第4話

 そうして太陽が大きく傾く頃、俺たちはかなり遅い昼食をとることになった。

 疲労困憊していた、といっていい。俺なんかは食欲がなくなったほどだ。そこへ来てキャプテン・遠藤の店の名物ナポリタンが出てきたものだから、俺の目から見てもメンバーの目に絶望が浮かんだ。

 喜々として食べ始めたのはヤスオくらいのものだろう。ホセなんかは涙を流して、苦労しながらナポリタンと格闘していた。

「ホセ、故郷の料理が懐かしい。帰りたいです」

「ホセの故郷の料理っつうと」

 一鉄はうんざりした目でホセを見た。

「あの豚肉とか牛肉とか鳥肉とかの、油の塊みたいなやつだろ。そんなもん、いま想像させねえでくれよ」

「お、お、お、おれ、あれ、好き」

「やめとけ一成、前も食って腹壊しただろうが」

「押忍、一成さんとオレは思い切り腹壊しました! ゲロまずいっすね、あれ! ホセさんの故郷ってみんなそんなイカれてるんスか? オレ、ホセさんの故郷にもっとマシなもん送りますよ!」

「ひどい! テメエらの貧弱な胃袋じゃ、ホセの故郷料理、受け入れてもらえません。優越種の悲しみを感じます。ホセはトモダチと仲良くしたいのに!」

「ンだとコラ、ホセ公! 俺様の弟に喧嘩売ってんのか!」

「うるせえンだよ、クズども! 黙って俺の特製ナポリ食えや!」

 あまりにも騒がしく、殴り合いに発展しそうだったので、ついにキャプテン・遠藤が止めに入る有様だった。ちなみに、《新桜庭ゴブリンズ》全員でメシを食うと、だいたい八割くらいの頻度で喧嘩が起きる。

 そんなわけで、俺はすこしその輪を離れ、ひとりで『ふじよしナポリ』の皿を抱えているやつの隣に座った。まだ一口も食べていない。

 どうしても疑問だったことがある。

 聖騎士の杉浦のことだった。彼は最初に口頭で説明を手伝ったあとは、黙ってグラウンドの隅に座り、俺たちの練習を眺めていた。

「あのさ」

 と、俺は迷惑そうな顔をした杉浦に声をかける。彼が身構えるのがわかった。そりゃそうだろう。俺も身構えられるようなことを聞こうとしていた。

「なんで手を貸す気になったんだ? いや、別に文句いってるわけじゃないぜ。感謝してる。でもさ、お前、さっさとこの街を離れた方がいいんじゃないか?」

 本当に、これは純粋な親切心だった。まあ、陰気な顔でグラウンドの隅からこっちを眺めていられると、かなり気分が悪いという理由も少しはある。

 正直言って、この杉浦みたいなやつは、俺が非常に苦手なタイプだ。

「ドラゴンがいるんだぜ。避難もはじまってるし。何かの拍子に死ぬかもしれない」

「――じゃあ、きみたちは」

 杉浦は青白い顔で呟いた。

「どうして戦うつもりになってるんですか? ……きみがいま言ったように、何かの拍子に死ぬかもしれないんです。ドラゴンと戦えば、きっと死にます」

 それはそうだ。俺もわかっている。

 ドラゴンと戦えば死ぬかもしれない。というか、ものすごい高確率で死ぬのだろう、たぶん。しかしそれは戦わなくたって同じだ。

「何度も言わせるなよ。俺たちがこの街の外で、まともに社会とやっていけるわけねえだろ。現実は厳しいんだぞ」

「殺されるよりマシです」

 杉浦は首を振った。殺されるよりマシ。そりゃそうだろう、たぶん。そんなことは俺たちだってわかっている。

「ぼくだって、東京に戻りたいです。でも、現場放棄したんですよ。たったひとりだけ生き残って、聖騎士団にどんな顔で出頭すればいいんですか? それに、ぼくは、きみたちを見捨てて、怖くなって逃げたんです」

 どんどん杉浦の声が暗くなってきた。やっぱりこいつは苦手なタイプだ。たぶんろくにメシを食ってないから、発想もネガティブになるのではないか?

「わかったよ、聖騎士の先生。とりあえずナポリ食えよ。べつに美味くねえけど、腹は膨れるし」

「だから! きみたちはなんでそんなに楽観的なんですか? 狂ってますよ!」

 そして、杉浦はとうとう怒鳴った。

「どうかしてます。ぼくは帰りたいんです。でも、あのとき、主任が時間を稼いでる間に、ぼくがきみたちを逃がせてれば、ミキヒコっていう人だって――」

「そういう屁理屈はいいよ、どうでも」

 俺は話を遮った。ほかにどんな反応をするのが適当だったのか、よくわからない。だから思ってることを言うことにした。

 なぜなら、俺はだんだんムカついてきていた。コテンパンになるほど、この杉浦という男をおちょくってやりたくなった。

「ミキヒコなら、逃がそうとしたところで無駄だったぜ。警告されておとなしく逃げるやつじゃねえよ。そういう言い訳はやめといた方がいい」

「言い訳? ぼくが?」

「東京に帰りたくねえからここにいるんだろ。それでいいよ。帰りたくなったら歩いてでも帰るだろ普通。ドラゴンがいるんだぜ。この街に残ってるなんて、まともな神経じゃねえ」

 俺は杉浦を指さした。

「俺たちはこのままじゃ引き下がれねえから、ここでこんなことしてるんだ。殺されるより嫌なことはある。そういう気分だ。お前はどうなんだ」

「きみたちと一緒にしないでくださいよ」

 呟いて、杉浦は顔の右半分を歪めた。もしかしたら、それは怒りと、自分への呆れた笑いが入り混じったような状態だったのかもしれない。

「違うんですよ、ぼくは、きみたちと違って臆病なんです。それは間違いないです。そうじゃなきゃ逃げなかった」

「俺もぜんぜん動けなかった」

 俺はますます苛立ってきた。

 こいつ、俺にあてつけでそんなこと言ってるのか? いや、被害妄想だ、それもわかる。それでもムカついたのは仕方ない。だから俺は徹底的に、この杉浦という若者をおちょくってやることにした。

「だから、このままじゃ終われねえ。お前だってそのつもりだから、こんなところでダラダラやってるんだろ。結局お前もイカれたクソ野郎どもの仲間だぜ」

「だから、やめてください!」

 ここにおいて、ついに杉浦は『ふじよしナポリ』にフォークを突き込んだ。ひどく憤慨しているのがわかった。俺を睨んだまま、うどんじみたナポリタンをかき混ぜる。とうとう食べる気になったか。

 何がどういう理由であれ、怒りは行動するためのエネルギーになる。そういうことなのかもしれない。

「そんなんじゃないんです。ぼくは、」

 杉浦がなにか言いかけたし、実際そのあとにまた益体もない言い訳は続いていた。だが俺はそれをまったく聞き取ることができなかった。

 けたたましいスピーカーのハウリング音と、それによって増幅された耳障りな女の声がグラウンドに響いたからだ。

『――えー、勧告します! こちら新桜庭市議会執行部です!』

 それは市営グラウンド沿いの、土手の上から聞こえた。土手の上にワゴン車が止まっており、その傍らにスーツ姿の女が立っている。

 傍らには、いかにも屈強そうな五人の男。たしかボディーガードだ。こいつらの方は市議会支給の黒ずくめの作業着を着ており、なんだか物騒な警棒みたいなものを握っている。

『そこの不法グラウンド使用集団のみなさん! 現在、市営設備はすべて使用が禁止されており、市民のみなさんには避難命令が出ています!』

 スピーカーの音量は最大で、うずくまって震えだす一成を守るように一鉄が立ち上がっていた。俺たちもみんなそれに続く。

 よくわからない顔で周囲を見回していたのは、杉浦とルシールだけだ。

『一刻も早くグラウンドから退去し、市外への避難準備を急いでください! 現在、市民の六割が避難を完了しています。計画的避難にご協力をお願いします!』

「ふざけンじゃねえ」

 キャプテン・遠藤は唾を吐き捨てる。そしていつの間にか俺の傍らに近寄っていたルシールが、袖をつかんで引っ張ってきた。

「主任。あれはなに? うるさい」

「市長の娘。俺たち、市議会からゴミクズ扱いされてんだ」

 しかし、その気持ちはわかる。

 どう控えめにいっても、俺たちは明らかに迷惑極まりない集団だった。

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