第5話

 市長の娘は、たしか「細川まる子」とか、「まる美」とかいう名前だったはずだ。

 高校を卒業した後、市内の大学に入学。父親によく似て、俺たちを市内の治安を著しく不安定にするクズだと思っている。

 そして、俺たちとの交渉事には、父親よりも頻繁に出てくる。なぜなら――

「細川の野郎、ビビってまた娘を寄越しやがった」

 キャプテン・遠藤は苛々と唸り声をあげたし、岩渕兄は拳を固めて指の骨を鳴らし始めた。

「うるせえ音で弟を怖がらせやがって。次はもっと厳しく指導せにゃあならねえな。俺様に恐れをなすのはわかるが、あの市長クソ野郎、根性が入ってねえぜ」

 そう、細川市長は俺たちから散々な準テロ行為ともいえる迎撃を受け、やがて、自分が出てくるより娘を遣わせた方が安全だと悟ったらしい。

 どうも岩渕兄やミキヒコが市役所に対して相当に過激なことをやったと聞いているが、よく知らない。詳しく聞くと、犯罪幇助かなにかでしょっぴかれそうだと思ったからだ。

 とにかくキャプテン・遠藤は、細川まる子の拡声器に負けない大声で怒鳴った。

「おう! 市営グラウンドを市民が使って何が悪いんだ。親父を連れてこい、親父を! 前の市長選で俺に負けそうになったのを、まだ根に持ってやがるな!」

 恐ろしいことに、キャプテンの言うことは事実だ。

 前回の市長選で「あんなヘタレ野郎にこの街を任せておけねえ」といい出した彼は、唐突に大金をはたいて市長の座へ立候補し、そして猛烈な選挙活動を行う――どころではなく、選挙期間も野球の練習ばかりしていた。

 キャプテンいわく、「男は選挙活動よりも実際の仕事ぶりで語るもんだ」という話だった。結果は言うまでもない。

『お父様があなたに負けそうになったことなどありません!』

 細川まる子もまた、拡声器ごしに怒鳴り返す。

『前の市長選では、あなたの得票数はぶっちぎりで最下位だったのが事実です! そろそろ認めてください!』

「やかましい」

 キャプテン・遠藤は俺たち《新桜庭ゴブリンズ》のメンバーを指さした。

「こいつらはみんな俺に投票したって言ってたぜ!」

「おうよ!」

「トモダチ!」

「おす!」

「う、う、ううっうっ」

 気まずそうに顔を背けた馬場先生以外は、実際そうしようとしたのだろう。及川さんまで無言で肩をすくめた。

『未成年の馬場くんと、不法滞在者のホセ・ミラモンテスに選挙権はありません』

 細川まる子がいまの一連の対話で疲れを感じているのは、どう見ても明らかである。そのまま引き下がってくれればいいが、今日はさすがにそうもいかなかった。

『そんなことはどうでもいいので、みなさんはいますぐ避難準備をしてください。それと、ホセ・ミラモンテス氏は警察へ出頭をお願いします。これから身柄を拘束しますから』

「ひどい! そんな、それはひどいです!」

 ホセは悲しげな顔をした。

「ホセ、トモダチのみんなと一緒にいたいよ! あなた、とても残酷! 劣等種の分際でホセに指図しないでほしいです!」

「そうだバカ野郎!」

 岩渕一鉄は、あまりにも単純な罵倒をぶつけた。いまにも飛び出していきそうに見える。

「こっちはな、ドラゴン殺す練習で忙しいんだよ! 時間がねえんだ! この宮本武蔵様の邪魔をするなら考えがあるぞ!」

『ドラゴンを殺す……』

 細川まる子は目まいがしたのか、頭をおさえた。

『またそんなことを。絶対無理なので、そろそろ正気に戻ってください! ――ケンジくん!』

 不意に、細川まる子の攻撃の矛先が俺に向いた。

『あなたがついていながら、この暴走! 今度こそ止めてください。もうあんな悲劇は繰り返さなくてもいいはずです!』

「ちゃんと止めたよ。最悪の事態は」

 気は進まなかったが、俺はいちおう答えた。

「昨日なんて、練習もなしにドラゴンと戦おうとしてたんだぜ」

『だったら今日も止めてください』

 まる子の語気はやたら攻撃的だ。そこには若干の理由がある。

 細川まる子は俺と同じ高校の出身であった。クラスメイトであった時期もある。むろん高校を卒業してふらふらしている俺やミキヒコと違い、ちゃんと市内の大学に入学している。

 幼い頃はミキヒコと一緒に遊んだ記憶もあるが、いつしか俺たちがろくでもない阿呆だということに気づいたのか、近づきもしなくなった。

『お父様は市民の安全を考えて、避難活動を指揮しています。いますぐ他の人を説得してください! ケンジくん、あなたはまだ腐りきっていないはずです。まだ真人間に戻れます! 更生の余地があるんです。ミキヒコくんのことはたしかに悲劇です、でも自暴自棄にならないで、未来を――』

「……主任」

 気づけばまる子の演説が始まっていた。父親そっくりだ。ルシールはうるさそうに耳をふさいでいた。

「あれ、うるさい。黙らせていい?」

「いいこと言うぜ、クソガキ」

 岩渕一鉄は目を血走らせて、土手の上を睨んでいた。背後では一成が頭をかかえて地面に這いつくばり、いまにも叫び出しそうな様子だった。彼の感覚にはよほど堪えるらしい。

「俺様の弟を苦しめやがって。二天一流の餌食にしてやる! ヤスオ、ホセ!」

「おす! オレ、男見せます!」

「ホセ、まだ捕まりたくないから、がんばります! ボウリョクします!」

「いや、待てって」

 魔法の剣で敏感になっているせいか、俺にとっても拡声器越しの声は頭が割れそうなほど響く。それでも俺は、どうにか常識を保って首を振った。

「そりゃまずい。とりあえず交渉してくるよ。馬場先生、及川さん、みんなを」

「主任」

「だから我慢しろって、ルシール! 俺も頭が痛いんだよこの声」

「いえ、主任。くる」

「ああ?」

「対空警戒距離」

 そのとき、ようやく俺は気づいた。ルシールの目が赤く輝いていた。俺の背筋が一気に冷えた。まる子の喋るやかましい声も遠ざかった。ルシールの赤い髪も、徐々に輝きを増す。

「いま、準警戒距離――まだ近づいてる」

「……よくないな」

 及川さんは、すでに猟銃を手にとって、空を見ていた。

「ドラゴンだ」

 決して及川さんの声は大きいわけではないが、それでも俺たちはみんな、及川さんの言葉には耳を傾ける価値があると知っていた。空を見上げる。

 ――ちょうど、ドラゴンの赤黒い影が俺たちの頭上を通り抜けるところだった。まだ小さい。かなり高空を飛翔しているようだ。俺は一気に喉の渇きを感じた。やたらと渇く。

『――え?』

 細川まる子は演説を止め、呆然とそちらを眺めた。

 ドラゴンは俺たちの方を認識してはいなかった。

 しかし高度を急速に落としながら、新桜庭市の空を滑空している。市内のどこかに着陸しそうな勢いに見えた。

「まずいなあ。あの感じだと、駅前に降りそうだね」

 馬場先生は頭をかきむしった。

「まだ対策が万全じゃないのに! 練習足りてないし、対空訓練メニューが残ってるんだよ!」

「言ってる場合か、クソ野郎ども! なにをチンタラしてやがる!」

 キャプテン・遠藤は、片手のバットで地面を叩いた。そして走り出す。

「俺たちの商店街がやられたら終わりなンだよ! そうなる前にぶっ殺すからな! 俺に続け!」

 確かに、そうだ。ドラゴンを殺しても商店街が壊滅したら意味がない。

 彼方からドラゴンの咆哮が響く。それは徐々に大きくなりつつあり、確実に近づいているのがわかった。間違いなく、市内のどこかに降りるつもりだろう。

 俺はいちど大きく深呼吸をして馬場先生を見た。

「――馬場先生、やれると思うか?」

「正直言うと」

 馬場先生は肩をすくめた。

「もともとぜんぜん勝ち目なかったし。大差ないと思うよ。撃退するつもりでやるなら、まだ可能性あるかも」

「よし」

 それを目指そう。最初の夜に、ミキヒコがやったように――痛手を与えて、追い払う。ミキヒコにはできた。奇跡的な確率だったのかもしれないが、あいつは見事にやってみせた。

「俺もやってみるか」

 というより、それしかない。俺もみんなに続いて走り出すことにした。まる子はまだ拡声器を抱えて、無謀にも俺たちの説得を敢行していた。

『待ってください! ドラゴンが接近しています、市民のみなさんはいますぐ避難を――』

「黙れ! クソ市長に伝えとけ、まる子!」

 キャプテン・遠藤は、拡声器を上回る声量で怒鳴った。俺たちを輸送してきた《喫茶ふじよし》のトラックのドアを開けていた。

「俺たちはこの街を守ってやるから、てめえらこそさっさと避難しろってな! クソドラゴン野郎、ぶっ殺す! なめンじゃねえぞ!」

 俺たちはあまりにも無謀だったし、馬場先生に言わせれば、このケースはなにもかもが想定を外れていた。対決は避けるべきだった。

 だが、このとき、ほかに何ができただろう?

 こうして俺たち《新桜庭ゴブリンズ》による、最初で最後のドラゴンとの試合が始まった。

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