第44話 キノコ各種


「お前らキノコ観察会に行ってこい」


 とは、我が家のボス・妻のありがたーいお言葉であった。

 我が娘はお上品にもピアノなどというものを習っており、なんちゃらコンクール予選とかいうのに出るらしい。発表会ならば、ビデオ撮影や写真撮影が俺の義務として科せられるのだが、コンクールはそういうのは禁止らしく、がさつな俺や息子がうるさくして印象を悪くするくらいなら、いない方がいい、というのが妻の考えのようだ。

 その『キノコ観察会』というか、『キノコ狩り&キノコ汁』のイベントは、市内の某山の地元団体と行政のコラボ企画である。毎年行われていて、ずいぶん前から話題にもなっていたから、知ってはいた。

 予約も特に必要なく、当日行って受付するだけというアバウトさもあって、気楽に参加できるため、非常に人気が高いイベントらしい。

 だが、それだけに参加人数も多く、数少ない麓の駐車場も満杯になると知っていたため、面倒に思ってこれまで参加を見送ってきたのであった。


「え~~~」


「やだ」


 俺と息子の声が重なった。

 その日は、どうせそういうことになるなら、俺達は海釣りに行こうと計画していたのだ。

 釣り自体は妻も嫌いではないのだが、なにしろ車が生臭くなるのでなかなか行かせて貰えない。正直言って、キノコなんかいつでも採れる。たしかに判別能力や採集能力は鍛えたいところではあったが、それだけの人数がいては、講師の先生に近づくことさえ困難だろうと思ったからだ。


「本当は、前日の土曜にバスで行くキノコツアーもあったんだけど、土曜は準備とかでちょっと忙しいからねえ……あ、ちゃんと水筒持って行くんだよ?」


 妻は俺達の反応を完全に無視して、勝手に計画を進めている。自分が行かないクセに、である。


「だから行きたくないって言って――――」


「行け」


 息子の発言をねじ伏せる、有無を言わさぬ妻の一言で、俺達はキノコ観察会への参加を強制的に決められたのであった。


 キノコ観察会の早朝。

 俺達親子は、M山の麓の駐車場へと向かった。

 幾つかある登り口の一つには古い寺があり、そこが集合場所。お寺に隣接する登山者用駐車場へ向かおうとした俺は、曲がり角に立つ地元の方に止められた。


「もうこっちいっぱいだから、あっち行って」


 恐るべしキノコ観察会。

 二十台近く入れるはずの登山口駐車場は、集合時間三十分前にはもう満車。俺達の誘導されたもう少し離れた第二駐車場も、俺が入った直後に満車となった。

 その後にやって来た人達は、更に遠い公民館へと誘導されている。

 この分では、相当の人数がエントリーしているに違いない。いったいどうなっているものかと集合場所の登山口に行ってみると、そこは老若男女ひしめき合う、一種お祭り的空間であった。

 

「はいどーぞ」


 呆然としている俺に、先に降りて受付しておいてくれた息子が、柿を一個手渡した。


「何コレ?」


「受付した人みんなに配ってた。オレは嫌いだから貰わんかった」


 ううむ。気が利いているようで間抜けな息子。

 自分が食わずとも、家族のためにもらっておけばいいものを。

 ちなみにこの柿。俺はカメラバッグの中に入れたまま三週間忘れていて、後で見つけた時には見事な熟し具合になってしまっていた。

 さて。

 ふと見ると、すでにテントの下の長机にはキノコがどっさり置いてある。どうやら、今日の収穫が少なかった場合を見越して、事務局が前もって採集してきたモノのようだ。

 種類はハツタケ、チチアワタケ、ショウゲンジ、シャカシメジ、ハタケシメジなど。オーソドックスな食菌と言われているものたちだ。これで、全くキノコが採れなくても大丈夫ってコトなのだろうが、それではつまらない。

 できれば、採れたキノコをその場でいただきたいものだ。

 その考えは皆同じらしく、ほとんどの人はその食用キノコを見るよりも、装備のチェックに余念がない。

 参加者の格好はまちまち。本格的登山っぽい人もいれば、一見ジョギング風のおじさん、どう見ても農作業に来たとしか思えない服装の人までいる。

 だが、これから始まるキノコ狩りへの期待と欲望ではち切れそうな表情は、全員が共通していた。


 そうこうするうちに時間となって、事務局から説明が始まった。

 内容は、キノコ採集の基本的な注意点、すなわち「毒キノコと食用キノコの見分け方など無く、種類を覚えるしかない」ということ、「キノコはどこにでも生えるから、足元から頭上まで広く探すこと」「柄とカサだけでなく根っこの方、どこから生えているかまで確認するのが重要」といった内容。

 それと、観察会であるからすべてのキノコを採取してきて欲しいという意味を込めて、毒キノコでもなんでも珍品を採った人には『賞品』がもらえるとのこと。しかも先生はこう言った。


「今年は非常にキノコが少ないですが、それだけに、ちょっとでも変わったキノコを見つければ、大賞の可能性はありますよ」


 それを聞いた参加者たちは俄然盛り上がり、その熱気は数倍に膨らんだ。誰一人、キノコがまったく採れないかも知れない、などとは思っていない様子。

 俺は息子の脇腹を小突いた。


「おい。講師の先生の側を離れるなよ。俺達は、キノコなんかほとんど種類は分からないし、この山のポイントも分からないんだからな」


「わかってるって」


 ところが、そうでもなかった。

 ぞろぞろと登り始めた参加者達は、最初のうちこそ固まりになって、小さなキノコの発見に歓声を上げていたのだが、ひとり、ふたりと姿を消していき、ものの三十分も経たないうちに、先生の周りに残っているのは俺達だけになってしまったのだ。

 なんだか、ものすごく取り残された感。


「み……みなさん、常連なんで?」


「いや。毎年来ておられるのは二割くらいかな。ほとんどは初めてのご参加だと思いますね」


 おそるおそる聞いた俺に、先生はこともなげに言う。

 しかし、もし素人だとすると少し無謀なのではなかろうか。見つけたキノコはすべて持ち帰ればいい、とはいえ、見つけ方にしてもコツがあるはず。しかも浅い山とはいえ、ちょっとした獣道を辿って道無き道へと分け入っていくのは、かなり勇気もいる。

 取り残された形になりつつも、俺はなんとか先生にひっついて知識を吸収しようとしていたのだが、先生も素人がいては足手まといだったのだろう。


「それでは、私はこっちに行ってみますから」


 あからさまに「はいさよなら」と告げて、一人、雑木林の向こうへと姿を消してしまったのであった。

 その時点で教えていただいたのは、スッポンタケの卵とチチタケの仲間のことだけ。

 栃木県ではマツタケ以上の獲物とされるチチタケだが、これがまた意外に種類が多く、食べられないものがあるってのは初めて知った。が、スッポンタケについては、正直言って知っていた。

 まあ、『スッポンタケの卵』なんて、初めて聞くと「なにそれ?」って思うかも知れないが、爬虫類のスッポンみたいにキノコが卵を産むってわけじゃない。要するに、いきなりキノコが出現するのではなく、卵状の物体が形成され、これが割れて、中から本来の姿のスッポンタケが登場するという寸法なのだ。

 スッポンタケはちょっとエッチな形の臭いキノコであるが、食べられる。

 先端部分は粘液質で胞子が臭いので取り除き、軸部分を中華炒めなどで賞味するというが、俺はまだ食べたことはない。何故なら非常に脆いキノコで寿命も短く、見つけるのは大抵この卵か、既に溶け崩れたもの。ジャストタイミングで食えそうなものは、たまにしか見ないし、その一本だけをわざわざ料理するために持ち帰ろうとは、あまり思わないからだ。

 なにより、スッポンタケは非常に脆い。それでも以前は、一度は試してみようかと、持ち帰ったこともあったのだが、大抵途中で粉砕してしまって食べられたものではなくなってしまった。そういうわけで、スッポンタケはあまり嬉しいキノコではないのだ。

 今回も、このキノコは卵状のものばかりで、うまく育ったものは見つからなかった。

 聞くところによれば、この卵を持ち帰ってうまく成長させれば綺麗な形のモノが取れ、それを料理すればいい、とのことらしいが、それも試したことはない。いつかはやってみたい、とは思っているが。

 このように卵から生まれるキノコ?ってのは、実はけっこうある。

 スッポンタケの仲間が、まず何種類かあって、キヌガサダケ、カニノツメなんて変わったキノコが有名。これらはもちろん卵状から展開する。他には、タマゴタケという優秀な食菌もそうだし、テングタケの仲間の多くもそうだ。ツチグリも最初はただの球で、それが展開して派手なヒトデ状の姿に変形する。


 さて、先生に置いて行かれた俺は一人で歩きだした。

 息子はといえば、先生が離脱する少し前に、脇道を見つけてそちらへ行ったっきり戻ってこない。先の方で合流する道なのは分かっていたから放っておいたのだが、もう中学生とはいえ山で子供一人ってのはよろしくない。そう思って取り敢えず合流しようと、道を登り始めた。

 むろんキノコを探しながら、である。

 しかし、最初に先生方が言っていた通り、キノコ自体が非常に少ない。

 たまにあったかと思えば、先ほど見つけた「チチタケの仲間」か、固くて成長の遅い「サルノコシカケの仲間」しかない。

 雨が少なかったことと、気温が高い状態が続いていることが、大きな理由だと先生は説明していたが、原因はそれだけではなさそうに思う。

 というのも、この山もよく登るのだが、年々暗くなっているのだ。つまり木々が全体に、成長してきているわけで、「タケノコ」の項でも申し上げたような、『落葉広葉樹が減って、常緑樹ばかりになり、しかもモウソウチクまで侵蝕してきている』現象が、ここでも起きているのである。

 こう言うと「自然の山はそんなもんじゃないのか?」と思われる向きもあるかも知れない。まあ、竹のことはさておき、それはそうなのだ。自然林てのは、何もなければ極相林すなわちそれ以上植生の変わらない林へと落ち着く。だが、それにも相応の年数が必要であり、昭和初期までは人の手が入っていたこの山は、自然林ではなかったのだ。

 だから、薪炭材としてのクヌギやコナラが管理され、たくさん生えていたし、松林もあった。そしてそういう明るい林床には、たくさんのキノコが生えたわけだ。

 ところが、そういう木が枯れ、シラカシやスダジイ、モウソウチク、あるいは植林された杉の林ばかりになると、キノコはどんどん少なくなる。

 まあ、たしかにスダジイの木には「シイタケ」なんかが生えたりもするわけだが、それはあくまで倒木や立ち枯れの木にであって、元気に成長している木に生えたりはしない。

 つまり、『最近、常緑広葉樹林になったばかりの林』にはあまりキノコは生えないのだ。


 いったんそういう常緑樹や竹を伐採してしまえれば、山もリフレッシュされるかも知れないが、この山もご多分に漏れず「こっからここまでは○○さん。こっからここまでは××さん」てな調子でたくさんの地主さんがいる。

 そういう作業をやろうとすると、その方達にいちいち許可を得なくてはならないわけで、そんな面倒なことをしてまで里山をリフレッシュしても、金銭的に得をする人は誰もいないから誰もやらない。

 つまり、気候条件も悪い上に、環境条件も悪い中でのキノコ大会、となっているわけだ。

 

 そんなわけでいくら歩き回っても、めぼしいキノコは見つからない。あれやこれやと物色しているうちに、とうとう頂上近くまで辿り着いてしまった。

 そこまで行っても息子には出会えない。集合時間は十一時半。もう降り始めないと間に合わない時間だ。一体息子はどこへ行ったのか?

 そう大きくもない山全体に、数百人の人間がうろついているのだから、滅多なことはないだろうとは思ったが、息子は臆病なようで冒険心も強い。

 道を外れて迷っているとよくないと思い、名を呼んでみた。


「○○――――!!」


 個人情報なので名は伏せておく。

 ちなみに俺の声は、でかい方でよく通る。どのくらいかというと、カラオケでマイクのスイッチが入っていないことに周囲が気付かないくらいにはでかい。

 山中は相当静かだから、声もよく響く。おそらくだが、半径百m以内にいればけっこう聞こえるのではないだろうか。

 標高は約三百六十メートルくらいの山だから、中腹で叫べば頂上近くまで聞こえたかも知れない。そのくらいの大声だ。

 しかし返事はない。

 俺は少し心配になってきた。これはもしかすると、どこかで迷っているか、答えることが出来ない状態なのではあるまいか?

 闇雲に探しても仕方ないが、そうなっているなら山道にはいまい。俺は登山道を外れ、大きめの獣道を選んで歩き出した。

 谷筋をどんどん下りながら、二十メートルおきくらいに名を叫ぶ。

 そのうちに谷へ降りたが、そこはイノシシのぬた場と化していて、凄まじい状態。

 地形は完全に変えられ、渓流であるはずの谷は泥でぐちゃぐちゃな上に、獣臭もする。立木の根も掘られてむき出しになっていた。

 むう。これはまずい。イノシシにでも突撃されていたら、子供などひとたまりもないではないか。

 更に心配になって、今度は十メートルおきに叫びながら下っていく。

 そうこうするうちに、もう麓近くになってしまい、人々のざわめきが聞こえ始めた頃。

 とても小さな声で遠くから


「うーるーさーいー」


 と息子の声。


『どこにいるんやーーーー!?』


「もーうー下―りーたー」


 なんだ。心配すること無かったか。

 と、あわてて駆け下りた俺は、登山口で待ちかまえていた息子に、軽く腹にパンチを入れられた。


「何するんや!? DV……これはDVだ!!」


「だまれ!! 恥ずかしいやろ!! ずっと叫んで!!」


「聞こえとったんか!? ならなんで返事せんのや!?」


「恥ずかしかったから、返事せんかったんや!!」


 なんと愚かな息子よ。

 たとえ恥ずかしかろうと、たった一度返事してくれれば、何十回も名前を叫ばれることなど無かったろうに。


「あらー会えたの? ○○君、よかったわねえ」


 言い争う俺達の脇を、にこやかに通り過ぎていくおばさん達。

 この半日で、我が息子は参加者のほとんどに名を覚えられてしまったに違いない。

 叫び続けた俺には、罪はない、と思うのだが。


 ところでキノコの収穫の方はというと、結局、息子と俺を合わせても、量も種類も大したことはなかった。

 前述のチチタケの仲間、サルノコシカケの仲間、スッポンタケの卵、腐りかけたイグチ、それと小さくてみみっちいオチバタケ。それ以外には、息子が食菌の「カワリハツ」、俺が毒キノコの「ニガクリタケ」を採ったくらい。

 山中に散っていた他の参加者連中はどうだったのか? といえば、その大半は俺達と同程度の収穫状況だった。だが、一部の「常連」と思しき人達の収穫物は凄かった。

 ツキヨタケ(毒)、オオワライタケ(毒)、ドクツルタケ(毒)、コガネタケ、アミタケなど、驚くほどの量と大きさの逸品が提出されている。

 それは偶然発見した、と言うには見事すぎる。いったい、どこをどうやって動き、そんなにたくさん採れたのか、結局おれにはさっぱり分からなかった。


 さて、採取されたキノコの紹介を先生が終え、結局、賞品のマイタケ一㎏は、見事なコガネタケを採った人に送られた。

 その後、振る舞われたキノコ汁は、結局先生方が前もって採取してきていたキノコで作られ、俺達参加者のキノコは使われなかったのが非常に残念だった。

 おそらく、万が一にも事故が起きない為の配慮ではあったろうが。

 キノコ汁はなかなかの美味で、持っていったおにぎりとベストマッチ。そういう意味では充分に満たされた、といえる観察会ではあった。

 だが、狩猟本能的にはまったく満足していない。俺と息子はどうにも気が収まらず、いつもの空き家「爺さんの家」へ。

 時期的にいいタイミングであろうと思ったのだが、これが大正解で、ほんの数分で両手に余るほどのハツタケとクギタケ、チチアワタケが採れた。

 あれほど山中を歩き回り、息子の名を叫んだ数時間は一体何だったのか?

 なんだかとてもアホらしい気持ちになった俺達は、げっそりと疲れた心と体を癒すため、午後からはため池でブルーギルを釣って過ごしたのであった。ギルならば必ず大漁であるから。


 夕食。初めてギルの唐揚げを口にした息子は、けっこう気に入ったらしい。

 だが、次回はぜひもう少しマシな釣りモノを体験させてやりたいものだ。

 妻も一匹食べたのには、こちらが驚いた。かなり潔癖な方だと思うのだが、ちゃんと料理してあれば、大抵のモノは食べられるということのようだ。

 女の感覚はよく分からない。

 祖父の家で採ったキノコ群は味噌汁に。以前はこそこそと料理していたが、こうなればもう、隠し立てする必要はないので、家族全員で味わった。

 今回、観察会のキノコ汁で教わったのだが、キノコ汁には一切ダシを入れないもののようだ。これまでは、当たり前のように鰹だしや昆布だしを使っていたが、それではキノコの微妙な旨味が分からなくなる、ということらしい。

 たしかにそうすると、薄味ではあるが、ハツタケからしみ出たと思われる旨味が味わえ、その野趣と独特の香りで、いかにも採取モノらしい料理となった。

 なるほどなあ。今度からきゃっちしたものを料理する際には、この辺も気をつけた方がいいようだ。

 こうした発見やレベルアップが出来るのも、きゃっちあんどいーとの楽しみである。

 だが、来年のキノコ観察会に参加するかどうかは、天候と息子の成長具合を見て決めようかと思っている。


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