第24話 クレソン


 久々の植物系である。

 だが、表題のクレソン=オランダガラシには苦い思い出があるのだ。

 苦いといっても、マテバシイやチョウセンゴミシのように、失恋の苦さではない。

 ビオトープ管理士などといいながら、計画したビオトープへの外来生物クレソンの侵出、いや人為的拡散を止められなかったのである。

 そして、その後始末……苦い体験を語りたい。


 もう五年も前のことになる。俺は、とあるビオトープの計画設計を任された。

 それも、学校ビオトープとかではない。農業公園の一部をせせらぎ水路とし、そこにゲンジボタルを飛ばそうという、かなり遠大な計画であり、またビオトープとしての規模も大きかった。

 もともとは河川敷と地続きの放棄田であり、ほとんど湿気がない場所であった。

 生えていたのは、セイタカアワダチソウ、ヒメムカシヨモギ、ヒメジョオン、ブタナ、ブタクサ、オオマツヨイグサなどの外来植物が多かった。在来種も、エノコログサ、ヨモギ、クズ、アカメガシワなど、どれもフロンティア植物と呼ばれる、裸地が現れると、真っ先に侵入してくる連中ばかりである。

 元・水田のくせにどうしてそんな植生なのか? 

 土木工事が始まってみて初めて分かった。水田なのは表面だけ。数十センチ掘れば、出てくるのは石ばかりだったのだ。

 これでは、土壌というよりも丸石がごろごろ入った石積みのようなものだ。

 栄養分が少なく、根が張りにくく、乾きやすい。

 こういう場所だから、タフな外来植物やフロンティア植物しか生えられなかったわけだ。


 「ビオトープ」とは、そこに元々あった生態系を回復あるいは保全するのが基本であるが、こんなモロ『河川敷』って感じの生態系を維持保全しようなんてことになると、毎年の草刈りだけでも大変である。しかも、そこにゲンジボタルを飛ばそうってんだから、さらに大変度は増す。

 付近にホタルはいることはいるが、山間の支流や用水路に発生しているのであって、こんな、ド本流の河川敷では、乾燥しすぎの上に、開けすぎだ。飛翔力の弱いホタルなぞ、風で飛ばされてしまうだろう。


 結局、河川敷そのままの生態系を残すことは諦めざるを得なかった。

 公園内に築山をつくり、植林して、風を遮り、ゲンジボタルが安心して飛べる空間を確保した。せせらぎは土水路にして、丸石を無くし……まあ、水田脇のせせらぎみたいなのを創って、周囲から水生植物を集め、なんとかビオトープらしくしたのである。

 だが、地域生態系と大きくかけ離れてはいないものの、元々いたはずのバッタ類やチドリの営巣などは見られなくなってしまい、少々残念に思っていた。


 そんな折、そのせせらぎの後半部に、水田を創出しようということになった。

 近くの小学生に田植えをしてもらったりして、公園の利用価値を上げようという企みらしい。

 まあ、元は水田だった場所なので問題はない。

 そのうち、休耕田までわざわざ演出しようということになった。

 農業離れの進む昨今、このあたりも例外ではなく、地域内には腐るほどある休耕田だが、年中水を溜めておける休耕田はあまりない。しかも、除草剤などをやらないでいてくれるというから、俺は一も二もなく賛成した。

 実際、除草剤や殺虫剤をやらず、毎年耕耘だけすると、休耕田には埋土種子からかなり面白い植物も発生するし、コオイムシやゲンゴロウ類などの水生昆虫、カエルやイモリも住み着き、なかなか面白い空間へと変貌を遂げるのだ。

 事実、その場所は初年度から、シャジクモやフラスコモ、ウリカワ、カンガレイなどの湿性植物がわんさと生えてきた。


 このままうまく推移すれば、なかなか面白い空間に変わっていくに違いない。

 そう確信した頃。

 その場所を仕切る『理事長さん』からTELが入った。


「あの場所なんやけどな。草ばっか生えてみっともないから、ショウブ植えてええかな?」


「ショウブ? ハナショウブですね。まあ、ええんと違いますか?」


 「草ばっか」発言にカチンとはきたものの……まあ、興味のない人間にとっては絶滅危惧種も外来種も同じ、ただの草だ。まずは地元の理解を得なくては仕方がない。このときはそう思った。

 だが、今でもこの時の会話を思い出すと悔やまれる。これが、すべての間違いの元であったのだから。

 『理事長さん』は、ハナショウブではなく「キショウブ」「ミズカンナ」「スイレン」そして「クレソン」を植えてくださいやがったのである。


 まず「キショウブ」は、ご存じない方もおられるかも知れないが、北米原産の立派な外来植物であり、各地の水辺で猛威をふるっている。

 水温や栄養などの制限要因があれば、小さく可憐な黄色い花を咲かせる程度だが、高温・高栄養下では、草丈は一メートル以上、根茎の太さも十センチ近くになり、他の湿性植物を駆逐して繁茂する。最悪の侵略種といっていい。


 「ミズカンナ」はおとなしげな名前とは裏腹に、もともとが一メートルを越える大型の草本だ。

 早春、水中に張り巡らせた根茎から、槍のような堅い新芽を出し、それが他種よりかなり早い時期なので、他の植物の生長を大きく妨げる。

 網目のように這った根茎の上は、泥田でも成人男性がほとんど沈まずに立てるほどの強靱さ。休耕田に入れるにはこれまた最悪の植物であった。


 「スイレン」は国産種だからいい?

 とんでもない。スイレンもまた、純粋な意味での日本産種ではない。日本産スイレンはヒツジグサ。よくある綺麗な花を咲かせるスイレンの多くは、北米やヨーロッパ原産の原種から作り出された園芸種なのである。

 最大の問題は、この仲間は交雑しやすく、もし日本産のヒツジグサが発生しても交雑して元とは違ったモノになってしまうことだ。そうすると、本来のヒツジグサは永遠に失われてしまう。


 そして、最後が「クレソン」。オランダガラシとも呼ばれる「野菜」である。

 なんでこんなものを植えたのか、非常に理解に苦しむが、これが中でも最もタチの悪い植物であった。

 クレソンは、植物体はもっとも華奢でか弱い。人間が生で食えるほどなのだから、その華奢さは分かろうというものだ。

 しかし、その華奢さこそが、恐るべき武器なのだ。

 クレソンは、水面を覆うように繁茂する。日光を遮るため、その下には他の植物は生えることが出来ない。そうやって、じわじわと版図を広げていくのだが、見かねて駆除しようとすると、千切れて残る。

 根さえ残れば、必ず復活するわけだ。それがどんなに少量でも。

 しかも、千切れた枝葉はそれぞれに根を生やし、流れ着いた先で増えることが出来る。

 駆除すればしただけ殖える、というわけだ。

 こんな恐ろしい植物が他にあろうか。


 ビオトープ完成後、俺はまず、キショウブの駆逐にとりかかった。

 キショウブは種をまき散らす。もし下流に生え始めたら、俺の作ったビオトープのせいで、外来種が殖えてしまうことになる。それだけは勘弁だ。

 しかも『理事長さん』に気を遣い、キショウブを駆除した後に、在来種の「ショウブ」と「ミクリ」を植えた。植物ド素人の理事長さんは、似たような葉を持つコイツらを区別できないからだ。たぶん「最近花が咲かないなあ」程度の認識になるであろう。

 スイレンはミズカンナに駆逐されて虫の息。

 ミズカンナは、俺が後で植えたマコモに押されている。よし、ここはマコモに手を貸して、少しずつ駆逐していけばよい。

 そしてついに、クレソンの駆除にかかった。

 だが、これがとんでもない重労働。

 炎天下、ちまちまちまちまと、葉や茎を残さないように手で取り続ける。

 その量は、たった一年しか経っていないのに、プラ舟五杯分にもなった。


 で、ようやく本題である。

 むろん、こんなには食えない。

 食えないが…………出来るだけは食おう。殺す以上は。


 葉の綺麗な新芽のいいとこだけを選んで……それでも、バケツ一杯くらいにはなった。

 すげえ量だ。

 しかも、この手のヤツは家族の支援を受けられない。

 つまり、スズメバチ同様、祖父の家に持ち込み、勝手に料理して勝手に食うしかないのだ。

 茹でれば減るだろう。

 との見込みも甘かった。確かに減った。半分以下にはなった。

 それにしたって、バケツ半杯分。

 凝った料理をする気力は既に無く、単に醤油を掛けただけで食い始めた。


 うん。まあ、味わいは爽やかである。

 アブラナ科特有の香り、とでも言おうか。大根葉とワサビ葉を足したような風味だ。

 歯ごたえも良し。

 たぶん、漬け物や炒め物にも向く食材であろう。

 決して不味いモノではないのだが、何しろこの量だ。しかもすべておひたしなので味が単調。

 しかも一人。これが痛い。

 つまんない料理でも、多人数で食えば楽しみながら食えるモノなのだがなあ。

 どんだけ根性出しても、一気に食いきることは出来なかった。

 二、三回に分けて、ようやく食いきった後は、しばらくクレソンを見るのもイヤになった。


 三ヶ月後。

 久しぶりにビオトープをのぞいてみて、俺は絶句した。

 クレソンは雄々しくも復活を遂げていたのである。

 つか、前より多くねえか、コレ?


 こうして、再びクレソンの駆除にかかった俺であった。

 こうしたことが三年ほど続き、ようやく公園の管理者が腰を上げてくれたおかげで、今は、クレソンはほとんど見当たらない。

 だが、油断は出来ぬ。僅かでも残っていれば復活する。それがクレソンなのだから。

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