第23話 ブルーギル


 ナマズ1で書いたが、ギルを初めて食ったのは大学一年の春であった。

 その時は、あくまでナマズのついでだったわけだが、その時、意外な旨さに俺達は気づいていた。

 よく、ブラックバスは意外に美味しい、というような記述を見かける。

 だが、ハッキリ言って味だけで言えばギルの方が数段上だと俺は思う。

 まず、身の締まりがいい。

 ブラックバスは、あのようなファイトを繰り広げる魚とは思えないほど、身が柔らかくて脆い。シコッとした白身の旨さがないのである。

 また、バスには独特の臭みがある。

 確かに皮を引けばその臭いは激減するが、ゼロになるわけではない。まあ、ゼロになったら風味も何もないわけで、どんな魚を食べても同じって事になってしまうわけだが、ギルの場合はその風味が良いのである。

 むろん、皮は引いた方が良い。

 皮に臭みがあるのはバスもギルも同じで、食えないことはないものの、その臭いのする皮は、決して旨いものではない。

 また、ギルにはバスにない小骨がある。

 身も平たくてさばきにくい。

 大型個体が少なく、料理しにくい。

 何より、生の状態では相当生臭く、不安をかき立てる。

 といったような欠点が多々あり、やはり、標準的に食卓に上るにはハードルの高い魚なのかとは思う。


 だが、料理してしまえば、その旨さは海水魚にも劣らないと思う。

 これは俺の主観ではなく、客観的にその意見を集約できたことがある。

 あくまで、偶然の産物であったのだが。


 その日、俺達はW県の漁港まで「メッキ」釣りにでかけた。

 メッキとは、「マングローブ林の幸」でお話ししたGT、つまりロウニンアジやギンガメアジ、オニヒラアジなどの稚魚のことである。

 巨大魚の稚魚を釣ってしまうのは、何となく気が引けるが、季節暖流によって流されてきた彼等は死滅回遊魚、つまり成長して南方に帰ることなく、寒くなると死んでしまうのである。

 どうせ死ぬのであるから、釣らせていただいても問題あるまい。

 ということで、ルアーの練習がてらメッキ釣りに来たわけであった。

 ところが、どうも食いが渋い。釣り雑誌には爆釣と書かれていたのだが、何度投げても雑誌に書かれているような、先を争ってルアーを追う姿などは見られないのだ。

 しかも風が強い。

 風が強いと仕掛けが飛ばせず、思った場所に打ち込めない。ルアー釣りは、魚の動きを予測し、どういうルアーをどこに打ち込むのか、きちんと把握してやらないと釣れない。

 全く釣れないわけではなかったが、多いヤツでもやっと二匹。むろん、一匹も釣れないヤツもいる。これでは夕飯どころか、酒の肴にもなりはしない

 メッキはそもそも小さいのだ。こんな獲物なら、一人あたま数匹は欲しい。

 俺は夜のつまみを確保すべく、サビキに活きエビを付けた『卑怯仕掛け』や足元のギンポやハオコゼを釣る、「ブラクリ+極小針」を駆使して獲物の確保に努めたが、思うように掛かってこない。

 そのうち、友人達が「つまらん、確実に釣れるとこへ行きたい」と言いだした。

 メッキポイントへ案内した、W県出身の友人がそれを聞いてムッとする。


「ちゃんと釣れたやないか。こんだけ風強かったら、どこも一緒や。そんないつも入れ食いみたいなところあらへんわ」


「入れ食いがええんや。ガンガン釣りたいんや。それとも何か、あんなに苦労してやって来たのに、W県てのはこの程度なんか?」


 たしかにW県は遠かったのだ。

 出発は午前二時だったが、当時、自動車道が完全には開通していなかったこともあって、ようやく釣り場にたどり着いたのは、朝六時過ぎだった。

 結局俺達は寝ていない。無茶なことを言い出す、とは思ったが、まあ、半分無理もないとも言えた。


「……分かった」


 しかし、故郷をバカにされたW県出身男はめげなかった。入れ食いの地へ案内する、というのだ。

 メッキポイントを後にして車に乗り込み、案内されるままに到着したのは……海岸脇の沼。


「ここ……いくらでもギル釣れっから」


「ええっ!? 入れ食いってギルか!?」


「入れ食いがええて言うてたやないか。それに、ここならいくら風が強うても関係ないしな」


 たしかに、周囲は森に囲まれ、ウソのように風がない。しかし……なんでW県まで来てギル釣って帰らにゃならんのだろう…………。

 俺達はぼやきながらも、せっかく来たのであるからと釣り始めた。


 W県出身男によれば、そこは、もともと魚などいなかった沼だという。

 何故なら、元はといえば海だったからだというのだ。

 それが、そいつが小学生くらいの時の台風か何かで地形が変わり、海水を閉じこめた沼になった。しばらくは、カレイが釣れたりしたのだという。

 しかし、そんな場所はすぐに水質が悪化する。

 緑色のヘドロが浮いたというから、しばらくラン藻が繁茂したのであろう。

 そのうち、次第に岸辺にアシなどが生え始めたらしい、ということは、どうやら次第に淡水化していったようだ。

 そして、彼が小学校を卒業する頃、妙な噂が立ったのだという。


「あの沼にはアホ魚がおるらしいんや」


『アホ魚』は、群れをなして水面にぼーっと浮かんでいるらしい。そしてなんと『ガムで釣れる』という話。

 発見した時、餌も釣り方も分からなかった。しかし、どうも水面に落ちたものには、草でもツバでも何でも食いついてくるものだから、噛んでいたガムを付けて放ってみたところ、簡単に釣れたとのこと。

 ガムでも草でも何でも釣れるアホ魚。


 それがギルのことであったのは、言うまでもない。

 これが、その地域に初めてブルーギルが侵入した記録となるのであろう。

 元・海水だった沼に住む、北米出身のアホ魚。

 こうして文にすると、なんともシュールなシチュエーションだが、そこで遙々他県から車を飛ばしてきた俺達がそのアホ魚を釣ろうとしているのは、シュールを通り越してファンタジーだ。

 そして、ファンタジーにはファンタジーなりのルールがあるべきであろう。


「『アホ魚』に、餌を使うわけには……いかんな」


 自然と、針に餌は付けないことがルールとなった。

 俺は、生まれて初めて淡水でサビキを使ってみた。

 ワームの切れっ端を使ったヤツもいた。

 猛者は針のみ。

 よほどうち捨てられ、誰も顧みない沼なのであろう。それでも釣れたのである。

 それもイヤと言うほど。

 むろん、針だけのヤツは入れ食いというほどには釣れなかったが、サビキは入れ食いだった。

 ほんの三十分で、空に近かったクーラーは満タンになった。


「……帰るか」


 クーラーを埋め尽くす、深緑色の不気味な魚体。

 勝利……といえるのであろうか? 徹夜でへたばりかけていた俺達は、更に追い打ちを掛けられた気分で帰路についた。


 さて、社員寮に帰り着いた俺達は、ギルの調理に掛かった。

 数はたくさん釣れたが、サイズは小さい。大きくても十五センチ以下、小さいものは数センチである。しかし、ギルは骨が硬くて皮が臭い。

 つまり、どんなに小さかろうとも、三枚に下ろして皮を引かなくては美味しくいただけないのである。


 徹夜明けの小魚処理はかなりの重労働であったが、鉄の掟、「釣ったら食う」はまだ生きている。俺達は交代で作業しつつ、なんとか百匹近いと思われるギルを処理した。

 料理法はフライ。ギルの味は言うまでもなく旨い。

 皆、目指すメッキがあまり釣れなかったことで腐っていたが、やはり旨いものは旨いのである。自棄になってビールを煽りながらも、皆に笑顔が戻り始めたその時。


「うえ。何だコレ!?」


 一人が、一度口に含んだ魚を吐き出した。


「おい、なんだかマズイのが混じってるぞ?」


「腐ってたか? 」


「イヤ違う。腐ってるワケじゃないんだが……食えたもんじゃねえ」


 何を言っているのだろうと訝しく思ったが、食い進むウチに、俺にもその「マズイ魚」が回ってきた。たしかにマズイ。旨味が無くて、パサパサしていて、しかも独特の生臭さがある。フライになっているので、よく分からないが、これは魚の種類の問題のようだ。

 だが、あの沼にはギルしかいなかったし、ギルしか釣れなかったはずだが……。

 そう思って、フライの衣を剥がしてみて、俺は絶句した。


「コレ、このまずい魚、メッキや」


「えええええッ!?」


 一同の声がハモった。

 間違いない。メッキ独特の体表の雰囲気が、ちゃんと残っていたのだ。

 最初に数匹だけ釣れたメッキ。そのメッキも同じようにフライにしていたのだが、それがマズかったのである。

 だが、冷静にメッキだけを味わってみると、吐き出すほどマズイわけではない。とはいえギルと食べ比べると、明らかに見劣りがする。

 つまり、メッキがマズイ、というよりはギルが旨すぎるのである。


「……これからは、メッキなんか狙わないで、ギルメインで釣りに行くか?」


「いや、それもちょっとな」


 俺達は釈然としない思いを抱えつつ、フライを平らげていったのであった。

 あれだけ生の時に悪臭を放つ魚が、どうしてこんなに旨いのかは、深遠なる謎である。

 顔のまずい魚は旨い、とよく言われるが、確かにギルの顔も不細工だ。だが、まさか海産魚と比較してこれほど明確な差が出ようとは、俺も思わなかった。

 それから何度もギルは食ったが、やはり旨さは変わらない。


 ギルを日本に持ち込んだのは、当時皇太子殿下であった天皇陛下であることは広く知られている。だが、外来種駆除だ、害魚だと騒ぐ前に、とにかく一度食ってみることをお勧めしたい。

 きっと、この魚を食料として持ち込もうと考えた陛下のお考えの、一端くらいは理解できるはずである。


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