第46話 キャベツ


 べつに野生化していたわけではない。

 だから、『きゃっち』したわけではないのだが、ちょっと面白い事態になって、最近ようやく『いーと』出来たので書く。


 このキャベツ、妻の両親、つまり義父母が畑をやっていて、そこからもらってきたものだ。

 もう三年半以上前の春先のことだ。

 当時小三だった娘は、学校からの宿題で「モンシロチョウの幼虫」を集めてくることになっていた。

 教材として先生が用意するのではなく、いきなり生徒に「集めてこい」とくるあたり、俺の住む場所がどれほど田舎か、読者の方々にもご想像が付くと思う。だが、いくら田舎でも、そう都合よくキャベツ畑がどこにでもあるわけではない。

 本来は米どころだから、農村部は水田ばかりだし、たまにキャベツが植えてあっても、農薬が掛かっているのか虫の食い痕もなかったり、ガッチリ泥棒よけの鉄条網が張られていたりして、家のご近所ではなかなかモンシロチョウの幼虫には辿り着けない。


 で、思い出したのが、俺の自宅よりは少し……いや、かなり田舎にある妻の実家だった。

 妻は四人兄弟の末っ子ということもあって、義父母はすでに老齢の域。

 リタイヤして悠々自適の生活を送っていて、のんびり田畑を耕している。だが、収穫物を出荷するつもりなど毛頭なく、近所や親戚に配るのみ。俺達家族にもよく野菜を分けてくださる。商業用ではないから、野菜は少しずつ何種類か作っていたはずで、農薬はほとんど用いていないと聞いている。つまり、キャベツがあればモンシロチョウが産卵している可能性は高い。

 週末、妻が電話してみると、一畝ひとうねだけだがキャベツを作っている、とのこと。

 俺達家族は早速、妻の実家へと車を走らせた。

 しかし、一畝とはいっても家庭菜園ではない。畝の長さは約二十メートル。

 夏になると、いつも食べきれないほどナスビやピーマン、キュウリなどをいただくのだが、その並びがすべてキャベツになっているのだ。ざっと見て数十株はあろう。いったいこれだけのキャベツを出荷せずにどうするつもりだったかは不明だが、予想通りというか何というか、モンシロチョウもかなりの数が舞っていた。

 ただ、まだタイミングが早かったようで、卵は産み付けられたばかり。

 幼虫は孵化したばかりか、卵のままだ。丁寧に葉っぱをめくってみても、イマイチよく判別できない。

 結局、大した数は採れなかったのだが、それならと、豪快なことに幼虫がいそうな株を、ごっそり根元から持っていけ、という話になった。


 さて、このキャベツの株。

 幼虫を採取して玉の部分は美味しくいただいてしまったあと、幼虫の餌をキープするためと称して、庭木の根元に生けておくことを許可された。

 無理やり引っこ抜いて、土が車内に落ちないように根元はバッサリ切ってきたから、ほとんど根は付いていなかったのだが、これが割とタフで枯れる様子はなかった。

 おそらく、玉の部分を食べてしまったことで、葉の方に向かわせる水や栄養が節約できたってのもあるのだろう。結局、数枚の葉と根元しか残っていなかったキャベツはしっかり根付いた。娘は幼虫はもちろん、その葉っぱも千切って学校へ持っていった。

 なんで餌くらいスーパーのキャベツを使わないのかといえば、農薬が心配だからだそうで、それもまあ分からなくもない。

 虫が駆除されて付いていないキャベツを虫に与えるのは、たしかに矛盾しているし。

 せっかくだから「有機無農薬」表示のキャベツを青虫に与えて、ホントに死なないか見てみるってのも面白かったかも知れないのだが。


 さて。やがて学校の幼虫は、羽化して巣立っていったらしい。彼等はどこぞのキャベツ畑でまた害虫として追われることになるのであろうか。一般に好まれるチョウとはいえ、いわゆる農業害虫を生産する学校ってのも、なんかアレだが。

 それはそれとして、庭のキャベツはお役ご免となり、娘と妻にはすっかり忘れられたのであった。

 だが、俺は別に忘れちゃいなかった。ついでに言うとチョウ好きの息子も。

 俺は玉を失ったキャベツがその後、どのような経過を辿るか見たかった。

 息子は、庭をバタフライガーデンにしたがっていて、まずはキャベツでモンシロチョウを呼んでみたかったようだ。

 そのうちにキャベツは新しい葉を次々に出し、またもやモンシロチョウが多数飛来し始めた。息子の狙い通りというわけだが、完全無農薬なだけでなく、幼虫を放置しておくものだから、どんどん葉はなくなっていった。

 しまいには葉はほとんど無くなり、茎だけになってしまったキャベツ。もはや枯れるのも時間の問題かと見えたが、彼は意外にしぶとかった。玉は出来ないまま、葉も少ないままだったが、茎の部分だけでどんどん伸び、何故か枝分かれを始めたのであった。

 そのしぶとさに、俺も息子も感嘆したが、そんな満身創痍のまま育ちすぎたのがまずかった。


 我が家のシンボルツリー、ヤマボウシの根元に植わった、虫食いでボロボロのキャベツ。

 周囲の植木鉢やブルーベリーが葉を繁らせている間は良かったが、庭の掃除でそれらを刈り込み、整理してしまうと、非常に目立つ。

 ついに妻が動いた。

 玄関先のこともあり、景観上良くないから即刻処分せよと迫ってきたのだ。

 のらりくらりと理由を付けてかわし、キャベツを擁護した俺だったが、それを認める甘い妻ではない。さっさと実力行使に出て、引っこ抜いてしまったのであった。

 しかし、利用するだけ利用してポイでは、あまりに酷い。俺は抜かれたキャベツを、こっそり花壇の方へ植え替えることにした。

 玄関先からは遠く、そもそも割と放任状態の花壇であったから今度は目立たない。妻もそれならと、なんとか許容してくれた。

 みっともない姿は変わりなかったが、幸い同じ場所にコスモスが生えており、二つの植物はそのうち分離不能な感じに絡まってしまったので、コスモスの花に守られる形でキャベツはその存在を容認されたのであった。

 そして冬が来た。

 俺の住む地域は豪雪地帯であるから、毎年数十センチは積もる。キャベツも当然雪の下になってしまい、さすがに枯れたものだと諦めていたのだが、どっこいヤツは生きていた。

 翌年の雪解けとともになんと、去年よりももっと元気に葉を伸ばし始めたのであった。

 どうやら生ゴミ処理機からの排出物や、愛犬たちの糞を肥料代わりに花壇に埋めておいたのが役立ったらしい。

 驚いたことに、水温む頃には、とうとう花までも咲かせたのだ。

 いわゆるアブラナそっくりのこの花は、意外にも一つ一つが大きく、非常に香りが強く、虫を引き寄せるようで、モンシロチョウ以外のチョウやハチもたくさん訪れるようになった。これまで庭に来たことのなかったホウジャクの仲間も姿を見せたらしく、意外なプレゼントに息子も喜び、俺達は毎日楽しく鑑賞していた。

 だが、ある日妻から再び駆除命令が下る。


「種が落ちたら大変なことになるから」


 命令の理由は、そういうことだったが……俺達は抵抗した。

 たしかに葉は虫食いだらけで汚く、花茎はアブラナほどしっかりしておらず、かっこよくはない。が、訪花昆虫にとっては、非常にいい吸蜜ステーションだし、何よりここまで生き延びたキャベツを滅ぼすというのは、どうにも哀れだ。

 とはいえ、妻の言うのも分かる。

 我が家の庭には、俺が植えて野生化したミツバやニラが勝手に種子を落とし、どこにでも生えるようになってしまっているから、同じ事態がキャベツで起きたらたしかに厄介だ。

 たぶん、キャベツはヤツらほどしつこく生えはしないだろうとは思うが、キャベツの栽培自体が初めてで、野生化などさせたことがない俺は、強く反論も出来なかった。

 そして押し問答の末、結局、折衷案として種子が付かないうちに花茎だけ撤去。キャベツ自体は生かしておいてもらえることとなったのであった。


 しかし、花を切られたキャベツは意外にも、そこから元気を取り戻した。花を切られたことで種を作る栄養が本体に残ったのが良かったのだろうか?

 キャベツは次第に葉を充実させ、更に枝分かれもし、昨年より更に元気な姿で冬を越すこととなったのである。

 その年は雪が割と少なかったこともあるのだろう、春、キャベツはついに待望の玉を付けるまでに至ったのであった。しかも枝分かれしたせいもあって大小二個。

 玉が充実するのを待ち、俺は満を持して収穫した。

 モンシロチョウにやられ、また夏の水不足、妻の攻撃などで壊滅的状況に陥ること二度三度、そのたびに逆境を乗り越えてきたキャベツの収穫。なかなか感慨深いものがある。

 さすがに売っているものよりは小さかったが、完全無農薬&自家産有機肥料であるから不味いはずがない。まずはサラダで食べてみようと葉をめくってみたところ、その隙間にナメクジ発見。

 むう……こいつめ、どっか行け。

 取り出して庭にポイ。

 気を取り直してもう一枚めくると、また一匹。

 庭にポイ。

 まさかと思いつつ、また葉をめくると更に一匹……

 そんな調子で、一個のキャベツから十数匹。キャベツはいつの間にかナメクジ・マンションと化していたのであった。

 このナメクジ、寄生虫や病原体の温床である。有名どころでは広東住血線虫があるが、それ以外にもヤバイ病原菌を持っていることがあるのだ。

 くっついていたのが一匹や二匹なら、よく洗って食えばいいだろうが、一玉からこんなに出てきては、おそらくキャベツ全体を這い回られた後だろう。さすがの俺も生で食う気は失せた。

 結局、よく洗った上で、さらにお好み焼きや野菜炒めで充分火を通して食べることにした。

 むろん、味自体は普通のキャベツと同じだ。ただ、甘味が強く、苦みは一切感じなかったのは、やはり完全無農薬であったせいだろう。

 怪しいキノコや木の実にはなかなか手を付けない家族も、さほど警戒せずに食べてくれた。

 二年越しのキャベツは二日ほどで食べきってしまった。

 そう高い野菜ではないから、生産効率としてはダメなのだろうが、長年付き合った末の収穫は、苦労が報われた気がして妙に嬉しいものであった。


 ところで玉を収穫した後のキャベツは……といえば、実は花壇から畑に引っ越すことになった。

 夏にはさらに枝分かれして這い伸び、今や花壇の半分を占拠したのだが、枯れる様子はまるでなかった。そこまで蔓延りだすと、またもや妻の目に止まるようになり、またまた引っこ抜かれてしまったのである。

 だが、もう俺も慣れた。メチャクチャにへし折られたキャベツをゴミ袋から救出し、墓の横にある放置状態の畑に植え直したのであった。

 そこに植わってもう一年。草ボーボーの畑なので、キャベツは以前ほどの勢いはないが、それでも元気に生きている。

それにしてもいつまで生きるのか? キャベツはアブラナ科だが、アブラナならば冬を越して一年で枯れる。いったいキャベツの寿命ってのは、どのくらいなのだろうか?

 気になって「キャベツ」「寿命」でネット検索してみたが、出るのは種子の寿命や購入したキャベツの長持ちのさせ方ばかりで、どうも収穫後のキャベツをいつまでも栽培し続けた、などというアホな例は無さそうだ。

 もういいや。こうなれば行けるとこまで行け。

 我が家に来てから三年半、義父母が種子を蒔いてからだと、もう丸四年以上。

 果たして何度収穫できるのか? そしてどこまで大きくなるのか? これからも逆境をくぐり抜け、雄々しく、たくましく、生え続けるのだ。

 頑張れキャベツ。

 負けるなキャベツ。

 いつか地方紙あたりに取り上げられるその日まで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る