第3話

「はい、じゃあ剣振ってー」

 こうして、馬場先生の特訓はさらに過酷さを増していく。

 俺とヤスオと岩渕兄弟の四人は、魔法の剣を構えさせられ、ひたすら素振りを繰り返すことになった。先ほどのダイヤモンド走を続けながらだ。

 一塁を踏んだら、まっすぐ振り下ろす。二塁を踏んだら、まっすぐ突き出す。三塁を踏んだら横に払い、本塁で袈裟懸けに斬り下ろす。剣なんて振ったことのない俺は、バットとの違いにかなり手こずった。

「どうせみんなは素人なんだから」

 と、馬場先生は言っていた。

「本職の聖騎士とか、ハンターの人みたいにうまくできるはずないよ。とりあえず倒れない程度にイメージだけ覚えてください。リラックスしてやる感じで」

 そう言われたところで、簡単にリラックスできるのはヤスオみたいな単純なやつだけだ。岩渕兄は逆に力を入れっぱなしだったし、俺もうまくできたとは言い難い。

 だが、ひたすら単調なダイヤモンド走を繰り返し、ヤスオの剣の扱いは徐々に形になっていっているような気がした。器用なやつだ。俺がちょっとコツを聞いてみると、ヤスオは予期した通りの答えを返した。

「オス! 気合いっす!」

「お前のその気合い理論、もっとわかりやすくならねえの? 俺、ぜんぜんうまくいかねえんだけど。なんか力入りすぎる感じ」

「いや、ケンジ先輩! 走るのオレより速いじゃないっすか。一成さんと同じくらいっすよ! パネェ!」

「いや、それがよくねえんだって。めちゃくちゃ疲れるし」

 おそらく、そういうことなのだと思う。一成は無尽蔵の体力みたいなものを持っているが、俺はそうでもない。たぶん力の入れすぎで、あっという間に体力が消耗してしまうように感じる。

 あと、やたらと感覚がするどくなっているせいか、吐きそうなほど気持ちが悪い。それともこれは疲労のせいか。

「畜生、この、クソが!」

 岩渕兄などは、もっとはっきり悪態をつきながらどたどたと走り回った。

「俺様は宮本武蔵だぞ、バカ野郎! 二刀流なら、もっとちゃんとできんだよ!」

 力をこめて怒鳴り、そして剣を振り下ろした挙句に地面に突き刺してしまうこともあった。岩渕弟の方は、兄の方を気にしながらも、唸り声をあげて剣を振り回し、疲れる様子もなくダイヤモンドを駆けていた。ほとんど獣だ。

 なにかと対照的な兄弟だった。

「ドラゴンの鱗を貫通するイメージしといてね。あんまり深く叩き込む必要はないよ、そんなことやってるうちに反撃受けるから。サッ! と近づいて、サッ! と攻撃。で、離れる」

 馬場先生は下手な剣の素振りを実演してみせた。

「心臓を一撃みたいなハイリスク・ハイリターンじゃなくて、出血多量とかで弱らせる方がマシだと思うんだよね――じゃあ、これあと三十セットいこうか」

「クソ、死ね! 馬場!」

 岩渕兄は荒い呼吸の合間に怒鳴り、また一塁へ走り出した。


 守備チームも、決してこの走り込みから逃れられたわけではない。

 俺は横目に彼らの訓練を眺めていた。

「はい! ブレス! ドラゴンが大きく息を吸い込んだ!」

 馬場先生はメガホン越しに大声をあげた。

 互いに突撃・受け止めを繰り返していた三人の守備班は、その号令で思い思いの方向へ飛び退いた。が、キャプテン・遠藤とホセが同じ地点をめがけて飛び、ぶつかってしまっている。

「なめてンのか、テメー、ホセ! 頭蓋骨カチ割るぞ!」

「キャプテン! 今のはノーカウント! トモダチ! ホセ、ジャンプする方向間違えちまったです!」

 弾かれて転んだキャプテン・遠藤が悪態をつき、ホセがへらへら笑って助け起こす。キャプテンはさらに激高した。

「この野郎! 喧嘩売ってンのか、無駄な体力使わせンじゃねえ!」

「大丈夫、ホセ、体力自信あるよ! ガンバル!」

「……無駄だと思うなら、怒鳴らなきゃいいのに」

 ひとり、正確な方向へ跳躍していたルシールが首を傾げた。馬場先生はホイッスルをけたたましく吹き鳴らして、その不毛な怒鳴り合いを黙らせる。

「はい、フォーメーション大事に! お互いの位置を把握して、飛ぶ方向は別々にしてくださいね! 守備チームも足をとめたら狙い撃ちだよ!」

 馬場先生の要求は、いつだって容赦がない。


「はい、これが槍」

 馬場先生は、俺たち攻撃チームの前に何本かの魔法の槍を差し出した。

「九本までだから、大事に使ってね。これは基本的に使い捨てです」

 そいつは俺が『槍』と言われて想像するものよりも、穂先がかなり長いように思った。それに、刃が分厚く、「返し」がついている。刺さったらそう簡単には抜けなさそうだ。

「突き刺したら、そのまま離れること。抜かなくていいからね。刺したままで。できればこれは翼に刺してください」

 馬場先生は下手くそな突きのジェスチャーをした。

「というわけで、さっきと同じく走り込んで刺す練習ね。サンドバッグを用意してきたから、これにガンガン刺して。たとえばムカつく相手をイメージして、思い切り」

 このとき、まっさきに走り出したのは岩渕一鉄だった。

「馬場先生、ぶっ殺す!」

 そうして、一鉄がやれば一成もそれに倣う。ヤスオと俺は言うまでもない。


「それで、馬場先生と及川さんは?」

 何度目かの小休止の際、俺はついにその質問をぶつけることにした。

「攻撃でも守備でもないし、練習しなくていいのか?」

「私は魔法使うし、司令塔だからいいよ。体力仕事は」

 なんとなくそんな気がしていた。『魔法を使う』と。だが、俺は馬場先生が魔法を使うところなんて見たことがないのだ。というより、《新桜庭ゴブリンズ》のメンバーの誰も見たことがないに違いない。

 本当に使えるのか、という不安が拭えなかった。

「で、及川さんなら――まあ必要ないんじゃない? もう一線は引いたみたいだけど、それでも私たちよりずっとできるよ」

「あ? そりゃなんでだ?」

「及川さん、ハンターだったから」

「知ってるよ。っていうか猟師だろ、いまでも」

「だから、ハンターなんだって。ドラゴンハンター」

「え?」

 俺は及川さんを見た。及川さんは練習にはくわわらず、ただひたすら何丁も並べた猟銃のメンテナンスに集中していた。

「正確には」

 と、そのときはじめて及川さんは顔をあげ、ちょっと笑った。彼が笑うところを見るのは久しぶりのような気がする。

「幻獣専門のハンターだ。ドラゴンも狩ったことがあるというだけの」

「マジで?」

 俺はそんな話は初めて聞いた。正直言って、ひどく驚かされた。

「及川さん、ドラゴンキラーだったのかよ!」

「俺がやったのは、もっとずっと小型の、ホセよりも小さいくらいのドラゴンだ。それに、こっちには三十人くらいの戦力があった」

「だったら、なおさら――」

「後遺症でな」

 俺の言葉を遮り、及川さんは手元に目を落とした。傷が多い。特に右手の平は、真っ赤に焼けたようになっている。

「あの頃、無茶を何度かやった。そのせいだな。体内マナが枯渇して、そいつを生成する機能に致命的なダメージを負っている。もう、俺は魔法の武器を使えない」

 そうして、及川さんは猟銃を掲げてみせた。

「だから、俺は俺のやり方でやる」

 まさか、俺たちの商店街にドラゴンキラーがいて、一緒に野球をやっていたとは。ミキヒコが聞いたら、もっとすごいリアクションを返したに違いない。


「おら、チンタラやってんじゃねえぞ!」

 キャプテン・遠藤はボールとバットを手に、火のついたような目で俺たちを見た。

「足使え、足! 下半身に仕事させろや!」

 怒鳴りながら、片手で放り投げたボールを打つ。距離はかなり近い。守備チームはこれを盾で受けて弾かなければならないし、俺たち攻撃チームは連続で打ち出されるそのボールを回避しなければならなかった。

 それも十歩と離れていない距離で、キャプテン・遠藤と馬場先生、ふたり分の打球を。キャプテン・遠藤はここぞとばかりに、いつもどおりの強烈なノックを打ち込んできた。

「死ねコラ、クソども!」

「はい、どんどんいくよ」

 馬場先生のバッティングはお世辞にも上等とは言えないが、それでもこの距離ならば十分に痛烈なノックだ。一鉄とホセは何度か被弾し、俺たちが止めなければ、あやうく馬場先生とキャプテン・遠藤をぶん殴るところだった。


 一通り眺めたところ、やはり岩渕弟・一成は、凄まじいの一言に尽きた。

 魔法の武器を抱えて飛んだり跳ねたりしても、一分ほどするとすぐにまた元気に動き始める。さらには転んで擦りむいた傷が、あっという間に治っていくのも驚いた。馬場先生は、これもライカンスロープ症の特徴のひとつだと言っていた。

「まあ、そういうこった。俺様の弟はすげえんだ」

 と、一鉄は自慢げであった。

 聞くところによると、それは岩渕兄弟が中東を旅行していたときの話だ。狼男に襲われた際、一成は兄の一鉄をかばって噛まれたのだという。以来、一鉄は弟に頭が上がらないらしい。

「一成は俺様が守ってやるからな。この街を追い出されてたまるかよ。ドラゴンだろうが柳生一族だろうが、俺様が負けるはずねえんだ」

 まくしたてて、一鉄は荒く呼吸した。明らかに弟よりも彼の方が苦労しているように見える。しかし、本人がそう思い込んでいるのなら、そうなのだろう。

 一成が罹患したライカンスロープ症は、一般にはまだまだ『感染症』だと考えられている。現代医学でわかっているかぎり、噛まれた者が他者を噛んで感染することはありえない。それに、月夜の晩に凶暴になるなんてこともない。ただ神経が高ぶって、ちょっとのことで過敏に反応するだけだ。世間に流布しているのは、迷信だらけである。

 そして《新桜庭ゴブリンズ》はそうした迷信を信じていたとしても、バカだから恐れない。幼い頃から知っている岩渕一成は、いつだって岩渕一成でしかなかった。

「すこしくらいは感謝してるんだぜ、クソ野郎どもには」

 岩渕一鉄はそれだけ言って、またダイヤモンド走に駆け出した。

 彼らにも街を離れられない理由はある。一鉄は、弟を守るためなら、それこそなんでもするだろうと思えた。


「おうてめえら、馬場先生が隠れてマリファナ吸ってやがる! 許すンじゃねえ、一鉄! ぶん殴っていいぞ!」

「キャプテン! オレも親父をぶん殴りたいんで、一発いいスか!」

「ハイ! トモダチ! ホセもいっぱいぶん殴りたいです! 馬場センセイのコーチ、鬼だよ! クレイジー・デーモン!」

「よし、一発ずつだぞ。殺すなよ。及川! 馬場先生を取り押さえろ!」

「……どうかしてるな」

 答えは帰ってこないと知りつつも、俺はルシールを振り返った。

「どこに隠し持ってたんだよ、馬場先生は」

「ふが」

 馬場先生の方を指さしたのが失敗だった。俺は思い切りルシールに噛まれ、ルシールは俺の指をくわえたたま呟いた。

「主任、おなかすいた」

 それが昼飯のきっかけだった。

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