第7話 スッポン

 そいつが釣り上がった時、正直俺は愕然とした。

 場所は、九州のとある清流。後輩三人と採集&自然観察旅行へ行っていた時のことである。九州北部は、様々な淡水魚の宝庫であり、そんな魚や生物を捕獲しつつの気ままな旅だから、ホテルなんぞには泊まれない。

 とにかく河原や空き地を見つけてはテントでキャンプ。

 食料も現地調達が基本ってことで、例によって、ナマズかウナギを捕るつもりで仕掛けた置き針に、スッポンが二匹も掛かっていたのだ。

 まあ、掛かっていただけならどうということはない。カメなぞ食う気はなかったから、放してしまえばいいのだ。

 だが、残念なことに、スッポンは二匹ともお亡くなりになっていたのである。

 さて困った。

 これが魚であれば、普通にさばいて食えばいい。殺した以上は責任をとる、というのが俺のポリシーであるからして、問題は何もないのである。

 しかし、俺はその時までスッポンなんぞさばくどころか、食ったこともなかったのだ。

 スッポンに出会う機会がなかったわけではない。

 食べなかった理由は、いわば家訓。祖父じいちゃんから「スッポンだけは食うな」と固く戒められていたのである。

 だがその理由を掘り下げて聞くと、実は大したことではない。

 祖父じいちゃんが創業者の、ウチの会社。その社旗のマークにデザインされたカメが描かれていたから、というだけなのである。

 長寿のカメと、名字の一文字をデザインで融合させた、機械の歯車のようにも見える単純なマーク。だが祖父じいちゃん的には会心の出来だったようだ。

 そんな社旗のデザイン対象を食うとは何事か、ということである。

 食うどころか、俺が小学生時代は、カメを飼うことすら許されなかったのだから、祖父じいちゃんの思い入れも分かろうというもの。

 カメ大好き小僧だった当時は、会社のマークを恨んだものである。

 それはさておきスッポンのことだ。カメ大好きだったからといって、当たり前だが、べつに食いたかったわけではない。しかも、スッポンは高校時代までに何度か飼育もしていて、愛着があった。

 本当なら、埋葬してやりたいとも思った。が、それではあまりに命が無駄だし、なにより無責任である。やっちまった以上、食うのが正しい。むしろそれが祖父じいちゃんへの供養ともなろう。俺はそう思い直した。

 まあ、当時は祖父じいちゃん、まだピンピンしていたんだけれども。

 さて、後輩三人とキャンプ、と書いた。

 このようなあてどない、ワケの分からぬ旅。普通なら男四人キャンプだと思うだろう。

 だが、この時はなんと、女子が一人混じっていたのである。

 しかも、めちゃくちゃ可愛いコだった。

 小さくて色白で、飾り気無く、素朴で、かつ生物に興味があって、芯がしっかりしていて、明るくて、お茶目なとこもあって……いや、俺は好きな人が別にいたので、そのコをどうこうしようって気は全くなかったのだけれど、確実に浮かれてはいた。

 大概の男ってのは、女子の前ではいいカッコしたくなるモンなのである。

 それが、そんな素敵なコの前で「俺、スッポンなんてさばいたことねえし」なんて、ヘタレなことを言えるワケがない。

 俺は胸を張って


「殺してしまった以上は食おう。大丈夫、けっこう美味しいよ」


 と、さも、食ったことがあるように言った。

 だが、まな板の上にスッポンを置いて、俺は首を捻った。

 魚なら分かる。

 真ん中に背骨が通っていて、肋骨があって、その間に内臓があるのだ。

 ウサギも実験で解剖したから、さばける。

 魚と同じようにお腹から刃を入れていけばいいのだ。

 だが、この腹這いになった平たい生き物の場合は? 一体、どこから包丁入れたらいいんだろう????

 その時、頭に蘇ったのが「美味しんぼ」そして「鉄鍋のジャン」のシーンであった。言うまでもないが、どっちも料理漫画。

 方や多くの人がご存じの、人気の長期連載漫画。最近はどうか知らんが。

 もう片方は、マイナー少年誌のマイナー漫画だが、俺は主人公の邪悪さが大好きで今でも読み返すほどだ。

 さて。たしか美味しんぼの山岡さんは、スッポンは皮や甲羅も美味い、と言っていた。捨てるところがない、と。つまり皮を剥ぐ必要はなく、どんな切り方をしたとしても、ウンチの詰まった消化管以外は捨てなくていい、ってことだ。甲羅も食えるって事か。

 それと「鉄鍋のジャン」の主人公・秋山あきやまジャンは、まず首を切り、生き血を搾ってから甲羅を剥がしていた。

 そうか。甲羅を剥がせば内臓が剥き出しになるはず。そこから消化管を取り去ればいいのだ。

 死んでいるから生き血は出ないだろうが、首を切り落としてから、甲羅を剥がそう。

 そのようにしていくと、不思議と簡単にさばけた。

 釣り糸が絡まって窒息死したらしいスッポンは、死んで間がないらしく、臭みはまるでない。

 鶏肉っぽい感じの筋肉も美味そうだし、山岡さんが絶賛していた肝臓もいい色だ。

 そうそう。たしか、肝臓の臭みをとるのは牛乳にくぐらせるのだとジャンが言っていたな。アレは豚レバーだったが。

 で、肝臓はミルクで洗ってから、もう一度水で洗って鍋に入れる。

 鍋仕立てなので、全体は醤油と酒で味付けする。そして山岡さんの教え通り、ショウガで匂い消し。

 できあがったスッポン鍋を後輩達の前に出す。キャンプとはいえ変わった朝飯だが、夜間の置き針で採れちまったんだから仕方がない。

 最初に箸を付けた後輩(男)が「美味うめえぇぇ!!」と叫ぶ。

 その声に釣られてか、可愛いあのコも食べてくれた。おお……食べ方も上品で可愛い。

 俺はもったい付けて、最後に箸を付けた。心の中で「祖父じいちゃんゴメン」と言いながら……。

 叫びを我慢するのがつらかった。

 初めて食ったのではないことになっているから、表情は「まあこんなもんか」だったが、正直、カメの肉がこんなに美味いモンだとは知らなかった。

 そりゃ、養殖したり専門に狙ったりするわなあ。

 とにかく、旨味が濃いのだ。鶏肉に喩える人がいるが、あんなモンと一緒にしたらスッポンに失礼だ。こっちの方がよほど美味い。

 今思い出してもよだれが出る。

 まあ、この時もナマズの時と同じ、かなりな透明度の清流だったから、そのせいもあったのだろう。とにかく美味かった。なにより、それを可愛い女子の後輩に食べさせてあげられたことが嬉しかった。

 さて、いったんタブーを破った俺にもう怖いモノはない。その後は料理店でも食べたし、中国に行った時にも普通に食った。

 料理法も、生き血はもちろん、刺身や雑炊も食ったが、どれも美味かった。祖父じいちゃんには怒られそうだが、今の俺には普通の食材だ。

 だがしかし、初めて食べたあの時ほどの美味さは、二度と感じることは出来ていない。

 まあ、スッポンも美味かったんだが、嬉しそうなあのコの笑顔が一番の調味料だったのであろうと思う。

 もう一度、あの味を感じるには、今度は家族を連れてキャンプに行くしかないんだろうなあ……


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