第2話 ナマズ1

 俺が初めて食用目的でナマズを捕らえたのは、大学一年の春だった。

 学生寮の仲間達と思いついて実行したのだ。生物学専攻だった俺達は、北関東の自然溢れる学舎に入学して、色めき立っていた。

 原野を切り開かれて建設されたその大学は、当時まだ学内学外、そのほとんどが松を中心とした林に覆われていた。通学路にはタヌキやハクビシン、ノウサギが現れ、夜の街灯にはカブトムシが飛んできた。点在するため池、空き地の草むら、街路樹に至るまで、生命に満ち溢れて見えていた。


 口火を切ったのは、隣のクラスのヤツだった。

 ルアーフィッシングをたしなむその男は、自分の寮の目の前にある、取り残されたような小さなため池でブラックバスを釣り、晩飯としたというのだ。

 二十センチそこそこのバスだったらしいが、そんなに簡単に晩飯が手に入る、ということを知って、俺達も何か捕まえて食おう、という話になったわけだ。

 だが、ブラックバスなんぞ美味くないだろう、と言いだしたのは誰であったか。もしかすると俺だったかも知れない。どうせ食うなら、白身で淡泊と評判のナマズを食おう、という話になった。

 ナマズの釣り方は父から習っていて、知っていた。

 父は田舎生まれで田舎育ち。子供の頃はけっこう色んなものを採っては食べたらしい。

 だが、そういったものを食べることを、本人はいたく嫌っていて、食べる種類と食べない種類を明確に分けていた。アユは食べるがウグイは食べない。イノシシは食べるがウサギは食べない。ワラビは食べるがコゴミは食べない。というように。

 その基準は父の勝手な主観によるものであったが、ナマズは昔は食べたが、今は絶対に食べないもののひとつに含まれていた。

 だが、食おうと食うまいと、生きものの捕獲自体が好きな俺は、ナマズの捕獲方法を父から学び、何度か捕獲して飼育したりしてはいたのだ。

 その捕獲方法とは「置き針」である。

 「ウナギ針」という仕様の変わった形の釣り針を、五号以上のナイロン糸で縛り、たこ糸につなぐ。それを、釣り竿などではなく一~二メートルの竹の棒に結びつけて仕掛けは完成、である。

 そうして、針にドバミミズかドジョウを掛け、竹の棒を川岸に突き刺して一晩置いておくわけだ。川の状態にもよるが、二十本も仕掛ければ二、三匹は獲れる。たまにスッポンやウナギが掛かることもあったが、高校生の俺は飼育にしか興味がなかったので、何が獲れても食わずに飼うことにしていた。

 で、大学時代である。とにかく、初めて食用にナマズを捕ることになったわけだ。

 学生寮の近くにもいい場所がたくさんあることは後で分かったのだが、入学間もない俺達はそのへんをよく知らなかったため、湖に流れ込む大河川まで足を伸ばすことになった。

 ドバミミズが思うように採れず、餌は購入したシマミミズだったが、なんとか無事に仕掛け、翌朝、仲間達と再度同じ場所へ。

 最初の仕掛けは、ミミズがそのままついていた。

 二つ目には巨大なブルーギル。

 三つ目からいくつかは空振り。

 そして、いくつ目かにまた巨大なブルーギルが掛かっており、諦めかけた時、最後の仕掛けにナマズが掛かっていたのだった。三十センチ内外の小型ながら、俺たちは小躍りして喜んだ。

 大がかりな作業で仲間を巻き込んでおいて、結局ボウズというのでは、あまりにかっこ悪い。俺はほっと胸をなで下ろしたのであった。

 だが、この時、このナマズを食わねば良かったなあ……と今でも思うことはある。

 この時が、俺の人生のターニングポイントだった様な気がするからだ。

 ここでこのナマズを食わなければ、その後、様々な生きものを食う事にはならなかったような気がするし、野生児扱いされて女性に相手にされず、恋人のいない大学生活を送らなくても済んだのかも知れない。いや、どっちにしてもモテなかったか。


 結論から言おう。


 このナマズは超泥臭くてまずかった。

 むしろ、同時に獲れたブルーギルの方が美味かった。当時は皮引きの技術なんぞ持ってないから、三枚おろしでムニエルにしただけなのだが、気になる臭みもなく、普通に美味しい魚だった。

 ナマズの料理法は蒲焼き……いや、「蒲焼きもどき」であった。釣り魚料理系のノウハウ本そのままに、三枚に下ろしたナマズをフライパンで焼き、砂糖と醤油と酒を加えて、そのまま煮込んだだけのもの。まったく、蒲焼きと言えるようなものではない。

 しかも、当時の学生寮にはガス器具が無く、電磁調理器でやったため、火力も足りなかった。味付け自体も下手くそだったのだと思う。

 だが、そんなことを差し引いても、あの泥臭さには辟易した。

 口に含んだときには、普通の煮魚の味なのだ。だが、咀嚼し、飲み込んで、ほうっと息をつくと、川底に溜まった泥の、あの何とも言えないイヤな臭いが鼻に抜ける。

 たった三十センチの小さなナマズを四人の男達で食うのに、数十分かかった覚えがある。最後はじゃんけんで負けたヤツが一気に食って呑み込み、吐きそうな顔をしていた。

 とにかく、ナマズとは泥臭いものだ、との認識が俺の中で固まった日であった。

 今にして思えば、即日食べずに、数日間泥吐きをさせるべきだったのだが、そんなことは、後になってようやく知ったことである。


 だが、前述のように、この一件で俺の中で何かが切れた。

 もともとかなりの潔癖症で、他人が口を付けたコップは飲まないくらいだったのだが、「こんなものでも食ったんだから、何でも大丈夫」ってな気持ちになったわけだ。

 とはいえ、それからナマズには手を出さなくなり、もっぱらバスやギル、海魚ばかりを食べていた。俺の大学生活は、まさに食える野生のモノとの出会いの日々でもあったように思う。

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