第2話
――俺たち《新桜庭ゴブリンズ》の練習は、適当な柔軟体操の後、いつも走るところからはじまる。
これが基本だ。
このときだって、俺たちに与えられた最初の練習は、まず走ることだった。
野球グラウンドのダイヤモンドを利用する、チェンジ・オブ・ペースを取り入れた走り込みだ。一塁まで軽くランニングしたら、二塁まで全力疾走。そしてまた三塁まで七割ほどの速度で走り、最後に本塁まで全力疾走で戻ってくる。
特に俺とヤスオと岩渕兄弟の四人は、魔法の剣を片手に持たされ、何周も何周も徹底的にやらされた。
その理由は、やっている間に嫌でもわかってきた。
「えー、いいですか? 諸君が持っている魔法の道具には、ドラゴンを傷つけるだけではなく、身体能力を強化、というか運動機能を補助する効果もあります」
メガホンで大声をあげながら、馬場先生はそんな風に説明した。
俺はそこで合点がいった。あのとき、聖騎士たちの動きが人間離れしていたように感じたのは、そういう仕組みだったのか。そしてミキヒコが軽々と剣を持ち上げることができたのも、あれだけの素早さでドラゴンに接近できたのも。
たしかに、感覚が鋭く冴えるような気がする。些細な音が頭の中で大きく響き、冴えすぎて気持ちが悪くなるくらいだった。
「なので、いつも以上の速度が出せていると思うんだけど――」
馬場先生はキャプテン・遠藤に腰縄を確保されつつも、魔法の盾だけ抱えてランニングしている。俺たちは馬場先生を殺したいという衝動を抱きながらも、粛々と走り込みに励む。
たしかに、いつも以上の速度は出せていたと思う。ヤスオに計らせてみたところ、俺のタイムは自己ベストを二秒ほど更新した。
「でも気をつけなきゃいけないのは、過信しないこと。強化されたといってもルシールみたいなオーガーにはとても及ばないし、それに――」
だから最初の二、三周くらいは楽しくて絶好調で走り抜けたものだ。しかしその代償を、俺たちはすぐに思い知った。馬場先生の説明は俺たちの呼吸がとんでもなく厳しくなってから、間違いなく意図的に遅れてやってきた。
「魔法とはみんなの体内にある《マナ》を使って動作します。要するに燃料だね。調子に乗って全力出しまくって、マナが尽きるとそんな感じになります。体がすごいだるいし、呼吸が荒くなったよね?」
魔法の道具を握っていても、馬場先生の足取りはさすがに軽く見えた。まだまだ余裕がありそうだ。腐っても魔法使いということか。
「それはみなさんの体が、必死で大気中のマナを補給しようとしているからですね。酸素といっしょ、無理しすぎると気絶したり死んだりするので、適度に《マナ》を消費する方法をさっさと体で覚えてね!」
「黙っとれ! うるせえぞクソが!」
岩渕兄は、荒い呼吸の合間に怒鳴った。顔色はむしろ蒼白だった。魔法の剣がやたら重そうで、地面を引きずりそうになっている。
「あとで覚えとけよ! 俺様が血祭りにあげた吉岡一門よりも酷い目にあわせてやるからな! ヤスオ、テメーも手を貸せや!」
「一鉄さん! ちょっと、これ、走ってる間にしゃべると超きついっす! マジで無理っす!」
割とヤスオはこういうのは器用な方で、走りながらある程度のコツを掴みつつあるようだった。十五周目あたりに入る頃には、もう呼吸もいくぶん軽くなっている。
俺がコツを掴むのは、さらにもう何周か必要だった――が、ヤスオよりも驚かされたのは、やはり岩渕弟のことだった。
「う、う、う、う」
唸り声をあげながら、岩渕弟は俺たちとは比べ物にならない速度でダイヤモンドを走り抜ける。明らかにペース配分を考えていない様子だったが、ほとんど疲れも見せなかった。
「すげー半端ねぇ」
ヤスオは間抜けな感想を述べた。だが、『すげー』と『半端ねぇ』を組み合わせた賞賛は、ヤスオにとって最高位のものである。
「けっ! わかったか、俺様の弟はすげえんだ。お前らクソどもと違ってな!」
岩渕兄はそんな風に悪態をつき、弟の背中を叩いた。
「あ、あ、あ、あ、兄貴、わかる? おれ、おれ、できる」
弟はがくがくとうなずいた。
もしかしたら、岩渕弟の異常な適応性は、ライカンスロープ症が影響しているのかもしれなかった。魔法の剣を手にした一成の目は、夜行性の獣のように輝いて見える。瞳孔も、こっちが不安になるほど拡大していた。
「この感じだと、一成さんが主力になりそうだね。ライカンスロープには特有のマナ容量増強現象があるのかな。詳しくないから、よくわかんないな」
馬場先生も、一成の適応能力には驚きを隠せない様子だった。彼の構想の中には、俺たち攻撃チームの四人が中心にあるのだという。
「えーと、つまり、きみたちには攻撃陣をやってもらいます。そのためには、徹底的にヒット・アンド・アウェイ! 全力疾走で接近して、叩いたら、また全力疾走で離れる! これをひたすら繰り返します」
「それ以前に、まず近づくのが難しそうだけどな」
俺の意見に対して、馬場先生は憂鬱げにうなずいた。
「そうだね。まあ、そっちは守備陣の仕事で」
「守備陣?」
「特訓メニューBの方。じゃ、あと四十周いこうか。ちゃんと適量のマナを消費して、魔法の力を使って走れてれば、もうあんまり疲れなくなるから」
こういうとき、馬場先生には大きな長所が一つある。
練習を手加減しないところだ。
「いいか、ドラゴン殺しに重要なのは気合と根性だ!」
キャプテン・遠藤は、魔法の大盾を掲げて怒鳴った。彼が苦労しながら身につけた西洋甲冑は、冬の太陽を浴びてぎらついて見える。
彼の前には、ラグビー競技者が利用する、丸太に分厚いマットを巻きつけた棒が並んでいる。それに背を預けて立っているのはホセだ。彼の方は体のサイズにあう鎧があるはずもなかったので、いちばん大型の盾だけを持たされている格好だ。
「ハラから気合い入れろ、根性でぶつかれ! 手ェ抜くンじゃねえぞ!」
「ハイ! トモダチ!」
ホセの返答はいつも底抜けに明るく、もしや状況を何もわかっていないのではないかと思わせるところがある。だが、実際のところは、彼が最も厳しい現実と日常的に戦っている。
故郷の妻と子供を養うため、警察の摘発をかわし続けながら、紙一重のところで生活しているのだ。
だからこんな風にヘラヘラ笑っていても、俺たちは誰もホセのことを不真面目なやつだとは思わない。たまにしか。
「ホセのこと、フジサンだと思ってぶつかって来てね! テメエらのションベンみたいな突進くらい、ホセ、軽く弾き飛ばしますから!」
ちなみに、ホセの言葉遣いがときどき劣悪になるのは、日本語を教えたのが俺たち《新桜庭ゴブリンズ》のメンバーだからだ。特にキャプテン・遠藤と岩渕兄の影響は甚大であった。
「……あれに、ぶつかればいいの?」
ルシールはホセを指差して首を傾げた。さきほどからユニフォームのサイズがやや大きいことばかりを気にしている。彼女は盾を持っていない。そちらの方がうまく動けるのだという。
守備練習として招集されたのは、この三人だった。キャプテン・遠藤とホセ、そしてルシール。俺たちは消耗回復のため三分間の小休止を与えられ、そのスタートを眺めていた。
「うん。そうだね」
馬場先生は、ホセの立ち位置と構えについて、若干の微調整指導をくわえながらうなずいた。
「できるだけ全力でぶつかっていって。魔法の盾があれば、そう致命的なことにならないから。これを受け止める役は、キャプテンにもルシールにも順番に、交代制でやってもらいます。みんなは、特にルシールの激突に耐えられるレベルになってね」
馬場先生は、魔法の剣で軽く地面をつついた。すごく下手な図解を書き始める。
「ドラゴンにつかず離れずはりついて、攻撃を受け止めるのが守備チームの役目です。炎のブレスにだけは警戒して。両前足の爪と、尻尾と、あといちおう牙ね。これをがっちり抑えて、攻撃陣のヒット・アンド・アウェイを成立させます」
「上等だ、この野郎」
キャプテン・遠藤は盾を構え、体勢を低くした。キャプテン・遠藤の体格は、『筋肉だるま』と表現するのが最も適切だと思う。身長はそれほどでもないが、その筋肉量はとても五十代に見えないと有名だ。
「地獄まで吹っ飛ばされても恨むンじゃねえぞ、ホセとクソガキ!」
「大丈夫!」
ホセはまた明るく答え、腰を落とした。
「ホセ、いつもいいことしてるから、行くのは天国! 逆にテメエらが地獄行きですよ! いつでも歓迎しマース!」
「いいけど……」
小さくうなずいて、ルシールは横目に俺を見た。
「主任、わたしの優秀な突撃を見たい?」
「……やってみろ」
俺はどうにか呼吸を整えようと試みながら、ゴーサインを出した。マナの使い込みによる疲労というやつは、普通の疲労とはまた違った辛さがある。いくら呼吸しても、肺に空気が入ってこない気分だった。
ともあれ、俺はそろそろ理解しつつある、ルシールがやる気を出せるような言葉を述べることにした。
「最新鋭のオーガーなら、ドラゴンも吹き飛ばせる突撃を見たい」
「了解」
ルシールはクラウチングスタートの要領で、体を低く構えた。突進の体勢というわけだろう。そちらを眺め、馬場先生は軽く手を叩いた。
「はいじゃあ、開始で」
ルシールは軽くうなずいて、地面を蹴った。盛大な土煙があがった。
――この特訓は熾烈を極めた。
五十回目くらいのルシールの突進で、ついに丸太がへし折れたからだ。それを受け止めて耐えることのできたホセも恐ろしいが、この怪物ふたりの突進を根性論で凌ぎ切ったキャプテン・遠藤はもっと恐ろしいと俺は思った。
「主任、わたしの突撃みた?」
ホセを吹き飛ばして丸太をへし折った後、ルシールは戦利品のように丸太の欠片を持ってきた。
「圧倒的なパフォーマンスだったはず」
「そうだな。あとホセが起きるの助けてやれよ。目ェ回してるぜ」
「あとで。それより主任は、わたしの性能を評価するのが先。評価基準と項目は主任に一任される規則なので。すごかった? 興奮した?」
「すごかった。興奮した。さすが最新鋭オーガーだ、間抜けヅラしやがって」
俺がルシールの肩を握り拳で突き飛ばすと、彼女は不思議そうな顔をした。
「いまの、なに? 評価されたの?」
「俺たち《新桜庭ゴブリンズ》では、いまのプレイは最高だったぜって意味だ。滅多にやらねえんだからな」
「なら、いい」
ルシールはお返しのように俺の肩をどついた。思わずよろめくパワーだった。
「わたしは高評価に喜んでいる。さすがわたしの主任、間抜けヅラしやがって」
「ああ。やっぱりムカつくな、それ。やめよう」
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