第6話
俺たちがドラゴンと対峙することになったのは、太陽が商店街の方角へ沈み掛け、赤く輝き出す頃だった。
ドラゴンの降下地点は、駅前の、繁華街のど真ん中であった。
俺たちの商店街ではなかったことだけが救いだ。
大型デパート『ヘリオン』の駐車場に舞い降りたドラゴンは、アスファルトをその体重と鉤爪で破砕し、太く長い首を伸ばして一度だけ大きな咆哮をあげた。そのまま、駐車場をうろうろと動き回り、なにかを探しているような仕草をしている。獲物を求めているのだろうか。
正直なところ、俺は吐き気を抑えるので精一杯だった。神経がざらついている。ドラゴンの咆哮は、脳の奥を引っ掻いてくるようだった。ドラゴンの赤黒い鱗の、一枚一枚がやけにくっきりと見える。
なにより、その首筋にある傷痕が。
全身に細かい傷がついているが、その傷痕はもっとも深い。鱗が砕け、いまだに血が滲んでいる。それどころか、体をよじるたび溢れて流れ出す。まだ癒えていないのだ。その位置の刺し傷は、ミキヒコの与えた一撃に違いなかった。
もしも馬場先生の言っていた《逆鱗》というものがあるとすれば、きっとそれだろう。十分にその可能性はある。そのことを告げると、馬場先生はちょっと驚いたようだった。
「ケンジくん、よく見えるね、そんなの。逆鱗なんて噂だと思ってたけど」
「首のあたりだ。鱗が割れてる」
「うるせえぞクソども、静かにしてろ――よし、いいぞ」
キャプテン・遠藤は、大型デパート『ヘリオン』を睨んで低く唸った。
「こんなデパート、ぶっ壊しちまえばいいンだよ」
ちなみにキャプテン・遠藤をはじめとして、《新桜庭ゴブリンズ》のメンバーはだいたいこの『ヘリオン』を激しく嫌っている。俺たちの商店街より流行っているし、大儲けしているからだ。
動くものを見ると攻撃してくるかもしれないと思ったので、俺たちはドラゴンの死角になるよう、デパート『ヘリオン』の裏側から接近した。あたりの住民は避難してもはや誰もいない――俺たちは密かに、しかし素早く、駐車場の様子を窺える物陰まで移動する必要があった。
駐車場にも当然のごとく人気はない。ただ、乗り捨てられた乗用車や、輸送用トラックがいくつか残っているだけだ。
「はあー、思ったよりでかいっすね。ホセさんよりでかい」
ヤスオはドラゴンを眺めて、恐ろしく呑気な感想を述べた。こいつの大きさに対する判断基準は『ホセよりでかい』『ホセよりでかくない』くらいしかないのだろう。
「ダイジョーブ、図体がでかいだけのヤツは弱いです。ホセが本物のパワーを見せてあげるよ!」
ホセは胸を叩いた。彼はいつも明るく、そのあたりでへらへら笑って突っ立っているだけでも心強い気分になる。及川さんと馬場先生は、小声で何事か言葉を交わしている。俺は心臓の強い鼓動を聞きながら、どうにかそれを静めようとした。
ルシールは赤い瞳でドラゴンを見つめていたし、なんとなくついてきた杉浦は、俺たちからさらに五歩分は離れた場所で完全に固まってしまっていた。腰の剣に手をかけているが、それを抜くつもりがあるかは疑問だ。ドラゴンの姿を見ただけで呼吸は荒く、顔色も蒼白。戦闘要員としては期待できそうにない。
――そういう俺の方も、杉浦のような状態に見えていないことを願った。せめてゆっくり大きく息をして、根拠のない自信を支えに背を伸ばすことにした。
そして、俺以上に落ち着きのない二人もいる。岩渕兄弟だ。
「う、う、うううう、う」
岩渕弟はさっきから歯を剥き出し、よだれを垂らして唸っていた。小刻みに痙攣しているかもしれない。岩渕兄はそんな弟の前に立ち、その肩を掴んで乱暴に揺すった。
「おう。ビビってんじゃねえぞ一成、宮本武蔵様がついとるんだ! ドラゴンなんて敵じゃねえ」
それでも、岩渕弟の震えは止まらなかった――そうしてドラゴンの様子を観察すること、数十秒。あるいはほんの数秒間だったかもしれない。俺にはひどく長く感じた。馬場先生は指を使ったサインで俺たちを集める。
「じゃ、はじめようか」
口調は軽かったが、顔を見ればわかる。八の字型の眉毛がさらに角度を増している。馬場先生の気分は重たそうだった。
「言っとくけど、勝ち目はぜんぜん無いから。どうにか撃退だけでもできれば、それはそれで奇跡みたいなもんだから」
「黙ってろ阿呆」
キャプテン・遠藤は馬場先生の襟首をつかみ、突き飛ばした。
「やるぞ。作戦開始でいいんだな?」
「はい。これから教えるフォーメーションで。守備位置についたらはじめます」
音がしそうなほど激しく首を縦に振り、馬場先生は俺たちに配置を伝えた。
確認することはいくつかある。
各自がドラゴンを囲むように。守備陣がドラゴンに接近するのを見たら、攻撃陣が全速力で駆け出す。基本的に、常に二人がかりでいく。足を止めずに絶えず動き回り、連携を途切れさせないように声を出していくこと。
その間、ドラゴンは駐車場の車ひとつひとつを、鼻先を突き出し、匂いを嗅ぐようにして調べていた。
「主任」
と、ルシールは不意に俺の指を噛んだ。まだ何かを指さしたわけでもないというのに。どうやらそれが、彼女のコミュニケーション方法のようだった。
「最新鋭の性能を見てて。わたし、戦っていいんでしょ?」
「ああ」
戦う。
その言葉を聞いたら、周囲の雑音が静かになった気がした。俺はルシールの牙をゆっくり外させた。
「チームメイトの言うことをよく聞けよ。野球ってのはチームプレイだ」
「野球? なにそれ?」
「ドラゴン殺したら教えてやってもいい。人類が誇る最高のゲームのひとつに数えられる」
「じゃあ、がんばる」
ルシールが鼻息を吹き出した。髪の色はいよいよもって赤く、確かに発光している。俺にはそれがはっきりとわかる。髪の毛の一本ずつが、まぶしい赤光を放って輝いていた。
「――おい、黙れてめえら。やるぞ」
キャプテン・遠藤の低いつぶやき。それぞれが動き出す。だが、俺はそのまま待機して、馬場先生の傍にいることを指示された。俺にはどうしても、やらなければならない役目があるらしい。
俺はいまだ五歩分の距離を保っている杉浦を振り返った。どうしても、おちょくってやりたくなった。
「お前はどうする?」
「ぼくは――」
杉浦はそれ以上何も言わなかったし、動かなかった。まあ、そんなもんだろう。それでいい。これは、俺たち《新桜庭ゴブリンズ》の試合だ。俺は震えを必死で押さえつけなければならなかった。神経がやたらと冴えてしまっている。
ミキヒコがここにいれば、と、俺は思った。こんなときにはあいつの間抜けな一言が必要だった。しかしもう有り得ない。
「はい、ケンジくん」
不意に、馬場先生が俺の目の前に何かを差し出してきた。半透明の容器、ビール瓶に近い。何か液体が入っているようだ。俺は思わず顔をしかめた。
「なんだこれ?」
「私の魔法が入ってる。これを」
馬場先生はビルの影から少し顔を出し、ドラゴンの頭の方を指さした。
「あいつの頭にぶつける。思い切り。魔法の剣で強化されてるケンジくんの強肩なら、どうにかなると思うよ」
「それ、しくじったら?」
「えーと、そう……プランC。プランCに切り替えるから大丈夫」
「なるほど」
たぶん、プランCなんてない。しくじったらとてもヤバイということだ。
俺は瓶を握り締めた。腕に力をこめる。俺は《新桜庭ゴブリンズ》のキャッチャーだ。ランナーすらぶっ殺す勢いで、内野手のグローブめがけ、ボールを正確に投げることができる。
俺が気合いを入れるのを見て、馬場先生は大きくうなずいた。
「で、次にそれがうまくいったら、ケンジくんは合図を出す」
「どういう?」
「好きなやつでいいよ。とにかくドラゴンの気を引いてもらう。それで戦闘開始ってことで」
「わかった。もうはじめていいのかよ」
「もちろん」
そう言って、馬場先生は一歩離れた。俺は大きく息を吸い込んだ。震えを止める。やることを全てやる。
合図なら、いつもの慣れているやつにするべきだった。だいたい、俺の頭じゃほかに思いつかない。
「――新桜庭ゴブリンズのクソども!」
俺は大声をあげて踏み出し、よくわからない液体の詰まった瓶を振りかぶった。ドラゴンがこっちに注意を向けるべく、ぐるりと首を動かす。心臓の鼓動がますます大きくなる。耳鳴りがする。
だが、いまやらなきゃ嘘だ。
ドラゴンの琥珀色の瞳が見開かれ、俺を睨みつける前に、軽い助走とともに大きく腕を振り出す。
「しまってこーぜ! ぶっ殺す!」
俺の投げた瓶は、軽い弧を描いて飛んだ。
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