第4話

 こうして出発は意気揚々としたものになったが、その後の首尾は何もかもうまくいかなかった。

 最悪といっていい。

 なにしろ俺が解決しようとしたいくつかの問題は、そのことごとくが失敗に終わったからだ。


 ケチのつきはじめは、馬場親子の家に向かったところからだ。

 あの親子の家は、すでに市議会によって取り囲まれ、屋内に強制捜査の手が入っていた。作業着の連中が呆れた顔で何かの植物を運び出している。おそらくマリファナだと思う。

 唯一の救いはヤスオも馬場先生も、その辺りでウロウロしてはいなかったということだけだ。とはいえ、もしかしたらとっくに身柄を取り押さえられていてもおかしくはない。

 ルシールに聞いても、

「この家、ひどい匂いしかしない。よくわからない」

 とのことだった。おまけに俺たちは市議会の連中に気づかれ、警笛を吹かれながら追い回される羽目にもなった。このときルシールが市議会の作業員を投げ飛ばしたり、蹴飛ばしたりするなどの凶行に及んだが、それは割愛する。


 町外れの及川さんの家には、誰の姿もなかった。市議会の連中すらもいなかった。

 完全に姿を消していた――もともと、何を考えているかわからない人だ。唯一得られた新たな発見は、及川さんが住む一軒家は使い方もよくわからない銃火器で溢れていたということだ。

 いくつか持っていこうと思ったものの、やはり使い方がわからないので諦めた。暴発したらこっちが死ぬ上に、ドラゴンには劇的な効果は見込めないだろう。

 いまは、及川さんが無事でいることを祈るしかない。


 ホセの身柄を回収しようと市議会に向かったが、こちらはさすがに職員一同に追い回されるだけの結果になった。

「ああ、やっぱり来た」

 ある職員なんかは、とても呆れた顔で俺たちの行く手を塞いだ。

「普通来ないでしょう、こんなところ」

「うるせえな、ホセを人質にとりやがって。来るしかねえだろ」

 俺は中指をたてて答えた。

「いますぐ返せ」

「彼には本国に帰ってもらいますから。こんな危ないところで危ないことして、奥さんと子供が泣くよ」

「畜生、てめえらは鬼だ。おい、ルシール!」

「どのくらいやっていいの? ドラゴン以外の相手は苦手」

「……殺さない程度に!」

 ちなみに、この強行突破は完全に失敗した。やはりルシールはドラゴンを殺すことを想定されたスペックの持ち主だ。殺さない程度の手加減などは、かなり苦手な部類に入るらしい。波状攻撃をかけてくる作業員たちによって、あやうく取り押さえられるところだった。

 最終的にルシールがトラックを放り投げて道を塞ぎ、爆発騒ぎを起こすことになった。俺たちは全速力でその場を離脱するしかなかった。


 それから、岩渕一鉄のことだ。

 俺にはなんて言っていいかわからない。

 彼は自宅の金物屋の庭先で、隅っこに転がしてある大きな石を眺めていた。その辺から拾ってきた、彼なりの墓石の代わりなのだろう。

「一鉄」

 俺はルシールに外を警戒させながら、彼の背後から近づき、まずは声をかけることにした。反応はなかった。

「あのさ、あんたは怪我とかなかったか?」

 これにも反応なし。まずい質問だったかもしれない。仕方なくさらに一歩近づく。嫌な気分だ。一鉄の置かれた精神状態がわかるだけに、とても嫌な気分だった。

「俺たちは、これから――ああ」

 俺は喉の渇きを感じた。駄目だ。本題を切り出せる気がしない。こんなときには、どういう感じで話を持っていけばいいんだろう。

「――俺、一成が欲しがってたメジャーリーグカード、テッド・ウィリアムズのやつ今度持ってくるよ。殿堂入りのホロ。ヤスオも欲しがってたんだけど、まあ、あいつには勿体ねえよな」

「ケンジ」

 一鉄は不意に反応した。

「一成は俺のこと、どう思ってたんだろうな」

「そりゃ自慢の兄貴だろ」

 俺はなんとか相手の心に届くような、意味のあることを喋ろうとしたが、ぜんぜんうまくいかない。

「一成はいつもあんたの後ろをくっついて回ってた。実際、俺は――」

「違う」

 一鉄はうつむいて、頭を抱えた。

「あいつはああやって、いつも俺のことを守ってるつもりだったんだ。バカだろう。俺なんかだぜ。肝心なときに動けねえような兄貴を守ってたんだぜ」

「いや、あんたは実際――」

「俺は!」

 急に叫んで、一鉄は俺を振り返った。

 その汚い髭面に浮かべていた表情のことは、本人の名誉のためにも俺は決して誰にも言うことはないだろう。そのくらい酷い顔だった。

「震えちまってるんだ。動けねえんだよ。ダメなんだ。弟が殺されたっていうのに、俺はぜんぜん仇討ちに行けねえんだ」

「そんなことねえよ、一鉄は《新桜庭ゴブリンズ》の――」

「お前はとんでもない奴だよ、ケンジのくせに。あのドラゴンと二回も戦ったんだろ。それで、まだ戦うっていうんだろ」

 一鉄はまた俺に背を向けた。

「超バカだぜ。俺はそれ以下だよ。なにやってんだ俺は」

「わかった、ごめん。悪かった」

 そのとき急に、俺は馬鹿なことをしてしまったという考えに襲われた。それ以上、俺は一鉄に近づくことができなかった。どう考えても無理だ。大の男がこんな風になっていて、どういう言葉をかけるのがベストなのだろう。

 なんというか、一鉄は長らく俺とミキヒコとヤスオにとって、年の離れた乱暴な兄貴みたいな存在だった。だから余計に無理だと思った。

「一鉄の分もドラゴンの心臓にぶちこんでくる。夜になったらウチに来いよ、キャプテンがビール冷やしてるから」

 返答はなかった。

 俺はルシールを連れてその場を離れた。


 こうして、俺とルシールは二人きりで桜木岳に向かうことになった。

 ルシールはリュックサックを、俺はカバンと魔法の剣を携えていた。俺は山道を歩きながら、少し、いや、正直言ってめちゃくちゃ後悔していた。戦って勝つための計画はあったが、まったくもって人数が足りない。

 昨日は《新桜庭ゴブリンズ》のみんながいた。

 キャプテン・遠藤のリーダーシップがあった。馬場先生の知恵があった。ヤスオの器用さと騒がしさがあった。ホセの力強さと明るさがあった。及川さんの冷静さと神業があった。一鉄の気合と根性があった――一成の勇気と力と素早さと集中力と、それから、他にもいろいろ。一成は一人だけ、たくさん持っていた。

 だが、とにかく警戒しながら歩くことだ。ドラゴンは相当に負傷し、弱っていると思うが、それにしたって不意打ちされるのはまずい。聖騎士団も奇襲でやられたようなものだ。やはりルシールの探知システムが鍵だった。

「主任、落ち込んでる? 辛い?」

 ときに、ルシールは俺の顔を覗き込んできた。俺は鼻を鳴らして答える。

「これからドラゴンと戦う以上に辛いことがあるのかよ」

「さあ。わからない。でも噛んでいい?」

「それなんだけど、なんで噛むの?」

「……それを聞くの? ……わたし、主任は変態だと思う」

 聞き返した途端に、ルシールは顔を背けて喋らなくなった。また沈黙。俺はますます暗澹とした気分になり、歩きを速めようとしたが、そこでさらに落ち込む気分になるものを発見した。

 体格のいい若い男が、魔法の盾と剣を手に、真面目くさった顔をしてそこに立っていたからだ。

「杉浦」

 俺は彼の前で足を止めた。

 にらみ合う形になる。杉浦はすさまじく不機嫌そうな表情をしていた。何かよほど気に食わないことがあるらしい。だが、俺はそんなの知ったことじゃない。

「そこをどけよ。俺たちはドラゴン殺しに行くんだ」

「知ってます。でも、どきませんよ」

「止めても無駄だぜ。ルシールを相手に戦うつもりか?」

「止めませんし、きみたちと戦うつもりもないです」

 杉浦は仏頂面のまま首を振り、腰のホルダーに吊った剣の柄を叩いた。

「この格好を見て、なんでそういう発想が出てくるんですか?」

「クソ野郎、そいつは俺が高卒の低学歴だって馬鹿にしてんのか」

「違います。なんでそんな攻撃的なんですか?」

「悪かったな。東京の坊ちゃん育ちとは違うんだよ」

「ぼくだって別に、裕福な家庭で育ったわけじゃないです。消防特務学校も奨学金をもらって卒業しました」

「屁理屈ばっかり並べやがって」

「きみがいちいち、ぼくの悪口のようなことを言うからだと思います」

「他にどういう会話すりゃいいかわかんねえんだよ、クソ野郎。ふざけんな。間抜けヅラしやがって」

 俺は杉浦の肩を殴った。それから、彼とすれ違うように歩き出す。

「さっさと行こうぜ。ドラゴン殺してビールだ。飲めねえとか言うと、酔っ払いどもの面倒を見る羽目になるからな」

 杉浦は少しの間、ぽかんとした顔をしていたと思う。だが、直後にルシールも俺の真似をして杉浦の肩を殴ったので、彼はあやうく転びそうになった。

「な、なんですか? きみまで?」

「いまのは主任たちのコミュニティにとって、高評価を与えたことを意味している。わたしも知っている。間抜けヅラしやがって」

 それでも杉浦は顔をしかめ、しばらく憮然としていたが、やがて歩き出した。足音は三人分になった。

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