第9話

 このとき、俺たちに味方した要素は三つある。

 いきなり現れて意図不明な行動をとった一鉄を、ドラゴンが警戒したこと。その左後脚が傷だらけで俊敏な行動がとれなかったこと。何よりライターの火をかき消すような、強い風が吹いていなかったことだ。

 俺たちが一斉に点火したロケット花火は、眩い光と音を放って四方から飛んだ。色のついた煙がその軌跡を描く。狙うのはドラゴンの頭部、もしくはその付近であり、別に正確でなくてもよかった。

 ぼ、ぼ、ぼっ、と乾いた音が連鎖した。それと閃光も。

 ドラゴンは咄嗟に目を閉じ、体を地面に伏せるような姿勢をとる。昨日の最初の一撃、あの馬場先生が用意した農薬の痛みが、やつの意識のどこかに残っていたのかもしれない。

 とにかく思った以上の形で奇襲は成功した。

 ひとつだけケチをつけるとすれば、岩渕一鉄が明らかに俺たちの出現を驚いていたことだ。俺たちが来ていないと思っていたのか、それとも本当にひとりで戦うつもりだったのか。

 どっちにしろ、あとで激しく糾弾しなければならない。あとで。

「一鉄!」

 俺は走り出しながら声を張り上げた。ドラゴンに接近する。

「俺たちも手伝うよ。ドラゴンぶっ殺そうぜ!」

「お」

 中途半端に呻いたものの、一鉄はすぐに気を取り直す。花火の炸裂する光が逆光になり、一鉄の表情を隠した。

「おうよ。勝手にしやがれ、邪魔すんじゃあねえぞ! クソども!」

 そして動き出す。

 俺たちが目指していたのは、ドラゴンの背後、その尻尾だった。とはいえ花火だけで作れる隙はたかが知れている。ほんの数秒、あるいはそれにも満たない間か。足りない分は、馬場先生の持参したリュックサックの中身で補う。

「これが、私の偉大な魔法ふたたび」

 馬場先生は、ヤスオと並んで走っていた。ヤスオはわけのわからない雄叫びをあげていた。

「オォースッ! これこそ男! 男、馬場ヤスオだこのドラゴンバカ」

 ふたりがかりでそれを仕掛ける必要があった。大きな影が翻った。それは見てみれば気が抜けるくらい単純、かつ『仕掛け』と呼ぶのもおこがましい代物だった。


 シーツとカーテンとビニールシートを何枚も縫い合わせて繋いだ、巨大な一枚の布である。

 完全な正方形ではなく、あえて袋状に歪むように縫っている。

 馬場先生とヤスオは、ドラゴンに正面から走り込みながらそれを広げてみせた。なにやら自分より大きそうで、奇妙なものを見たドラゴンが一瞬だけ警戒する。前足が突っ張って、地面にくい込む。

 もちろんそんな反応が目的ではない。もっと単純な話だ。馬場先生とヤスオは正面から突っ込むと、その布をドラゴンの頭に被せ、すれ違うように走り抜けた。そのまま岩場の影に飛び込む。

 こうしてドラゴンの頭には、巨大な一枚布が絡みついた。

 ドラゴンには、器用に布を外す術はなかった。いきなり視界を塞がれたドラゴンはまず状況を確認しようとした。激しく首を振り、次に地面に頭をこすりつけ、最後に鉤爪で己の頭部を引っかき始めた。

 布と一緒にドラゴン自身の顔が引き裂かれ、血が吹き出す――そういうことだ。ドラゴンを傷つけられるのは、魔法の武器か、さもなくばドラゴン自身の爪と牙だ。馬場先生の一発芸も捨てたものじゃない。『魔法』は少しも関係ないが。

 ドラゴンが布を相手に格闘する時間は、これまでにないほどの大きな隙となった。

「ここ、一本いくぞ! 集中しろクソ野郎ども!」

 俺は怒鳴った。キャプテン・遠藤もミキヒコもいない今は、それが俺の役目だ。

 狙うのはドラゴンの尻尾だった。これさえ片付けることができれば、大きく脅威が減る。頭の布をどうにかしようと暴れる胴体に従って、その尻尾も乱暴に振り回されていた。

「ダイジョーブです、バッチコーイ!」

 ホセが勢いよく叫んで突進する。

「バッチコイ」

 ルシールも無感動に呟いて、前進した。髪が激しく赤く発光し、瞳孔が引き絞られる。両手を伸ばし、唸りをあげる尻尾を迎え入れる。

 つまり、巨人とオーガーの二人がかりだ。尻尾は受け止められ、完全にホールドされる。ホセもルシールも、思わぬ力にその表情を緊張させるのがわかった。ここしかない。俺と一鉄はもちろん、杉浦もこのときばかりは遅れず、剣を尻尾に叩き込んだ。根元から三分の一くらいの部分。

 俺と杉浦が、加速して体ごとぶつかった刃は、尻尾の中程まで届いたと思う。とどめは、一鉄が全速力の手加減なしに叩き込んだやつだ。さすが二天一流。

「殺してやる」

 一鉄は低い声で唸り、繰り返していた。

「殺してやる、畜生――殺してやる、ぶっ殺してやる!」

 一鉄は両手の剣をもう一度叩き込み、押し込んだ。俺と杉浦も慌ててそれにならった。少しでも深く。ドラゴンの尻尾の芯に通る何か、たぶん軟骨の隙間に、刃がくい込む感触があったと思う。

 あとは、ドラゴンが自分自身でちからいっぱい、尻尾を振り回そうとするだけだった。ここだ。

「ルシール、ホセ、絶対放すなよ!」

 俺は尻尾を抑える二人に怒鳴り、姿勢を低くした。ホセは無言で歯を食いしばっており、いつもの軽薄な笑いはない。いいザマだ。ルシールの髪の毛は激しく赤く発光し、火花を散らしている。

 ぶちぶちと尻尾がちぎれていく――そしてある限界点を超えてからは、一気に弾けた。俺たちは風が唸り声をあげるのを聞いたと思う。盛大に血飛沫が飛ぶ。俺たちはみんな血塗れになる。

「さすがっ」

 ヤスオが岩陰から身を乗り出し、快哉を叫んでいた。

「さすが天下の宮本武蔵っす! 超すげえ!」

「い、いいから! ヤスオは頭を下げて!」

 馬場先生がヤスオの首根っこを掴んだ。そしてメガホンで怒鳴る。

「ケンジくん、左足の方、はやく! 次の作戦!」

 そのとおり。だが、尻尾は叩き切ってやった。ドラゴンは咆哮をあげながら、足を踏み鳴らす。体をひねって方向転換しようとしている。傷だらけの左の後脚からは、さらに血が噴き出していた。次はそこが狙いだった。

 このまま、もう一本――いや。不意に、俺は額に何かが当たったような気がした。雨? いや、霰だっただろうか? なんだそりゃ。今日は快晴だ。


 このとき、俺は自分の嫌な予感を信じた。

 ドラゴンが、なぜこの岩場を休息地点に選んだのかということだ。閃くものがあった。ドラゴンは体をひねり、こちらを振り返ろうとしていた。その鉤爪がめちゃくちゃに振り回され、地面を削る。岩だった。その破片が砕かれて、宙に跳ね上げられ、飛び散っている。

 要するに、ドラゴンにとってこの岩場は、武器だらけの場所ということだ。

「逃げろ、やめだ、作戦中止! 飛んでくるぞ!」

 俺の指示は間に合ったのだろうか。それどころじゃなかった。ドラゴンの爪によって切断・破砕された岩が、霰のように降りそそぐ。ルシールもホセも尻尾を放して退避行動に移る。

 ドラゴンがあたりをデタラメに引っかき、大粒小粒の混じる岩の雨を降らす。中にはルシールくらいの大きさの岩もあった。とにかく距離を離さなければ。俺たちは全力で散開した。散開しようとした。

 しかし、尻尾が自由になったドラゴンがじっとしているはずはない。

 やつが実際、誰に狙いを定めようとしたのかは知らない。だがドラゴンは相変わらずその場を一歩も動けず、追撃に動くこともなかった。その眼前で踏みとどまったバカがいたからだ。

「なにやってんだ」

 俺は走りながら声をあげた。

「離れろホセ! 足動かせ!」

「トモダチ!」

 ホセは盾を掲げた。ドラゴンが岩を切り刻むのをやめて、明確に狙いを定める。そこからはかなり素早い。

「ホセ、テメーらにはわからないかもしれないけど、いまのでスッゲー疲れたから! 動けません! あの体勢、腰にくるから!」

 だから走り込みをしろと、キャプテン・遠藤がいつも言っていたんだ。打撃練習ばっかりしやがって。俺は足を止めた。ホセを助けなければならない。今度は、いまならできる。走り出せる。

 しかし、現実的な問題として、いま離してしまった距離と時間がそこに横たわっている。

 ドラゴンの鉤爪が走り、ホセが盾で防ぐ。火花が散る。ドラゴンにとっては、大きなネズミを殴り潰そうとしたようなものだろう。二度か三度。

 そのあたりでドラゴンの鉤爪が何本かへし折れ、そして、ホセの体が真横に弾かれた。盾は砕けて地面に散る。飛び散った血は、ホセかドラゴンか、どちらのものだっただろう。

 夕暮れ時は終わりつつあり、ドラゴンの咆哮が轟く。

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