第11話 ウサギ
『……ウサギ、車で轢いちまいました』
夜の九時過ぎだったと思う。後輩からの電話は突然であった。
声の主は、例のハクレンに引きずり込まれ掛けた後輩だ。
「そいつは、大変だったな。埋めてやったのか?」
俺はわざとそう聞いた。
こんな夜中に、よりによって俺に電話を掛けてきたってことは、埋めて終わり、なんてあるはずがないとは分かっていたが、常識人の振りをしたのである。
『いえ。持ち帰ってきました』
「剥製標本にでもする気か?」
「いえ。食ってみようと思って。先輩、さばいてください」
わあ。やっぱりそうきたか。
もしかすると、わざと轢き殺したんじゃないか、と疑ったが、どうもそうではないらしい。
T大学は道路がでかいことで有名だ。なにしろクソ田舎のクセに片道四車線という広さで、しかも延々と真っ直ぐ。有事には飛行機滑走路になるのだとかなんだとか。
で、このウサギは、後輩がその道路の一番右側の車線を走っていた時、中央分離帯の植え込みから、ぽろっとこぼれ落ちるように飛び出してきたのだという。
しかしまあ、ウサギで良かった。
たまに徘徊癖のあるご老人や、横断歩道まで行くのをめんどくさがった学生が、同じようにぽろっと飛び出してくることがあるのだから、この道路は実は恐ろしいのだ。
相変わらずの行動力で、すぐに死体をアパートに持ってくる、と言い出すので、俺は慌てて断った。当時から妙な生き物を飼育したりして、変な臭いを発生させたりしていた俺だから、ウサギの解体現場を近所の人に見られようものなら、今度こそ追い出されかねない。
結局、ウサギの解体場所も、ハクレンの時と同じ「森の中のシェアハウス」になったのであった。
「
「先輩。ふざけてないで、さばいてください」
だって、言いたくなったんだもんよ。
目の前に横たわる、死にたて? のウサギは死後硬直すら起こしておらず、ぐんにゃりしてフサフサして、なんか一種異様な可愛さがあった。
死んでても可愛いとは、さすがウサギ、恐るべし。
見た目は大した外傷はないようだったが、即死だったというだけあって、頭を触ると骨がグズグズに砕けている様子。内臓も少しはみ出していた。
だが基本的には、たしかに綺麗な死体だ。食べてみようかって気になったのも、分からないことはない。
けっこう何でも食うクセに、感染症とか寄生虫に厳しい「農業系ワイルド後輩」の指示で、解体場所は風呂場になっていた。
「
などと言う。自分はこの前、釣ったイワナの卵巣、生で食ってたくせに。
自分のことには無頓着なのだな、とその時は思ったが、後で調べると、野兎病は確かにヤバイ病気。それと知らずに放置すると、三割以上の死亡率となるらしい。皆様もお気をつけになられたし。っつっても、コレ読んで、さあノウサギ捕まえて食おうかって人はなかなかいないだろうから、そう心配はしなくても良いだろうが。
まあ、後輩の言うことは聞くべき、ってことで、俺は研究室からくすねてきた手術用のゴム手袋を嵌め、マスクをした状態で
ウサギは、スッポンよりはさばきやすかった。
以前、ハクビシンや鳥の轢死体から剥製を作ったことがあって、哺乳類や鳥の基本の骨格や筋肉の付き方は知っていた。それで何とかなったって事もある。
腹を割いて内臓を取り出し、手足に切れ込みを入れて、そこから皮を剥がしていく。
皮を引っ張りながら、肉と皮の境目に刃を当てて、少しずつ剥がしていくのは、神経を使う作業ではあるが、慣れれば大したことはない。剥製作りの時は皮に脂肪を残さないように気をつけなくてはいけないし、皮に傷を付けてはいけないから気を遣うが、今回は食用であるから、肉のことにだけ気を遣えばいい。
すっかり皮を剥いで、ズル剥けの筋肉がむき出しになったら、手足の関節を外して切り取り、首を落とし、背骨から肉を剥がしていくのである。
ノウサギの肉は、赤っぽくて締まっていて、なんだか少し鶏肉に似ていた。
脚の肉はそのままロースト。
背中のたっぷりとした肉は、いくつかに切り分けて串焼きにすると、ちょうど兎肉で作った焼き鳥のような料理になった。
血まみれになった風呂場を片付けていると、「おお旨い!!」と叫ぶ声。
おいおい。その声の主は、兎を持ち込んだ後輩でもなく、場所の提供者でもないじゃないか。
しかも、神経使ってさばいた俺をさておき、何で真っ先に箸を付けるのか。ちょっとムッとしたが、そいつはまあ、そういうヤツなので怒っても仕方ない。あとでチョウセンゴミシ酒責めにしよう。
俺は、ウサギを持ち込んだ『ハクレン後輩』、部屋を提供した『農業系ワイルド後輩』の後に、焼き鳥状に焼かれた肉に手を付けた。
おお、確かにコレは旨い。
柔らかくきめ細かな肉質は、鶏肉よりもしっとりしていて、牛肉よりもクセがない。
脂身はほとんど無いにもかかわらず、血の味っぽいコクというか旨味があって、喩えて言うなら、鶏肉にレバーの風味を付け加えた感じだろうか。
それでいてまったくクセがないのだから、大したものである。
ただ、轢き殺された時、内臓が破裂していて、腹腔内に内容物が飛び散っていたのだが、その周囲の肉、つまり骨付き肋肉には、ちょっと異臭というか、食欲を減退させるような臭いが付いていたが。
脚の肉の方は少し固かったが、まあ、これは仕方ないだろう。
だが、味わいは背肉に勝るとも劣らず、これなら狩猟でわざわざ捕獲して食べようという気になるのも、分からなくはない。
どうやら煮る系の料理にも合うらしいので、農業系ワイルド後輩と、次はシチューにしてみようとか、いろいろ料理法を考えるのも楽しかった。
だが、結局俺は狩猟免許は取らなかったし、こういう偶然が何度もあるわけもなく、いまだに二度目のノウサギの肉には出会えていない。
以前は、デパートの地下で兎肉を売っていたこともあったが、やはり売れなかったのだろう。見なくなって久しい。
だが、必死で探して買えたとしても、野生のノウサギの味に勝るとは思えない。
どうも食えないとなると、あの味が思い出され、無性に食べたくなる。
目の悪い俺は、銃猟免許は取れないのだが、罠猟の資格を持っている友人がいるから、そいつに頼めば捕れるかも知れない。そうして、いつかもう一度くらいは、ノウサギを食べてみたいものである。
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