第7話
そうして俺たちはみんな、焼け焦げた死体の重なる登山道で足を止めた。
昨日の夜、そのままの光景がそこに残されていた。
結局のところ、俺は今日一日をかけて、ふたたび昨夜の道のりをたどる羽目になった。それはひどいストレスだったし、心臓を握り締められているような気分になったが、これはどうしても必要なことだった。
そこに残された、いくつかの死体を見てもらうことが。
「ミキヒコ」
キャプテン・遠藤はまっさきに斜面を滑り降り、密生するユズリハの茂みにかがみ込むと、それきり動きを止めた。何かを抱え込んだのがわかる。俺はそちらに視線を向けることができなかった。
代わりに、俺はルシールの様子を観察していた。彼女は無表情のまま、山頂の方の空を眺めている。
ドラゴンが近づけば、何かの兆候があらわれるのだろうか?
一方で及川さんは地面に這うように身をかがめ、無言で何かを調べはじめていた。ドラゴンの巨体が残した痕跡は、そこかしこにある。中でもドラゴンの鉤爪が山肌につけた傷跡は、えらく及川さんの興味を引いたようだった。
「おう、待てケンジ」
俺の傍らで、岩渕兄が低い声をあげた。その背後では、岩渕弟が頭を抱えて震えている。彼にとっては、よほどひどい匂いがしているのだろう。おれだって気分が悪くなるほどだ。
「こりゃあみんな、ドラゴンがやったのか? 焼けちまっとる」
「典型的なドラゴンの攻撃」
俺ではなく、ルシールが回答した。彼女は空を眺めるのをやめ、焼け焦げた死体の一つにかがみ込んでいる。
「この規模のブレスの直撃は、わたしが受けても危険なので。主任、覚えておいて」
「ああ」
なかば上の空だったが、俺はうなずいた。
さっきから嫌な汗が止まらない。風は徐々に冷たさを増している。俺は深く呼吸をしようとしたが、どうもうまくいかなかった。
それでも、少しずつ昨夜の記憶を辿る。
「そう――そうだ、一鉄、いきなりドラゴンが炎を吐いたんだぜ。俺たちはみんなやられた。これだけの数の聖騎士がいても、歯が立たなかった」
「そうかい」
岩渕兄が鼻を鳴らした。
「いくら俺様の二天一流でも、こりゃあすこし手こずるな」
すこし、と言ったが、これは相当な譲歩の証だった。岩渕兄は、たとえ九回裏、三十点差の状況でも『自分がついていれば楽勝』と言い張るほどの自信家である。どうやら、うまくいったらしい。
岩渕一鉄は、震える弟の背中を叩いてやりながら、首をひねった。
「それでお前ケンジ、どうやって戦うっちゅうんだ? 何度も言うが死合ってのはな、闇雲に戦っちゃあいけねえんだよ。俺様が吉岡一門と決闘したときなんてな、そりゃあ苦労したもんだぜ」
「――そりゃそうだ。戦うには」
俺は身をかがめ、そこに転がっていたものを拾い上げた。
長剣だった。銀色にかがやく刀身が血に塗れている。予想外に軽く持ち上げることができたのは、魔法のせいだろうか? 柄は手のひらに吸い付いてくるようだったし、その質感は金属バットと同じくらい軽い。
俺はそれを目の高さに掲げてみせた。
これは昨夜、ミキヒコが無謀にも手に取り、ドラゴンに突き込んだものに間違いない。こうした武器は、倒れた聖騎士たちのまわりに山ほど転がっていた。それらはすべて、紛れもなく魔法の武器だった。
「戦うには、武器がいるんだ。馬場先生が言ってた。魔法の武器だ」
「魔法の?」
岩渕兄は疑わしそうに俺を見たが、弟の一成の方は、すでに俺を真似て剣のひと振りを掴み、持ち上げていた。
「つ、つ、冷たい――兄貴、こ、これ、冷たい」
岩渕弟は、すぐに気味悪そうに剣を手放す。
彼には、その剣が魔法を帯びていることがわかるのだろうか? だが、岩渕兄の方は胡散臭そうに肩をすくめただけだ。
「ウチの店で売ってる剣に比べりゃあナマクラだと思うがな」
そんなことはない、と思ったが、口には出さない。俺は刀身の鋭さを慎重に指でたどりながら、ルシールを振り返った。
「魔法の武器なんだろ、ここにある、これ全部」
「うん」
ルシールは言葉少なに認めた。
「強度の中和魔法で括られた武器。開発名称・十七年式直装剣。理論上は、ドラゴンの鱗を覆うあらゆる規模のマナ構造を貫通することが可能」
ルシールの言っていることはよくわからなかったが、とにかくこれで問題のひとつは片付いたことになる。ここにはドラゴンと戦うための魔法の武器と、そして盾や鎧すらもあった。中にはひどく傷ついているものもあったが、無事なものも確実に存在していた。
正直なところ、俺はたしかにその一瞬は浮かれていた。ドラゴンを殺す道具が手に入り、今日この一日で、はじめて前進するという手応えを感じたといっていい。
そう、ドラゴンを殺す。
ミキヒコの使った剣を握るだけで、俺もちゃんと戦えるような気がした。
だから、ルシールと一成がほぼ同時に弾かれたように顔をあげたときは、背筋が凍った。キャプテン・遠藤がしゃがみこむ茂みの隣に、二人ともきわめて動物的な視線を向けていた。
「……何か、いるな」
いつの間にか、傍に寄ってきていた及川さんが静かに呟いた。
「山の中には、極端に生き物が少なくなっているんだが」
片手は猟銃を構え、体勢を低くしている。俺は及川さんの前で手を振った。少し震えているのが自分でもわかった。
「ダメだ。及川さん、ドラゴンに普通の銃は効ねえんだよ――ルシール、そこに何がいる?」
「さあ」
ルシールの返答は曖昧だった。ただ、赤い目を輝かせてキャプテン・遠藤の傍らの茂みを見ていた。キャプテン・遠藤は、茂みにかがみこみ、ときおり肩を震わせるだけで気づいていない。
「ドラゴンとの距離は、いま相互干渉不可距離」
「具体的にそれはどのくらいの距離なんだ?」
「とても遠い」
ルシールの声は非感情的だった。信じることにしようと思った。俺が魔法の剣を握り直すと、岩渕兄の方はすでに刀を抜いていた。目が血走っている。
「おい、どういうこった。ケンジ。ドラゴンじゃあねえのか? やるか、おい!」
「いや」
ドラゴンでなくても、山には危険な生き物はいる。及川さんは極端に生き物が少なくなっているというが、警戒しすぎるということはない。
「ルシール、一緒に来てくれ――キャプテン!」
俺は警告の声をあげ、慎重に斜面を下り始める。それには多少の気合いが必要だったが、最初の一歩を踏み出してしまうとあとは楽だった。
「キャプテン、そこを離れろ」
キャプテン・遠藤が怪訝そうに振り返るのが見えた。その傍らの茂みが、はっきりと揺れた。俺はそこへまっすぐに向かう。ルシールがついてくるのが足音でわかる。
「あ」
俺の隣に並んだとき、ルシールが不意に声をあげた。
「主任、あれが逃げる」
俺は足を速めた。逃げるとはどういうことだろう。よくわからなかったが、俺は剣を構えたまま怒鳴った。
「じゃあ捕まえろ、ルシール」
「了解」
ルシールは一気に俺を追い越した。そこからの動きは、猟犬が獲物に飛びかかるのにも似ていた。あまりにも身軽に斜面を蹴って加速すると、キャプテン・遠藤の傍ら、ユズリハの茂みに突っ込んだ。
枝が折れ、葉が飛び散る音、呻き声、ごく短い悲鳴、かすかな金属音。それらは数秒とかからずに止まった。俺は茂みから三歩分のところで足を止め、魔法の剣を低く構えた。使い方は知らないが、バットと大差ないだろう。
呼吸を整えなければならない。なにがそこにいるとしても、この剣を持っている限りは、半端な真似はできないと思った。
が、そうした覚悟を決めるよりも先に、ルシールの顔が茂みから突き出した。
「主任」
その声は平常よりも上機嫌に聞こえた。狩猟本能のようなものが、彼女にはあるのかもしれない。
「捕まえた」
彼女は軽々とその足元の『獲物』を示した。
そいつは人間だった。ルシールはその腕をひねりあげ、背中を踏みつける形で捕らえている。予想外なことに、俺はそいつに見覚えがあった。
俺とそう大差ないほど若い男で、その顔は苦痛に歪み、額からは出血している。それとがっちりとした体格。光沢のある銀の鎧。昨夜、俺とミキヒコの傍らにいた聖騎士に違いなかった。
「お前、えーと」
俺は彼の名前を思い出すことにした。
「杉浦だったか?」
聖騎士の若者、杉浦は、なにも答えず顔を背けた。
「おう、こいつ!」
意外にもキャプテン・遠藤は、杉浦の顔を見て大声をあげた。
「今朝、俺のところに来た野郎だ! なにやってンだ、こんなところで。東京の聖騎士どもと帰ったんじゃなかったのか」
「……ぼくは」
杉浦は低い声で呟いた。
「ぼくは、聖騎士団には戻れません」
それだけ言って俺の顔を見ると、杉浦は地面に額を押し付けて何も喋らなくなった。キャプテン・遠藤が『なんだこいつ』という目で俺を見たが、俺にだってよくわからない。だが、推測することはできた。
つまり、ミキヒコが死んだことを俺より先にキャプテン・遠藤に伝えたのはこいつだ。もしかしたら商店街のみんなにも。だから知っていた。
そして、もうひとつ確実なことがある。
生きているということは、昨夜、こいつはドラゴンと戦っている最中に逃げたということだ。あのとき、ドラゴンに立ち向かったやつはみんな死んだ。残ったのは、戦わなかったやつだけだ――俺もそうだ。
だから、俺は杉浦の前にかがみこんだ。
「キャプテン。こいつを連れて、いちど商店街に帰ろう」
俺の言葉に、杉浦は顔をあげた。彼は明らかに俺を睨んでいたが、俺は無視して空を見上げる。
もう、太陽は赤く溶けたような色になり、沈みかけている。この山に長く留まるほど、ドラゴンとでくわす可能性も出てくるだろう。
「それから、ミーティングにしようぜ、キャプテン・遠藤。俺たち、何が何でもドラゴン倒すんだよな?」
「ふん」
キャプテン・遠藤は、地面に唾を吐き捨てる。
もう、頭は冷えているようだった。
「まずはミキヒコの墓を作ってやらなきゃならンぜ。次にメシだ。そうしたら、おい、野郎ども!」
彼は斜面の上にいる、岩渕兄弟と及川さんにも向けて怒鳴った。その声には相変わらず破れかぶれの響きがあったが、それはコントロールされた怒りに変わっていた。
「俺たちは絶対にドラゴンをぶち殺すぞ! 覚悟しろ! いいな!」
キャプテン・遠藤がその気になれば、メンバー全員がその気になる。彼にはそうさせてしまう何かがあった。もしかするとそれは、狂気の伝染に近いのかもしれないが、それはそれでいい。
ドラゴンを殺すなんて、正気じゃ無理だ。
「ここにある魔法の武器もありったけ持って行こう。できるだけ早く。たぶん、ドラゴンは夜の方が――」
俺が剣を掲げてみせたとき、不意にルシールが空を見上げた。藍色に暮れかけた東の方の空だった。
「主任、対空警戒距離」
短いひとことだったが、俺は思わず呼吸をするのを一瞬忘れた。ルシールの目が、うっすらと赤く輝いているのがわかった。
ほとんど夜になりかけた空の彼方に、小さなドラゴンの影を見た気がする。すぐにそれは桜木岳を囲む山の稜線の隙間に消えた。低い咆哮が長く尾を引いていた。
「……狩りに出ていたんだと思います」
ふと、杉浦が陰気な声で呟いた。
「あいつ、基本的には、たぶん昼行性のドラゴンなんです。夜になると巣に戻ってくる。そういう習性……」
杉浦の言葉の終わりは、いまひとつ自信がなさそうだった。だが、参考にする意義はある。
ルシールは無言のまま咆哮の先を赤い目で追っている。俺は不機嫌そうな顔のキャプテン・遠藤と、斜面の上の三人に手を振った。
「早く帰ろう。いま、ドラゴンと戦っても勝ち目はねえよ」
このときキャプテン・遠藤は、なにか悪態をつきながらもうなずいたと思う。俺はといえば、ドラゴンが稜線の隙間から迫ってこないか、斜面の上から襲いかかってこないかということに集中していた。
下山し、市街地に入る頃には、俺は吐きそうなほど疲労していた。
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