第5話 ハタケシメジ
コレを書いている今は十月。
それがどうしたかというと、キノコの季節なのである。
せっかく『きゃっち☆あんど☆いーと』などという、メルヘンチックに素晴らしい名前を付けておきながら、キノコシーズンを逃しちゃ何にもならねえ。と、心の中で誰かが叫んでいるのである。
それはさておき。ハタケシメジ、である。
キノコ狩りする人には、耳慣れたキノコだろうが、知らない人には「何それ?」的なキノコに違いない。まあ、ずいぶん前から栽培も確立しているから、高級食料品店に行けば栽培モノがあるし、それを喜んでお買い上げになっておられる方もいらっしゃるかな、と。
しかしまあ、コレに限らないが、キノコは野生モノと栽培モノじゃあ比較になりません。
いやマジで。
さて、このキノコと俺が初めて出会ったのは、大学一年の初秋。であったと思う。いや、もしかすると夏休み前だったかも知れぬ。
忘れもしない。どでかい失恋をかます寸前くらいのこと。そのコを好きになりかけの頃だったから、晩秋ではなかったはずだ。
必修科目の体育……たしか、マラソンかなんかだったと思うが、その時間に、大学構内の砲丸投げ場で集合したときに、足元にボコボコと生えていたのだ。
俺は生物学系学科だったが、キノコはサッパリ分からなかった。水生生物は割と分かる方だったものの、それだけだった。
こんなに無造作に生えているのだから、まあ食えるキノコのはずはない。ヘタをすると毒キノコなのだろうと、むしろ踏みつけ、蹴散らしていたのである。
ところが同じクラスに、キノコ専門の妙な男がいた。
この男。料理は苦手だし、あまり採って食おうってタイプでもなかったが、キノコの種類はそこらへんの図鑑並みに、いやそれ以上に知っていた。
大学一年で既にそんなヤツだったから、まあ、いいオッサンになった今では、当たり前のように図鑑や専門書を書く方の立場となっているワケだが。
それはそれとして。
その男が言ったのだ。「これ、ハタケシメジだねえ。食べるとホンシメジに勝るとも劣らないんだけどねえ」
俺の採食魂に火が付いた。
すでにナマズの洗礼を受けて、採って食うスタンスは確立している。
構内に無数に生えているキノコを食すのに、ハードルは識別だけだったのである。この男が言うなら間違いあるまい。ということで、授業の後、寮に帰った俺は、寮のゴミ袋を持って現場へとって返した。
ゴミ袋……某T大学寮にこの頃居た方はご存じだろうが、この寮名を冠して通称されるゴミ袋は、でかくて丈夫なことで有名であった。
皆さんの考えておられる、普通のゴミ袋の三~四倍の容量を誇り、強度もずっと上だったのだ。
無論、清掃員さんが使う袋であり、学生が勝手に使って良いモノではないのだが、当時はかなり頻繁に、勝手に使わせていただいていた。
腐植質に生えるキノコが、なんで何の変哲もない芝生であるはずの砲丸投げ場にボコボコ生えていたのかは、今となっては謎である。もしかすると、古畳でも埋めてあったのかも知れない。しかし、とにかく数十メートル四方に一面のハタケシメジ。これは宝の山であった。
「ハタケ」などと付いているが、色、形、束になって生えている様子など、市販の「ホンシメジ」にそっくりなのである。
後で知ったことだが、「ハタケシメジ」にも何タイプもあり、一本で生えたり、カサが大きく開いたり、色が薄かったりする系統もあるらしい。が、ここの一群は、それはもう立派に「シメジ」していたのである。
こんな素晴らしいシメジの塊が、放っておけば学生どもに踏み散らかされるだけの状況。ならば手加減する必要などあろうはずもない。
俺は、採って採って採りまくった。
その量は前述の巨大ゴミ袋がいっぱいになるほど。測定してはいないが、おそらく十㎏くらいはあっただろう。
その夜は、寮の共用スペースに同学年の連中を招いて、キノコ鍋パーティを催したのであった。
まあ、小説であればここで、実は毒キノコだったとかの落ちが付くところだが、これは実録であるからそのような面白い展開はなかった。とにかく、そのキノコだけで満腹するほどの量。鍋を食い、酒を酌み交わし、皆、充分に満足して帰っていったのである。
料理は単純な水炊きであった。ダシは昆布。白菜、ニンジン、大根、ネギ、豚肉、しらたきなどとともに水から煮上げる。キノコがメインであるから、具全体の半分がキノコという贅沢さである。
「匂いマツタケ、味シメジ」とはよく言ったもので、実に美味かった。ホンシメジはいまだ食べたことがないから味について比較は出来ないものの、ハタケシメジ本体から出た旨味は、どの具材にも染み込んで人生最高レベルの鍋となっていた。
あの時期、あの仲間達とだったからかも知れないが、あの時以上に美味い鍋は、あれからもお目に掛かったことはない。それほどのものだった。
当時、失恋をかます前のあのコも食べに来てくれた。準備や片付けをてきぱきと手伝ってくれた彼女に、さらに惹かれていったのは言うまでもない。
だが、例の巨大なゴミ袋いっぱいのキノコは、十数人で明け方まで食い続けても、食い尽くせるモノではなかった。
減ったのはほんの十分の一くらい。このままでは腐ってしまう。
そこで俺は、学内の書店に走った。山菜やキノコの本を入手するためである。インターネットなどほとんど普及していない時代であった。こうした場合の対処法を探すのは、書籍に頼るより他になかったのだ。
さて、なんとか入手したキノコ狩りの本には「塩漬けにせよ」とあった。
で、必要な塩の量は、と見ると……「キノコと同量」とある。俺は、その日、小さなスーパーの売り場の塩を、すべて買い占める羽目になった。
いったん茹でて塩漬けにしたハタケシメジは、新鮮な時ほどではなかったが美味かった。
たしか、クリスマスくらいまで何回か鍋をやった記憶がある。その記憶はなくはないのだが、味の感動がいまいち記憶にないのは、前述したようにその後に派手な失恋をして、終日ぼんやりしている事が多かったせいだろう。
失恋などとかっこいいことを言ってはいるが、恋人に振られたわけではなく、単に片思いが実らなかっただけなのであるが。
今もこの時期になると、ハタケシメジを食いたくなる。だが、もう二度とあのような巨大な群落に行き当たることはないのであろう。そして、あの頃の仲間達との記憶と同時に、失恋の記憶もまた頭をもたげてくる。
俺にとっては、ハタケシメジはまさに青春のキノコなのである。
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