第3話
馬場先生の自宅へ徒歩で向かうまでに、俺はルシールとの忌憚ない質疑応答により、いくつかの情報を入手した。彼女と、ドラゴンと、その戦い方についてだ。
結論から言う。
彼女はほとんど何も知らないに等しい。
「ドラゴン?」
と、ルシールはその単語を不思議そうに呟いた。
「それは、わたしの主任になったひとの敵」
「そう。それ。で、そいつはどういう生き物なんだ? どうやったら殺せる? 炎とか吐いてたけど、あれってどうなんだ? いくらでも吐けるのか? だったらメチャクチャやばいんだけど」
「それは知らない」
「なんでだよ」
彼女の回答はとても理不尽な気がした。
「お前は、対ドラゴン討伐支援兵器とかなんとかじゃないのかよ」
「だから、わたしがなぜドラゴンのこと知る必要があるの? 主任の指示に従う知能さえあれば問題はないはず」
ルシールはやや不機嫌そうな声で反論したが、問題は大いにあった。
前の主任、聖騎士の南雲なら、それでよかっただろう。彼女にはおそらくドラゴンに関する知識があった。俺はただのフリーターでしかない。高校卒業して正社員にもならずにフラフラしている、大学に進学もできなかった暇人だ。
「わかった」
俺は改めて認めざるを得なかった。
どうせこの戦いはものすごく不利なところからはじまっている。質問を変えるべきだった。俺はルシールを指さそうとした。
「お前さ、」
「ふが」
瞬間、ルシールに向けた指に凄まじい痛みを感じた。
噛み付かれた、と一瞬遅れて気づく。そして同時に、ルシールの歯は、ほとんどすべてが獣の牙のように鋭く尖っていることも知った。
「うお」
俺は慌てて指を引っ込めた。わずかに血が滲んでいる。
「――なにしやがる!」
「指を出したから、噛んでもいいと思った」
「いいわけねーだろ」
ルシールに悪びれた様子はない。ほんの少しもだ。俺は改めてこの少女が人間とはかけ離れた、常識の通用しない存在であることを認識した。
まあ、いい。
ドラゴンと戦うのだから、そのくらいイカれていた方がむしろ心強いというものだ。俺はポジティブな面を見ようと努力した。そうだ。そんなことより聞かなければならないことがある。
「で、お前、なにができるんだ?」
「パンチ」
ルシールは右腕をかかげた。
こうして観察する分には、まったく年相応の少女の腕にしか見えない。あまりにも細く、筋肉だってろくについている様子はない。しかし、この拳が、昨夜はドラゴンを殴り飛ばしてみせたのだ。そこは間違いない。
それからルシールは自分の膝を叩いて見せた。
「あと、キックも」
「他には?」
「ラリアット、ヘッドバット、踵落とし」
「他に」
「レスリングとボクシングと空手とカポエラ。消防庁規定のカリキュラムは全過程を優秀な成績で完了している」
「わかった、もういい」
ルシールの口調に、俺は耐え難い苛立ちを感じた。
俺はこの手の学歴というか、経歴アピールに対して深刻なアレルギーを抱えている。ミキヒコもそうだった。底辺高校を卒業して進学もできなかったことに由来する、単なる被害妄想だという自覚はある。
しかし自らを優秀と名乗るなら、接近戦には自信があるというわけだろう。
逆に言うと、それ以外のことには期待しない方がよさそうだった。俺の顔にある種の諦めを見て取ったのか、ルシールは不意に足を止めた。
相変わらず表情はないが、声が不機嫌そうだった。
「主任、まさか疑ってる? だとしたら、実際に体験してもらうのが一番理解がはやいと思う」
「いや別に」
あのパンチを喰らいたくはなかったので、俺は即座に否定した。
「お前の使いどころを考えてた。ちなみにビームとかは?」
「なにそれ」
「だよな。わかった。どっちにしろドラゴン相手に働いてもらう」
「それならいい。わたしの有用性を疑われると、非常に不愉快なので」
「そういうもんなの?」
「もちろん」
ルシールは短く肯定した。
「対ドラゴン戦闘支援兵器なので」
上等だ。あとは戦い方だ。
戦い方を組み立てることだ。俺はミキヒコの投球を思い出していた。あの稀代の馬鹿をリードしながら、いつもは無自覚にやっていたことを考え直していた。相手のバッティングの癖と思考を見定め、こちらの得意なボールで弱点を突く。
正しくそれを積み重ねることで、必ず勝利に近づくことができるはずだ。
ただ、いまはひとりでそれを考えなければならなかった。
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