第8話 アメリカザリガニ
意外に思われるかも知れないが、俺がザリガニを初めて自分で採って食べたのは、社会人になってからである。
ブラックバス・ブルーギルと並んで、タチの悪い外来生物の筆頭に挙げられることの多いこの生き物だが、子供の頃の俺にとっては、良き遊び相手であり、また大切なペットでもあった。
何度も捕まえては来たものの、よく死なせては泣いたものである。
子供向けの本に書いてあった飼育方法が、ひたひたに水を入れて煮干しやホウレンソウを与えよ、というものだったから、今にして思えば死ぬのは当たり前であった。逆に、よくしばらくの間でも生きていたものだと思う。
また、原産地では人間が食用にしている、という記述を見つけたのも、インターネットが普及し始めてからであった。当時の本には『食用ガエルの餌として輸入された』としか紹介されてはおらず、全く食欲とは結びつかなかったのだ。
つまり、彼等は俺にとって「食用生物」ではなく犬猫と同じ「ペット動物」の一つであった。
俺が初めてザリガニを食したのは、大学四年の春。なんと場所は、驚くなかれフランスのパリだったのである。
卒業旅行……というようなものではない。
俺が大学四年の春、初めての家族揃っての海外旅行に、ヨーロッパを選んだのは父だった。
経営者だった父は、若い頃から、お客さんの接待やメーカーの招待で海外旅行をしょっちゅうしていたから、旅慣れてもいた。英語が上手かったワケではないが、身振りを交えて現地の人と話し、ツアーガイドなしの家族旅行も、何の滞りもなかった。
ドイツ、フランス、オーストリアを巡る旅。
だが、そのへんの歴史や文化に余り興味がなかった俺は、とにかく生き物と料理に目がいっていた。
観光地でシジュウカラガンが餌付けされているのを興味深く観察したり、ベルサイユ宮殿の中庭で、カラフルなカタツムリを捕獲したり、ドイツの肉屋でソーセージやレバーのパテをしこたま買い込んでホテルの部屋で食べたり、割と充実した旅行ではあった。
そんな中、ザリガニ料理に出会ったのは、たしか、エッフェル塔近くのレストランだったと思う。
エスカルゴ料理を食べよう、ということで、その店に行ったのだ。
コース料理の中の、白身魚のムニエルか何かの付け合わせとして、真っ赤に茹で上げられて、ちんまりと、皿の隅っこに一人一匹ずつついてきたのが、小型のアメリカザリガニであった。
だが、たとえ真っ赤に色が変わろうと、この姿形を見間違える俺ではない。父にこっそりと言った。
「これ、アメリカザリガニやで?」
「ほんまか? エビやろこれ?」
「聞いてみたらええやん。絶対、アメリカザリガニやってコレ」
「ほんなら聞いてみるか」
「※△×※÷!」
父の英語に対する、店員の返事はまったく聞き取れなかった。
今にして思えば向こうのザリガニ食材名である「エクルヴィス」とでも言っていたのだろうと思われる。
結局、正体不明のエビ、ということになったが。俺のザリガニ発言に、食欲を無くした俺以外の家族三人は、自分のザリガニを俺にくれた。
味は……お世辞にも美味いとは思えなかった。
何しろ小さすぎて食うところがない。殻ごと食うには堅すぎる。
しかも、茹でてからだいぶ時間が経っているらしく、すっかり冷めたそのザリガニは、旨味もあまり感じられなかったのである。
その次の出会いも、やはり自分で採ったわけではなかった。
社会人になった俺は、久々に帰った郷里で、同級生達に呼ばれて居酒屋へ行ったのだ。
遅れて席に着いた俺に、「コレ食ってみろよ。うまいぞ」と差し出されたのが、ザリガニの唐揚げであった。
そういえば、入店時に入り口の水槽にザリガニが入っていたのを思い出した。
いわゆるちゃんとした飼い方ではなく、ひたひたに水を入れていて、ザリガニはぐったりしていたので、気になってはいたのだ。観賞用かと思ったが、売り物だったのか。
それにしても、そもそも飼い方もダメだったが、世話もろくにしていないのがアリアリだった。横を通るだけで、水換えしていない水槽特有のあの臭いが漂ってきていたのだ。
差し出されたザリガニを一口囓った俺は、思わず吐き出しそうになった。
なんと、前述のあの、『水換えしていない水槽特有のあの臭い』が、ザリガニそのものから漂ってきていたのだ。
「ちょっと泥臭いけど美味いよな」
などと言いながら、ザリガニを囓る友人達。
いや、ちょっとじゃねえし。
これは、泥臭いのとも違うし。
べつにザリガニのせいじゃない。間違いなく捕獲後に付いたこの悪臭。
……飼育臭。とでも言えばいいのか。水生生物を飼育した経験のあるヤツなら、誰でも知るあの臭い。水替えをサボった時のあの臭いだ。
何度もその臭いを嗅いでいる俺には、とても食えるモノではなかった。
これでは本当のザリガニの味は分からないだろう、と思いつつ、本当のザリガニの味はどんなものか知らないことを、少し悔しく思ったものである。
ついに自分で捕獲したザリガニを食う機会を得たのは、それから更に数年後だった。
とある小学校のビオトープを任された俺は、ビオトープ整備後三年目にして、ザリガニの大量発生に頭を悩ませていた。
造成当初は、埋土種子から生えたたくさんの水草と、子供達の放流したフナやドンコ、メダカに沸いていたビオトープ池は、ザリガニによって見る影もない泥池に姿を変えたのだ。
ザリガニは有機質であれば何でも食う。動物質に引き寄せられる傾向が強いので勘違いされるが、野生下のザリガニは、特に好んで植物質を食うのだ。
天敵がおらず、行き来も少ない狭い池では、柔らかい水草などひとたまりもない。
当初俺は、ウナギを百匹ほど仕入れて巨大水槽で飼育した。
ザリガニを与えるためである。
ザリガニで肥え太らせて、自分がウナギを食べる作戦、であったが、ザリガニはいくら捕ってもいなくならず、一畳サイズの大水槽は、常にウナギとザリガニが同居している状態となってしまった。
ザリガニを捕るのは簡単なのだが、後始末が大変なのだ。
道端に放置して、カラスに食わせている団体も近くにあったが、それではカラスが殖えすぎる。
で、結局、自分で食べてみることにしたのである。
ビオトープ池に罠を仕掛けると、一時間ほどで百匹以上が捕れる。まず、大小に大きさをより分け、よく洗う。
小さいものはよく水を切ってから、素揚げ。
大きなものは塩ゆでだ。
どちらも、熱が通ると同時に鮮やかな朱色になり、いかにも食欲をそそる料理へと姿を変えた。
特に塩ゆでの方は香りがいい。
ズワイガニやワタリガニを茹でたことがある方はご存じだろう、湯から漂う食欲をそそる匂い。ちょうどあの匂いと同じなのだ。
居酒屋で食った時の、あのイヤな臭いとは全然違う。
だが、油断してはいけない。もしかすると、噛み締めるとあの臭いが出るのでは……と少し怖じけたが、勇気を出してかぶりつく。
美味い。
泥吐きなどさせていない、採りたてのザリガニなのに、泥臭さなど微塵もなかった。
これなら、まだイセエビの方が泥臭いくらいである。
居酒屋のアレはやはり『飼育臭』であったのだろう。
甲羅を剥がすと噴き出てくる熱い汁は、旨味も満点。その中の黄色い味噌も、ズワイガニに匹敵する旨さだ。身が少ないのが玉にキズだが、その分、味は濃厚なのだ。
小さくても、充分に満足できる味。味だけで言ったら、確実にイセエビを凌駕しているだろう。
さすがフランス料理に使われるだけのことはある。
では、素揚げの方はどうか。
これまた美味い。
『川エビの唐揚げ』なんぞよりも、味噌の分だけ味が濃くて新鮮なのだ。ただやはり、旨味はさておき、殻が固い。特に中くらいの個体は、旨味もあるが固くて頭の部分は食べにくかった。
おためし、ということでその時は百匹ほど「しか」食べなかったが、それ以来、駆除で捕獲したザリガニを食うだけでなく、たまにため池に罠を掛けて、捕って食っている。
ただ、ビオトープのザリガニに比べると、どうしても少し味が落ちるのであるが。
エクルヴィスバターや、カニコ汁など、試してみたい料理のバリエーションもあるが、それはまだやってみていない。
だが、何故ビオトープのザリガニはこれほどまでに美味いのか?
ナマズの項でも書いたが、農薬や生活排水が全く入っていないからだろうと、推測できる。また、生物相が貧困な、ため池のザリガニは、どうやら落ち葉ばかり食っているようだが、ビオトープには様々な水草や生き物がいる。 つまり、食い物からして違うのだ。
ザリガニは雨の時に陸地を歩いてやって来るから、防除は非常に難しい。おそらく、大発生に困っているビオトープ池は各地にあるだろう。
だが、人間が食べれば、問題は一挙に解決である。
美味なだけでなく、これほど安全で健康的な食材もない。しかも、生態系の回復に寄与するのであるから、一石四鳥と言えよう。
ザリガニの発生でお困りの方、ぜひぜひ、一度召し上がってみていただきたい。その美味に病みつきになること請け合いである。
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