかっている。俺は冷静になることにした。

 いまは、やるべきことがある。

「いや。頼むヤスオ。単車は貸してくれ。俺とルシールが先に行く」

「ええっ! なんで! オ、オレは? オレは必要ないんスか!」

「んなこと言ってる場合じゃねえんだよ。俺は、お前を男と見込んで頼んでる。なにも言わずにバイクを貸してくれ」

「――ケンジ先輩!」

 唐突に、ヤスオは感極まった声をあげた。

「オレに任せてください! 全力で単車貸します!」

 ヤスオは狂犬のように家の裏手へと駆け出した。

 時間が惜しい。いま、みんなを失うわけにはいかない。結局のところ、やっぱり、キャプテン・遠藤たちはドラゴンの危険性を知らないままだ。

「ホセ、馬場先生をよろしく。そのまま運んできてくれ」

「え」

 馬場先生は驚愕と恐怖の表情を浮かべたが、気にしている余裕はなかった。馬場先生は必要だ、これから先では。そうして俺はルシールの肩を掴んだ。

「ルシール頼む、このままじゃ皆殺しだ」

 それは間違いない。今度こそ、俺は、ちゃんと皆を止める必要があった。

 今度こそ。

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