第22話 ○○○○バス
もったいぶって伏せ字にするほどのことでもないのだが…………
前にも書いたが、社会人になってしばらくの間、俺はルアー釣りに凝っていた。
主な理由は、西表島で取り逃がした「GT」を今度こそ仕留めるため、ルアーキャスティングの練習を兼ねて、その辺の川や湖で釣り歩いていたからである。
だが、釣れてくるのはほとんどがブラックバスであった。
たまにブルーギル。
もっとたまにナマズ。
コイやウグイが掛かるのはもっと珍しい。
一度だけ、カワムツがルアーに掛かったこともあるが、これはかなりイレギュラーだろう。
これではちっとも面白くない。
なんというか、俺は多彩な魚種を楽しく釣りたかったのである。
いくらなんでも、もう少し何とかならないものであろうか? 俺は、それまで敬遠していた、ルアー雑誌を買い求め、対象魚を探した。
すると、基本的にルアーマンと呼ばれる連中は、ほぼブラックバスと渓流のイワナやヤマメ、ニジマスなどだけを対象としていることが分かってきた。
彼等にとって、ギルやナマズは「外道」ということになるらしい。
話は逸れるが、俺はこの「外道」という釣り用語が嫌いである。餌や
「外道」と呼ばれるべきものがあるとするなら、対象魚と違うからといって、『
彼等も、生態系の重要なメンバーである。自然の胸を借りて遊ばせて貰っている以上、自然に出来るだけダメージを与えないようにするのは、当然であり、マナー以前の問題だろう。何より、それ以前に対象魚もそれ以外の魚も、同じ一つの命である。それを尊重できないようなクズ野郎は、釣りなどする資格はない、と思うのだ。
さて、その時俺の買ったルアー雑誌には、釣れてしまったナマズをその辺に放置する事が、当たり前のように書かれていたり、これまで日本にいなかったはずのスモールマウスバスやストライプトバスが釣れるようになったことが、さも喜ばしいことのように書かれていたり……正直、胸クソの悪くなるような価値観が満載であった。
だが、そんな雑誌において、唯一俺の目を引いた項目があった。
ソルトウォーター・ルアーフィッシング。つまり海でのルアー釣りだ。
なるほど、水底の有機物や微生物を主に食べる種の多い、淡水魚よりも、稚魚や小型魚、エビ、カニなどを襲うことの多い海水魚の方が、ルアーに反応するって話は、理にかなっている。
中でも、シーバス、つまりスズキのルアーフィッシングに俺は魅せられた。
雑誌の投稿欄には、小さくても四十~五十センチ、最大では百センチを越えようかという超大物スズキまでもが、嬉しそうな釣り人の笑顔と共に載っている。
釣り方を見ると、夕方から夜にかけての漁港や桟橋、河口域がポイントになるらしい。
しかもご丁寧なことに、それぞれのポイントでの投げる方向や、ルアーの選択まで書いてくれている。コレで釣れないなら、よほどの間抜けに違いあるまい。
俺は「GT」用に買い込んだシーバス専用ロッドを磨き、その機会を待った。
それは、釣れる時期と釣れる時間、両方が合致した時を逃さずに、釣れるポイントに自分が行ける日のことだ。
その日は残業もなく、翌日は土曜。しかも、いつもは電車通勤であるのだが、前日に現場出張であったため、自家用車での出勤が認められた日。
夕方からの時合いは狙い目。しかも季節は初夏。河口でシーバスが湧く季節のはずだ。
俺は、終業のチャイムが鳴ると同時に、上司への挨拶もそこそこに会社を飛び出した。
ポイントは『河口』とはいっても、どこでも良いわけではない。
釣ったら食うのが決まっているのだから、あまり汚れた川はイヤだし、やはり釣れた実績のある場所がいい。
俺が選んだのは、車で約一時間のところにある、一級河川の河口である。
ルアー雑誌によれば、この季節、若アユの遡上が最盛期のはずだ。河口近くの堰に止められたアユたちは遡上しきれず、付近に溜まる。
そのアユを狙って、海からやって来るのが、巨大なシーバスことスズキであるというのだ。
俺は燃えていた。
この日のために用意した、
時期、時刻、天候、そして
これで釣れないはずがない。
勢い込んで釣り場に到着したのは十八時頃。夏至近くであるから、まだまだ日は高い。
だが、すでにタックルはセット済みだ。
時間が惜しい。すぐさまキャストする俺。ルアー釣りは手返しこそがすべてなのだ。投げた回数が釣果に比例するのである。
河口堰の横に張り出すように形成された砂州の上に立ち、水の落下で白く泡立つポイントへ、何度もルアーを投げ込む。
だが、予想に反して魚の反応はない。何度かキャストして、攻め方を変えようかと考え始めた頃、楽しげな男女の声が近づいてきた。
その辺に車を止めてきたのだろう。
大学生っぽいカップルは、俺に気づいたのか気づかないのか、数メートル離れた場所で談笑を始めた。
まあ、それは良いのだが……何を思ったのか、カッコつけるつもりかその男の方が、川へ向かって石を放り始めたのである。
それも、一個ではなく、何回も。
「オイコラ!! 人が釣りしてるのに、石投げるヤツがあるか!!」
思わず俺は怒鳴っていた。
平謝りに謝って、立ち去るカップル。
釣りをしないヤツには分からないかも知れないが、岸辺で騒ぐだけでも魚は散る。
水中は空気中よりも音が伝わりやすく、遠くまで音が届く。視界の効かない濁り水の中では、特に魚は音を頼りに行動するものだ。川に石を投げるなど言語道断である。水面を叩いて網に魚を追い込む漁も存在するくらいなのだ。
釣りなどしたことがないヤツだったのだろう。いや聞くともなしに聞いた会話では、女が男に何か相談している様子で、恋人未満という雰囲気だったから、男は舞い上がっていたのかも知れない。
ソイツに悪意はなかったのかも知れないが、石など投げ込まれた場所では、しばらく魚は食ってこない。
これでは、目の前のポイントは諦めるしかなかった。
だが、ナビも持っていなかった頃のことである。そこから別のポイントに移動しようにも、付近の道が分からない。下手に迷って時合いを逃しては、意味がない。
だが、俺はふと思いついた。
ここから動けないにしても、何も、目の前のポイントに拘る必要はないのではないだろうか?
アユは海から上ってくるわけだ。それを追ってスズキも上ってくる。
河口とはいえ、流れはある。
このまま糸をフリーにして、流れのままにルアーを流し、それを引いてくれば、けっこう広範囲が探れる上に、自然な動きが演出できるのではないか?
思いついたらやってみるのが、俺の釣りの基本姿勢である。
今まで投げなかった下流へ、軽くキャストして糸をフリーにすると、思った通り流れに乗ったアユカラーのルアーは、海の方へと流されていく。
そして、ほとんどリールに糸が残らないほどまで流した。つまり、百メートル近くは流したことになる。
フローティングミノーは軽いから、普通に投げれば三十~四十メートルといった距離しか跳ばないわけで、それだけの範囲を探れるだけでも思いついた甲斐があった。
俺はほくそ笑みながら、リールを巻き、竿先をしゃくってルアーにアクションさせる。
さすがに一投目から食いついてくる魚はいないが、思いつきは間違っていないはずだと、数度同じ事を繰り返した。
何度目かの時、流し終わって糸を巻こうと竿先をぐいとしゃくると、遠くで魚が跳ねた。
遠い。距離にして百メートル近くは離れているだろう。種類までは分からないが、なかなか見事なサイズの魚だ。
なるほど。あんなヤツがいるなら、まだまだ頑張らねばな。
そう思ってリールを巻こうとしたのだが……重い。
先ほど跳ねた魚が、また二度、三度と跳躍する。
何コレ? ああっ!! アイツ、俺のルアーに食いついてんの!?
魚までの距離が遠すぎて、実感が伝わってくるまでに、時間が掛かってしまった。
しかし、でかい。
シーバス用に調整したはずのリールのブレーキを無視して、糸がどんどん引き出されていく……っていうか、もう糸が残っていない。ルアーを流しすぎていたのだ。糸がすべて引き出されたら一巻の終わりだ。
慌ててブレーキを締め、ファイトを開始する。
その魚は、大きいだけでなくファイトも素晴らしかった。
でかさから見てボラの可能性もあると思ったが、ボラは尻尾で水面を走ったり、水上に顔を出して頭を振ったりはしない。
場所は河口。これは間違いなく念願のスズキであるはずだ。
魚はなかなか寄ってこない。俺は、
四苦八苦しつつ、なんとか引き寄せてくると、幸いなことに、二十メートルくらいからは、川は随分浅くなっているようだ。潜れなくなった魚は、一気に消耗した。だが、横倒しになって引き摺られながらも、隙あらば走ろうとする。
さすがはスズキ。不屈のファイターだ。
貴重な最初の一匹である。俺は、最後の数メートルまで油断せず、慎重にリールを巻いていった。魚体が大きすぎて、持ってきていた
仕方なく俺は、
もうこれで逃げようがない。
勝利の味を噛み締めながら、魚体をまじまじと見る。
さすがスズキ=シーバスと呼ばれるだけのことはある。実にブラックバスに似た魚だ。
全体のフォルムはブラックバスそっくりだ。
特に顔はブラックバスそのもの。
尾ビレも意外に丸みがあってブラックバスに似ている。
ほほう。体側に黒い線が入っているのも、ブラックバスそっくりだな。
体色も全体に緑っぽくて、ブラックバスっぽい。
…………ってコレ……もしかしてブラックバスと違うか?
ブラックバスだった。
ショックのあまり、その場に両膝を付く。これほど立派な『対象外種』をゲットしたのは生まれて初めてだ。
「外道」を邪険に扱う「外道」な釣り師どもの気持が、少しだけ理解できる。
あまりにむかついたので大きさは測らなかったが、中型クーラーに入りきらなかったので、間違いなく五十センチどころではなかったはずだ。下手すると地域の
そしてその後もしばらく粘ってみたが、結局スズキは釣れなかった。
…………食ってやる。
釣れなかったのはブラックバスのせいではない。が、何だか腹の虫が治まらなかったのである。
帰路、俺は、もっとも豪快でコイツに相応しい調理法を考えた。せっかくの巨大バスだ。切り身などにせず、姿をそのままに食べたい。
塩焼きもいいが、火が通るのに時間が掛かりそうだし、何より、コレが乗るような焼き網がない。でかい鍋はあったが、煮るのとかは生臭そうだし、勘弁だ。
…………揚げるか。そう思いついた。
今はほとんど見かけないが、昔『鯉の丸揚げ甘酢あん掛け』という中華料理があった。
父がよくそれを真似て、結婚式でいただいた冷え切ったタイの塩焼きを、丸揚げ甘酢あん掛けにしてくれたものだ。
油で揚げれば確実に早く火が通るし、臭みも少しは消えるだろう。
何より、巨大中華鍋なら丸ごと調理できる。
俺は出来るだけでかい中華鍋を買い込み、あん掛けの具になる干しシイタケ、ニンジンを買い込んで、社員寮へと帰った。
帰るなり、早速、調理室でブラックバスの調理の開始である。
それにしてもでかいバスだった。
まな板の上には当然乗りきらない。巨大中華鍋でも、一度に揚げることは出来ず、鍋のカーブに合わせて、頭部から順番にスライドさせて揚げていくしかなかった。
胃の中からは、やはり子アユが数匹出てきたことも申し添えておく。
結論から言えばこのバス、なかなかの美味だった。
河口とはいえ、綺麗な川だったし、美味なアユばかり食っていたバスだから、そのせいもあるのは間違いないだろう。
しかし、それ以上に料理法が当たったようだ。
バスは皮に独特の臭みがあるのだが、それが油と甘酢によってうまくマスキングされて気にならない。もともとバス肉は多少パサつき感があり、締まりがないのだが、それも油でしっとり感が補充され、高温で揚げることで水分が飛んでいた。
バスというと、皮を引いてのムニエルやバター焼きが一般的だが、甘酢あん掛けも確実に美味い。機会がおありなら、ぜひ試してみていただきたい。
結局、夜半過ぎまで掛かって、五十センチオーバーの巨大バスはすべて俺の腹に収まったのであった。
その後も、何度か同じスタイルで釣行したが、河口でシーバスは一度も釣れなかった。
まあ、あれほどベストな条件で釣行出来なかった、というのもあるのだが……本当に河口にスズキはいるのだろうか? みんな、ブラックバスに騙されているんじゃないか? などと思ってしまう。
むろん、スズキ自体を釣ったことがないわけではない。東京湾のルアー釣り船や、港の夜釣りでは釣れた。
だが、河口で、アユルアーで、大物のシーバスを釣らない限り、なんとなく俺は、ブラックバスに呪われたままの気がする。
そしてあれから十年以上経つ今も、まだリベンジできていないのである。
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