第28話 クギタケ


 時系列も料理も生物種も順番は一切無視して、思いつくままに体験を垂れ流してきたわけだが、今回が二十八話目。

 そろそろネタ切れか? と言われれば、そうでもない。

まだまだ食った野生生物で紹介してないものはある。だが、ただ食って美味しかった、あるいは不味かっただけのものでは、ご紹介するには役者が足りない。

 また、あまりに時間が経ちすぎていると、詳細なディテールを忘れているものもある。

 この作品、失恋ネタが多い、と感じられる向きもあるかも知れないが、それもそのはずで、そういう精神的ショックでも受けたのでもないと、エピソードを思い出せないのである。それほどまでに、普通に野生のモノを食っていたとも言えるが。

 さて、そんなこんなで、今回のネタは現在。ほんのここ数ヶ月の話である。


 主題のクギタケは、今回初めて食ったわけではない。

 大学時代の友人であるキノコ男に教えてもらい、何度か食ったキノコだ。

 だが、このクギタケ、友人が教えてくれた時には、ほんの一、二本、芝生のような場所から、申し訳程度に生えていた、小さな小さなキノコであった。


「おお!! これクギタケだよ!! 食べられるよ!! 」


 と、大げさに教えてくれはしたのだが、鍋に入れたら混ざってしまって、正直、味など分からなかった。


「美味しいキノコのはずなんだけどなあ、どこ行った!!」


 キノコ男は必死で鍋の中を探っていたが、結局、誰の胃袋に収まったのかすら分からなかったのである。

 それがまさか、我が家の庭に生えてこようとは。


 いや我が家、というとちょっと違うか。

 前にも書いたが、いつも野生モノを調理している、祖父じいさんの家の庭である。

 クロマツやアカマツが生え、スダジイが実り、シラカシにはヒラタクワガタやカブトムシが夏になるとやって来る。繁みには野良猫だけでなく、アライグマやタヌキ、イタチが潜む。そして例年、ハツタケとチチアワタケが生えてくる庭である。

 美味なこの二種を、俺は毎年採っては、おやつ代わりに食べている。

 ハツタケはまだしも、チチアワタケは最近になって毒成分が見つかっていて、「毒」と紹介している文献やサイトも多いが、まあ、丁寧に皮と管孔(カサの裏のブツブツ)を取り除き、大量に食べなければどうということはない。

 ハツタケとチチアワタケは、どちらもマツと菌根を作る共生菌であるから、生えても不思議はない。気づかない人も多いのだが、公園や駐車場の植え込み、街路樹などの根元近くにも、よくひっそりと生えているキノコだ。

 しかし、所詮、庭である。松林と呼べるほどのものではないため、いつもならハツタケは直径二、三センチ。チチアワタケも数本程度しか生えない。

 今年もそんなもんだろうと思っていた。

 しかし、夏も終わりのある日。状況を一変させる出来事が起きた。

本家のご隠居が、急に会社にやって来たのである。


「Tちゃん、おるか? 祖父ちゃんの家の庭、草刈っておいてあげたでの」


 本家の当主Hさんである。

 つまり、『スズメバチ』の項で、俺にコガタスズメバチの巣の撤去を依頼してきたあの人だ。

 分家のしかも空き家の庭など、放っておけばいいのであるが、元来の世話好きで、超健康。しかも七十歳を越えてようやく勤めを辞め、隠居中という方だから、じっとしていられないらしい。

 先日、祖母の法事にお招きした時に、荒れ果てた庭を見て、どうにも放っておけなくなったようで、家人に何も言わずにウチの庭の草を刈ってくれて……ってまあ、不法侵入? 

 それはいいとして、俺が見に行ってみると見事にきちっと刈り込まれた庭。


「うああああああ」


 俺は思わず唸った。

 クラマゴケ、オオバギボウシ、カンアオイ、ホトトギス、ユキノシタ、丁寧に植えておいたそういった草系の連中が、すべて刈り込まれてしまっていたからである。

 いや、そこまで大事にしていたわけでもないのだが、しかしその綺麗さと言ったら、見事なもので、掃除機でもかけたよう。

 これまで、見えたことのない地面が見えている。

 庭一面を覆っていた、チガヤ、アレチヌスビトハギのような大型草本はもちろん、ハイゴケやコナスビ、ニワスミレ、ハハコグサといった、一見害も無さそうな小型の植物も一掃されている。堆積していた松の葉や落枝も、影も形もない。

 もともとかなりな広さで、シルバー人材にお願いしても数人で数日がかりでむしる草を、どうやってたった一人で、しかも一日で処分したのかは分からないが。

 祖父の作った、中途半端な日本庭園を、数年掛けて樹林ビオトープに改造しようとしていた俺は、かなりがっかりした。


「余計なことをしてくれたものだ」


 正直その時はそう思ったが、やっちまったもんはどうしようもない。

 結局、そのまま秋を迎えることになったわけである。


 そうそう、これはキノコの話なのである。

 お節介焼きの本家の当主の草刈りと、何が一体関係するのか?


 実は、俺もすっかり忘れていたのだが、キノコは落ち葉かきをすると、大量に発生するのだ。原理は不明だが、マツタケ山もそういう管理をするらしい。

 この年の庭のキノコの発生量は、それはもう空前であった。

 ほぼ毎日、ハツタケ、チチアワタケが採れるのである。キノコだけで腹一杯になるほど。

 そして、今回のテーマであるクギタケも、ここに現れたのであった。

 最初は、何の種類か分からなかった。分からないものは食わない。

 キノコ狩りにはそういう鉄則がある。


『種の同定が出来ないキノコは、どんなに美味そうでも喰ってはいけない』


 である。

 命が惜しければ、これを絶対に守るべきなのだ。

 たとえ、慣れた食菌と多少似ていても、別種なら食ってはいけない。どれだけ美味そうに見えて、しかも大量に生えていようとも、食ってはいけない。

 あとでそれが本物のホンシメジであったと分かろうと、仕方がない。命あっての物種なのだから。

 この鉄則を忘れて、キノコ中毒で死ぬ「名人」が実際にいるのだから、鉄則は絶対、なのだ。

 であるから、本来はこのキノコ、無視してしかるべきモノであった。

 だが、どうも記憶の彼方に、あのキノコ男の言葉が引っ掛かっていた。


『そうなんだよ!! このカサのてっぺんがポチンって尖ってるだろ? これ、カサが開いても消えないんだ。それと、この柄の長さ。釘みたいでしょ? これがクギタケっていう名前の由来で……』


 聞いたのは、遙か昔ではある。

 だが、あのキノコを見つけた時、キノコ男は妙に嬉しそうだったじゃないか。小さくてしょぼくて大して旨そうにも見えなかったあのキノコ……だが、目の前にあるコレは、キノコ男の言った通りの特徴を持っている。

これ、クギタケじゃねえのか?

 だが、間違っていたら怖いしな……。

 とにかく、一本食べてみよう。

 それが俺の結論だった。一本食って大丈夫なら、二本食ってみよう。中毒が出なければ食菌なのだ。何より、これ、たぶんクギタケだし。

 で、翌日の朝食。俺はキノコの味噌汁を作っていた。

 朝食の味噌汁の具は、エノキと豆腐の予定であったが、そいつにクギタケ? を一本放り込んでみたのだ。


 言い忘れたが、我が家では朝食は俺が作る。家族中では妻が一番最後に起きてくるからだ。小学生の息子と娘を、朝食なしで登校させるわけにはいかない。

 昼食も会社から帰って俺が作る。

 休日は三食俺が作る。

 妻は専業主婦である。べつに体はどこも悪くない。

 ふざけんな。という思いは強くあるが、妻は美人だし、ツンデレな性格的にも可愛いところもなくはないので、現状に甘んじているわけである。


 話が逸れた。

 俺は朝食に妻が口を出さないのをいいことに、味噌汁に食毒不明のキノコを放り込んだわけである。もし、これが猛毒キノコなら、家族一同、枕を並べて討ち死にするばかりである。

 だが、いくら何でもそれはあんまりなので、キノコ自体は俺が食うことにした。ダシだけなら大した問題にはなるまいし、たとえ中毒したとしても、死ぬのは俺だけのはずだ。

 だが、煮上がったキノコを見て、俺は愕然とした。


「キャアアアアッ!! 何コレこのキモイ色ッ!!」


 思わず、少女っぽく叫んでしまう。

 クギタケ? は濁った紫色に変色していたのである。


『何騒いどんじゃゴラァァアアア!!』


 二階の寝室から妻の怒鳴り声が響く。

 やべえ。妻にこの紫色のキノコが見つかったら、せっかく作った味噌汁ごと捨てられかねない。

 いや、こんなの言われるまでもなく捨てるべきなんじゃないのか?

 いやいや、それにしも色以外の特徴はクギタケで間違いないしな。

 いやいやいや、怪しいキノコは食わないのが鉄則のはず、

 いやいやいやいや、どんな毒キノコでも、少量なら命に関わらないと言うではないか……

 俺の脳内では、目まぐるしく思考が入れ替わった。

 で、結局、かなり賭けのつもりで覚悟を決め、その一本だけのクギタケ? を食べてみた。

 結論から言えば、このクギタケ? の味は想像以上であった。

 一緒に放り込んだハツタケ、チチアワタケより、歯ごたえ、旨味、共に上回っている。少し酸味がある変わったキノコではあったが、オーソドックスなタイプの味わいを持つキノコだったのである。

 その後、ネットで調べ直すと、この熱を通すと紫色になる特徴は、クギタケ独特のものであり、むしろ安心して食えると分かった。

 まあ、そのくらい先に調べておけって話だが。

 クギタケが食えることを教えてくれたキノコ男は「喰う」ことには無頓着で、クギタケが火を通すと不気味な紫色に変化することも教えてくれなかったのだ。あの日、誰かの胃袋に収まったであろうクギタケも、たぶん不気味な紫色に染まっていたのであろう。

 当時は、しょぼいのが一、二本しか採れず、まったく食指が動かなかったのだが、今回はけっこうな大きさのモノが一度に十本以上。それが数回続いた。

 茹でて冷凍しておいて、味噌汁、鍋、バター炒めと、クギタケをさんざんに堪能させていただいた。どうしていきなり庭にクギタケが生えたのか分からないままに、俺は今シーズン、クギタケを中心にキノコ生活を送った。

 

 後で分かったことなのだが、クギタケはチチアワタケやヌメリイグチなど、イグチに寄生するキノコなのだ。イグチというのは、カサの裏がヒダでなく蜂の巣状の穴、「管孔」になっているタイプのキノコの総称だ。

 チチアワタケが異常発生した庭に、クギタケが大量に生えるのはじつに理にかなっていたわけだ。

 キノコ男にクギタケを見せてもらった当時、クギタケがチチアワタケに寄生するということは分かっていなかったのだ。

 面白いもので、本家のHさんがお節介を焼いてくれたおかげで、キノコは量だけでなく種類までも豊富になったのであった。

 こういうことなら、俺も庭を草ボウボウにせず、少しくらいは掃除しようという気にもなる。

 来年は、もう少し種類を増やすため、ホダ木でも仕入れてこよう。あと、松の木がせっかく多いのだから、最終目標はマツタケとしよう。

 もし生えたら、人生初、自分で採ったマツタケの味を、この「きゃっち☆あんど☆いーと」で報告させていただきたい。

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