第36話 イノシシ


 「きゃっち☆あんど☆いーと」とはいえ、さすがにコレを捕獲する事はしていない。

 狩猟免許も銃も罠も無しに、イノシシを捕れる可能性があるとすれば、車で轢くくらいしかないが、ウサギを轢くのとはワケが違う。

 何しろでかい。ウリボウならまだしも、普通イノシシは十数~数十キロはある。でかい個体だと百キロを超えるモノもいるくらいだ。学生時代の先輩が轢き殺した時には、ランドクルーザーが大破したらしい。

 その先輩は、車が大破したショックで茫然自失となり、レッカー呼んだり、警察呼んだりするので精一杯。結局イノシシを持ち帰ることはしなかったので、俺も食べることは出来なかった。

 残念な話だ。イノシシの肉を売れば修理代の足しくらいにはなったであろうに。


 さて。

 昨今の里山では、イノシシが異常に増えているのが現状である。

 地方へ行けば、山沿いには延々と電気柵が張り巡らされているし、電気柵に守られていない休耕田はイノシシのヌタ場=つまり泥浴び場と化しているのが定番。

 都会でもジビエ料理が流行していると聞く。

 これはまあ、山野を利用しなくなり、獣と人の距離が近くなったこと、オオカミなどの捕食者がいなくなったこと、比較的温暖な冬が続き(敢えて地球温暖化とは書かない)、豪雪で餓死する個体が減ったこと、などが主な原因であるとされている。


 俺の住む地方でも、ご多分に漏れず山はイノシシだらけである。

 イノシシ以外にも、サルやシカが出て農作物を食い荒らすので、電気柵などの防除だけでなく、駆除も盛んだ。

 だが、前述したように狩猟免許はないし、知り合いに猟師がいるわけではないから肉が手に入ることは、これまで滅多になかった。


 そんなある日。

 とうとうチャンスがやってきた。

 俺の勤務先の営業担当者が、お客さんのところへ集金に行ったにも関わらず、金は持ち帰らずに、妙なビニール袋を下げて帰って来たのである。


「何コレ?」


「イノシシ肉やって言うてましたわ」


「ハァ? 金は?」


「どうも急に廃業されたみたいで、金は工面できないらしくて、コレ、お詫びのしるしらしいですわ」


 売掛金はウン十万程度。

 自己破産したってワケではないらしいから、そのくらいなら機材や資材を売って返せそうなものだが、ウチの営業が廃業に気付くのが遅かったらしく、とっくに手放してしまっていたらしい。

 つまり、借金のカタにイノシシ肉。


「どうすんのコレ?」


「社内で売って、返済の足しに出来ませんかね?」


「しゃあないなあ……俺が買うわ」


 もともと興味はあったのだ。自分で料理できるチャンスである。肉は約一キロ。 当時の相場で百グラム千円くらいだったので、一万円。

 俺の財布からお客さんの借金返済に充て、おれはイノシシ肉を手に入れた。

 時期は冬だったが、肉は冷凍されていてカチンコチンである。そのまま冷凍しておけば一年くらいは保つという。

 だが、いくらなんでも一年も放置しておく気はない。数週間後、友人を二人招いて牡丹鍋を作った。

 牡丹鍋、とはその華やかなピンク色の肉質から付けられた、イノシシ鍋の料理名であり、じつに趣深い名称なのだが、半解凍し、スライスした肉は赤黒く、とてもではないが牡丹の花びらには喩えられない。

 そう、無理に喩えて言うならば……ラフレシア鍋?

 ラフレシアといっても、ポケモンでもなければモビルアーマーでもない。

 ご存じない方のために解説しておくと、世界最大級の花を付ける寄生植物。その花自体も死肉に似た色彩や質感を持ち、便所の臭いにも喩えられる異臭を発してハエなどをおびき寄せ、花粉を運んでもらうという、要するに「巨大な死肉色した臭い花」である。

 素人が解凍、スライスしたってのもあるんだろうが、それにしてもビジュアルからしてプロの牡丹鍋とこんなにも違うモノであろうか?

 しかも、思ったよりも獣臭がきつい。しかも非常に固い。

 それでも、まあまあ食えないことはなかったし、妻も子供達もけっこう食べてくれたのだが、俺を含めて男三人とで数時間。酒で舌と鼻を誤魔化しつつ、一キロのイノシシ肉をようやく消費したのであった。

 

 さて、その翌月。

 ふたたび俺の机の上に、ひんやり冷えたスーパーのビニール袋が。


「またイノシシかッ!?」


「はい。また、現金用意できなかったそうで」


 営業はまたもイノシシ肉を集金してきたのであった。

 それにしても、イノシシ捕るヒマがあるんなら、なんか仕事すればいいのに。っていうか、肉でもいいけど現金化してから渡して欲しい。

 さすがにもう要らない気持ちで一杯だったが、会社として受け取ってしまったモノはなんとかせねばならない。一度受け取ってしまったこともあって、今更要らないとも言えず、結局、毎月のように俺がイノシシ肉を買い取る羽目になったのであった。

 そのようなことが五~六回あり、我が家の冷凍庫には着実にイノシシ肉が蓄積されていった。


「どうすんのよコレ!? 冷凍庫に何も入らないじゃない!!」


 うん、妻の怒りももっともだ。

 だが、一度ラフレシア鍋を経験して物珍しさが消えた今、あの臭い肉をそう何度も食べたいとは思わない。


「会社のお金の代わりなんでしょ!? 会社持って行って、みんなに振る舞えばいいじゃない!!」


 俺が払った金はもったいないが、筋は通っている。どうやらそうするしか無さそうだ。

 俺はたまりにたまった冷凍肉、約七キロを、会社で料理し、みんなで食べることにした。

 選んだのは、ある土曜出勤の日。

 時期的にもあまり忙しくなく、そんなイベントをやるにしても、各部署長の了解も取りやすかったからだ。


 白菜、ゴボウ、ネギ、ニンジン、キノコ類などの野菜は前日に地元スーパーで買い込み、使い捨ての取り皿、割り箸、ホムセンでアルミ製の巨大鍋も仕入れた。味噌、酒、昆布だしなどの調味料と、菜箸やお玉は自宅から持ってきた。

 月末で苦しい時に、一万円以上の出費。何やってんだ俺。

 でかい鍋とはいえ、さすがにイノシシ肉も全部は入りそうもなかったので、二キロほど残して半解凍。包丁で薄くスライスしていく。

 うむ。前回よりは薄く切れたし、まあ、見た目ラフレシアよりは牡丹に近くなったのでよし。

 臭い消しのゴボウ以外の野菜は全部は入れず、煮えたら逐次投入していくこととする。

 さらに臭い消しに日本酒をたっぷり。田舎味噌で味を調え、午前十一時頃の仕込みから、昼食時になんとか間に合わせることができた。

 それにしても、やはりすごい臭い。

 ビジュアルはマシになったものの、臭いの方は、今回もラフレシア鍋と言っていい。

 最初に野菜だけを煮込んでいる時には、ゴボウの香りが立ち、非常に美味そうだったのが、スライスしたシシ肉を放り込んだ途端に、あの臭いが沸き立ち、社内中に広がっている。

 っていうか、自宅で食べた時より、臭いがきつく感じるのは俺だけだろうか?

 量の問題なのか、質の問題なのか?

 つまり、大量に煮込むことで臭いが増幅されたのか、貰った肉の中に、たとえば雄の成獣の臭いのキツイ肉が混じっていたのか、それは定かではないが、どうにも臭いがキツイ。

 「獣臭」というか「肉臭」というか、決して食えないほどの臭いではないのだが、食欲をそそられる香りとは随分違う。

 あとで知ったことだが、メスの未成獣なら、さほど臭いもないらしい。逆にオスの成獣は独特の臭いがするのだとか。

 また、殺し方にも原因があって、血が回ると臭くなるし、さっさと冷やさないとまた臭くなる。

 きちんと処理したイノシシは、臭くはないのだということだ。

 どちらにせよ、肉の味を知らない素人に一番美味い部分は回さない、というのが猟師の暗黙のルールらしく、タダで貰った肉(今回タダじゃないんだが)が臭いのは当たり前のことのようだ。


 社内へは、タイムレコーダーのところに昨日から通知してあるのでわかるはずだったが、まあ、この臭いだ。どこで何をやっているかはすぐに分かるだろう。逆に恐れをなして食べに来ない社員もいそうだが。

 で、まずは作成者の責任として一口試食するか、と思ったら、携帯が鳴った。


「あんた!! 今日、バイオリンの発表会って言ってあったやろ!!」


 そうだった。

 会社の方には有給届けを出してあったのだ。それで仕事中に料理なんか出来たわけだ。

 本日のメイン・イベントは猪鍋ではなく、子供の晴れ舞台の録画。それを妻から言い含められていたのであった。

 俺は試食もそこそこに、バイオリンの発表会へと向かった。

 夕方。

 すべてを終えて会社に帰り着く。仕事はないが、鍋の後始末をせねばならないからだ。

 作った直後、大鍋は満杯だったが、社員は数十人もいるのだ。今頃はほぼ空であろう……という俺の期待を裏切り、巨大鍋の中身は三分の一ほども残されていた。

 しかも、お玉で掬ってみると、大半が肉。汁が二割、肉が八割、野菜はゼロ。ってことはつまり、ほとんど誰も肉を食ってないって事じゃないか。

 すると俺の顔を見た経理部長が、すたすたとやって来て一言。


「……野菜は、美味しかったよ」


 なるほど。野菜は美味しかったらしい。そりゃそうだろう、地元直送の顔写真付き有機野菜をチョイスしたしな。そこにイノシシ肉から出たダシがたっぷり染み込んでいるのだ、不味かろうはずはない。

 だが、肉そのものは大不評だったらしい。

 固いのも固かったが、さすがに臭いがきつすぎたのだとか。中には肉を飲み込めずに吐き出してしまった女子社員もいたらしく、結局、みんなイノシシ肉を避けて食べた、ということのようだ。

 責任食いしろ、と迫る経理部長。

 だが、すっかり冷めてしまい、固くなって異臭を放つ肉だけ鍋。さすがの俺も手が出なかった。それにこの量。どっちにしろ食べつくすのは無理。

 もったいない。たしかにもったいないのだが……

 俺は鍋をひっつかみ、給湯室の外にある生ゴミ処理機にすべて放り込んだ。


「あああああーーーーっ!! なんてことを!!」


 経理部長が叫ぶ。よほど俺に、臭いシシ肉を食わせてみたかったらしい。


「いいんです。生ゴミ処理機の処理物は、堆肥として有効利用しますから。イノシシも浮かばれるはず」


 だが、浮かばれないのは俺の小遣いだ。

 すべて自腹で鍋をふるまった挙げ句、文句を言われては立つ瀬がない。

 例のお客さんへの売掛金はまだ、数万円残っている。

 だが、今後はイノシシ払い禁止、ということになった。


「その人、米作ってないの? 米なら買い取る」


「自分で食べる分しか作ってないらしいです」


 冬の狩猟シーズンになったら、今度はシカで払うように交渉してみようか。


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