2日目

第1話

 夜明け前から、キャプテン・遠藤の顔には怒りと狂気と殺意がみなぎっていた。

 むしろ言動の端々から溢れ出していたといえる。右手に金属バット、左手に硬球、そして腰のベルトには魔法の剣という出で立ちだった。

「いいかクソ野郎ども! 朝飯を食わせてやろうかと思ったが、てめえらのようなゴミ虫には勿体無いことに俺は気づいた」

 俺たち《新桜庭ゴブリンズ》はいつもの市営グラウンドに招集され、ユニフォームを着せられると、まずはキャプテン・遠藤の演説のような罵倒を浴びることになった。これもまた、『いつもの』ことだ。

 空は晴天。冷たい冬の風が、雲をみんな吹き飛ばしてしまったかのように晴れ渡っていた。

 市営グラウンドは一級河川・耳鳴川沿いに存在する施設で、サッカー場と陸上競技用のトラックが併設されている。近所の学校のグラウンドを根こそぎ借用禁止となった俺たち《新桜庭ゴブリンズ》にとって、ほとんど唯一の練習場といえた。

「これからドラゴンをぶっ殺す練習を、てめえらクソどもに――おら、寝ぼけてンじゃねえぞ! てめえから死ぬか? ああ?」

 きっとヤスオあたりが眠そうにしていたのだろう。キャプテン・遠藤は片手で弄んでいた硬球を、唐突に振りかぶって投げつけてきた。ヤスオがのけぞってかわすのが横目に見えた。

 容赦なく他人の頭部を狙って、発作的な怒りに従いボールを投げ込むことができる男。それがキャプテン・遠藤である。

「ドラゴン殺しってのは、野球と同じでチームプレーだからな。忘れンなよ、全員で守って全員で攻撃! 勝手なことをしやがったやつは、この俺が直々にあの世に送ってやるから安心しろ!」

 俺たちは横一列になってキャプテン・遠藤の脅迫じみた宣言を拝聴する。岩渕兄弟もヤスオもホセも、このときばかりは静かになる。

 ただ、いつもと違うところは、二つ。

 まず俺の隣にミキヒコではなく、ルシールがいること。そしてコーチ役の馬場先生の隣に、あの聖騎士の杉浦が陰気な顔で突っ立っていることだった。

 この場において、彼だけは《新桜庭ゴブリンズ》のユニフォームを着ていない。例の甲冑姿だった。ルシールですら、俺とミキヒコが中学生だった頃のやつを着させられている。

「で、馬場先生がてめえらクソどものコーチをしてくれるわけだが!」

 キャプテン・遠藤は、馬場先生を指さした。

「まずはコーチからありがてえ話があるからな。死んでも聞け! 聞き逃すンじゃねえぞ!」

「えーと、じゃあ、聞いてもらおうかな……」

 頼りなげにうなずいた馬場先生も、さすがに今朝は両手両足を縛られていない。腰縄をつけられて、キャプテン・遠藤にその先端を握り締められているだけだ。

「九割九分、私たちに勝ち目はないと思うけど、いちおうそれでも作戦は立ててみました。聖騎士の杉浦氏に協力してもらって、ドラゴンの生態を参考にね」

 俺は少し驚いて、杉浦を見た。彼は暗い顔つきのまま、気まずそうに俺を見返した。まったく友好的ではない表情だった。しかし、いったいどういう心境の変化があったというのだろう。

「というわけで」

 馬場先生は一歩下がり、杉浦に立ち位置を譲った。

「彼の口から説明してもらった方が、わかりやすいと思うので。どうぞ」

「――ドラゴンの」

 まったく気が進まない様子だったが、杉浦は聞き取りにくい声で説明をはじめた。

「ドラゴンの攻撃方法の中で、もっとも警戒しなくてはならないのが、炎のブレスと飛行です」

 杉浦は頭上で指を振った。もしかすると、ドラゴンが空を飛ぶことを表現したいのかもしれなかった。

「飛行しながら炎のブレスを吐く。これをされると、こちらには対抗手段が何もないんです。一方的に攻撃されます――でも、炎のブレスはいくらでも吐けるわけじゃありません。あれは――」

 杉浦はそこで大きく息を吸って、また吐いた。あの閃光のような炎が、まだ頭のなかに残っているのだろう。俺もそうだ。

「魔法の炎なんです。ドラゴンが吐き出す魔法なんです。大量のマナを必要とするから、自然回復するまで撃てる回数が限られます」

 俺はそこに、かすかな希望を感じた。

 実際、ドラゴンの猛攻の中であれだけはどうしようもないと思っていた。空を飛ぶ上に、炎までやたらめったらと吐き出されたら、戦うどころじゃない。近づくことすらできないだろう。

「個体差はありますけど、ふつうは一日に三回から四回。マナの濃い場所で生息しているドラゴンですらそのくらいです」

 ここまでくれば、さすがに俺にも少しはわかってきた。マナというのはドラゴンにとっての酸素とか、カロリーとか、そのようなものなのだろう。たぶん。

「だから……この辺りくらいマナが薄いと、二回、もしかしたら一回撃つのが精一杯……ではないかと、思います。それ以上は、極端に疲労して大幅に力が衰える可能性があります」

 杉浦は、自分に言い聞かせるようにうなずいた。

「聖騎士団の敗因は、ドラゴンのブレスです。あんなに強力なブレスを吐けるドラゴンは、近代史上観測されていなかった。炎については、盾で防ぐのが聖騎士団の戦術だったんです」

「うん。えっと、じゃあ、ブレスは少なくとも二回は吐けると考えておこう。聖騎士団の拠点を襲った時に使ったらしいし」

 馬場先生は二本指を立てた。

「これを絶対に避けること。大砲みたいなもんで、息を吸い込む動作を見極めて、射線を外す回避行動が必要です。まずはそこが重要だから、意識して練習しよう。次に、飛行は? 杉浦くん」

「……ドラゴンにとって、飛行はとても繊細な行為なんです。あの巨体を飛ばすんですから。おそらく、魔法の力も使っていると考えられています」

 昨夜、ドラゴンが飛んだところを、俺は想像してみた。あのときドラゴンはあまりにも身軽に翼を広げ、斜面から跳躍した。強烈な風圧を感じてもよさそうなものだったが、それほどでもなかったような気がする。

「やや滑空に近い形で飛行しますが、ホバリングはできません。だから、飛行しながらの炎のブレスはちゃんと狙いはつけられないんです。飛ぶには一定以上の速度が必要なので、まず当たらないんです」

「これでわかったことがあるね。はい、一鉄さん」

 馬場先生は最もわかっていなさそうな一鉄を指さした。もちろん一鉄は大声で胸を張り、堂々と回答した。

「おう! ぜんぜんわかんねえ! ヤスオ、てめー答えろ!」

「押忍!」

 ヤスオも続いて胸を張り、こちらもまた堂々と回答した。

「わかんねえっす! 親父の話が難しすぎるんじゃねえかと思います! ケンジ先輩、お願いシャースーッ!」

 たらい回しにやってきたので、俺は仕方なく杉浦を見て回答した。

「ドラゴンは空飛ぶのも炎吐くのも怖いが、そうそう簡単にはできねえってことだ。ちゃんと対策すればどうにかなるかもしれない」

 まずは避けることだ。的にならないことだ。

 聖騎士団は戦い方を間違えた。それはあの登山道という地形が悪かったのもあるだろうし、基本的にああいうレベルの大型ドラゴンとの戦いを想定した戦術ではなかったのだろう。

「そうだね。対策して戦うことが必要になってくる」

 だが、対策といっても、いったい何ができるのか? 俺はその点が最も不安だった。ドラゴンの飛行はなんとかして封じなければならない。そうでなければ、飛んで逃げられてしまう。

 俺はそこのところを確認したかった。

「なにか考えでもあるのかよ、馬場先生」

「ケンジくん、ちょっとよく考えてみてよ。私は魔法使いなんだよ」

 馬場先生は自分を指さした。

 そういえば。馬場先生は魔法使いには違いない。普段から魔法使いらしいことなんて何もしてないし、魔法を使うところなんて見たことがないとしても。

「じゃあ、要するに馬場先生が魔法の火の玉とかでドラゴンを殺るのかよ? 嘘くさいぜ、そういうの」

「いやいや! そういう魔法、少なくとも私は使えないから。私は農学部だったし。っていうか、ドラゴンの鱗を焼く威力の魔法が使える人間なんて、この世にいるかどうかわかんないなあ……」

「だったらどうするんだよ」

「それは作戦というわけで。まあいろいろ話すより、さっさと練習はじめた方がいいと思うんだよね」

 そこで、馬場先生は頭をかきむしった。

「で――みんな、本当にやるの? いちおう訓練も考えたんだけど。正直、荷物まとめて逃げた方がいいと思うんだよね、私はね。あと、ちょっとだけ現実逃避したいからマリファナ吸ってきていいかな?」

「よし、てめえら!」

 馬場先生の発言は完全に無視された。キャプテン・遠藤は恐ろしい形相で髭を撫で、そして怒鳴った。

「御託はいいから、さっさと練習はじめンぞ! 時間がねえ! おら、円陣組め!」

 そうして、馬場先生の個人的な意見は置き去りとなり、俺たちは全員で円陣を組む。杉浦を除いて。九人で肩を組むと、さっきから岩渕弟がしきりと震えているのがわかった。異様に尖った犬歯がむき出しになっている。

 なにかが彼を高ぶらせているのだろうか。少しだけ気になった。

「いいか、やるぞクソども」

 キャプテン・遠藤はどすのきいた声で怒鳴った。

 この状態からやることなんて決まっている。

「新桜庭! ゴブリンズ! ドラゴンぶっ殺すぞ!」

『殺す!』

「ドラゴン!」

『殺す!』

「ドラゴン!」

『殺す!』

「ドラゴン!」

『殺す!』

「クソドラゴンを絶、対、に、ぶっ殺す!」

『ゥオォォ――――ォス!』

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