第34話 必死の戦闘
僕はこの世界に来て日が浅い。だからこそ僕の魔符に関する知識は限られてしまう。しかし今までの出来事の中に、ヒントとなるものは確かにあった。それを数瞬のうちに思い出せたからこそ、僕は戦うための作戦を思いつくことができた。
ラシュトイア王女が持っていた二枚の魔符を実体化させる。灰色の魔符が延長するかのように、細長い物体へと姿を変える。肌色の魔符が僕の身体に染み込むかのように、僕と一体化する。
戦意に満ちた僕が、スッと細身の剣を構える。剣術の心得もない、素人の構え。その様子を見ていたツルゴは、険しい表情になりながら腰のホルスターから魔符を取り出し、実体化させる。現れたのは、長剣だ。刃渡りが一メートル以上あり、その大きな体格を活かすいい武器である。対する僕の剣は、それよりもはるかに短く頼りない。リーチに関しては相手に分がある。
だが、僕はそれを逆手にとる。
僕は靴底を引き摺るようにして半歩下がる。すると足の裏に硬質な物体の存在が伝わってきた。線路の枕木である。足の裏でとらえた枕木に目一杯の力を込め、一気に踏み込む。力の作用と向上した身体能力により、僕は弾丸の如く勢いを増してツルゴに迫る。
その際、僕は瞠目した。テレの身体能力を保存した魔符により、僕の身体は強化されたわけだが、その効果が思っていた以上のものだったからだ。同じ人間で、しかもテレは女の子であるわけだが、しかし身体は軽いくせに力強く、そしてしなやかであり、全く違う生命体であるかのようだった。
だが僕が瞠目したのは一瞬だった。何せ、踏み込んだ次の瞬間には、僕はツルゴに肉薄していたからだ。一瞬に満たない刹那の時間で、僕は我に返り、剣先を前に突き出す。
突進の勢いを乗せた渾身の突きであったが、しかしそれは残念なことに、ツルゴは長剣で突きをいなすようにして防いだ。それにより僕はツルゴとすれ違い通り過ぎようとしたが、かろうじて踏みとどまり、振り返る動作に連動して至近距離から横薙ぎの一撃を放つ。
しかしその一撃も、ツルゴの巧みな剣さばきによって防がれる。護身用の剣の刃と長剣の刃がぶつかり合い、硬質な音が響き渡り、そして地下空間に残響する。その際、剣と剣がぶつかった衝撃が腕を伝って身体に到達し、僕はたまらず顔をしかめた。
僕が鈍った一瞬を利用して、ツルゴは間合いを開ける。そして大振りに振りかぶり、長剣の特性を活かした重い一撃を放つ。
僕はその縦斬りを、テレの優れた動体視力をもって捉える。その斬撃が、照明としての役割を果たすラシュトイア王女の魔符の光を照り返し、手に取るようにその軌道が見えた。僕は反射的に後退し、その剣先をギリギリのところで躱す。
僕とツルゴの距離は再び開かれ、剣を構えて睨み合う。そして互いに次の一手を繰り出す隙を窺う。
これでいい。初めての剣戟にしては、上出来だと思う。僕は戦闘と緊張によって加速した心拍を意識しながら、素直にそう思った。距離による不利があるというならば、不利にならないよううまく立ち回ればいい。
ツルゴの剣は刃渡りが長い分重量がある。それを振り回すとしたら、一番威力があるのは遠心力の効果を得られる刃先だろう。だからツルゴとしては、刃が届くギリギリのところで斬撃を放ってくるはずだ。しかし弱点としては、接近してしまえば威力が落ちる――当然刃がついているので、根元でも当たればただでは済まない――し、剣が長い分近距離での扱いが難しくなってしまう。
一方僕は、ツルゴの剣よりも短い細身の剣だ。短い分軽いし威力も落ちるが、長剣よりは接近時での扱いは容易だ。
だからこそ僕は、うまく自分の間合いにツルゴが入るよう立ち回らなければならない。しかしそれでも、間合いが開けてしまうタイミングは必ず発生する。そのときは全力で回避するだけだ。
剣術に関しては素人だが、剣というものを物理的に考えれば、どう動けば効果的なのかがはっきりする。それに僕の作戦としては、剣で相手に傷を負わす必要はない。ただ断続的に攻撃を仕掛け、相手の自由を奪えばいいだけなのだ。
僕は一度だけ深く呼吸し、意を決して動き出す。地面を蹴ることで急接近し、剣を振り上げ斬撃を放つ。しかしその素人の攻撃は当然の如くツルゴの長剣に阻まれ、またしても金属音を響かせただけだった。だが、これによって僕は再びベストな間合いを得る。
防がれた剣を一旦引っ込め、僕は第二撃目を放つべく振りかぶる。しかし、
――――ッ!!
僕の腹に、衝撃が走った。
起こった出来事は単純だ。振りかぶった僕は胴体ががら空きとなった。そこにツルゴは膝蹴りを放ったのだ。僕は一瞬にして身体をくの字に曲げ、痛みによって意識が明滅する。そこに追い討ちとして、ツルゴは身を翻して回し蹴りを繰り出す。遠心力を纏った足が僕の身体に直撃、僕はそのまま吹き飛ばされてしまう。
固いコンクリートの地面に僕は叩きつけられる。そして勢いが残っていたのか、少しばかり地面を滑る。身体に膝蹴りと回し蹴りの痛みが残る。受身をとることなくコンクリートに叩きつけられたため、身体のあちこちが悲鳴をあげている。地面を滑ったことにより、頬に擦り傷ができた。
喧嘩などまともにしたことがない僕としては、今の攻撃で心が挫けそうになった。しかしそんなことにかまけている場合ではない。魔符によって身体能力を強化された僕は、その目でツルゴの不審な動きを捉えたからだ。戦闘慣れしていない僕でも、身体の奥底に眠っていた本能が目を覚まし、反射的に身を起こして横に飛ぶ。
転瞬、先程までいた場所に、矢が飛んでくる。ツルゴが腰のホルスターから魔符を取り出し、武器を実体化したのだ。その武器は、テレも持っていた弓と拳銃が一体化したような武器だった。僕は回し蹴りによって吹き飛ばされたが、それによってツルゴの長剣での間合いを抜け出していた。そこでツルゴは飛び道具によって攻撃を仕掛けてきたのだ。
僕は矢が飛んできたことを認識すると、身体の痛みを強引に無視して立ち上がり、すぐさまツルゴに向かって攻撃を仕掛ける。僕の接近に対して、ツルゴは飛び道具を捨て、長剣で迎え撃とうとする。そして僕が長剣の間合いに入った途端、横薙ぎに一閃。僕の接近を拒んだ。
僕はその動きを察し、足に力を込めて無理やり止まる。その瞬間、僕の身体の前を剣が通りすぎ、風圧が僕の制服をなびかせる。長剣による、二度目の斬撃。しかしその攻撃に怯んではいられない。僕は剣が通過したタイミングをみて再び前進し、細身の剣を袈裟懸けに振るう。
しかしツルゴも戦闘のプロだ。僕がそう攻撃を仕掛けることは予測済みで、剣を横薙ぎに振るいつつ、回避行動の事前行動に出ていた。剣を横薙ぎに振るう際に踏み込んだ足に再び力を入れ、今度は逆方向、後方に下がる。それにより僕の斬撃はかすりもしなかった。
しかしツルゴが後ろに下がった分、僕も前進している。まだ僕の間合いは維持されているのだ。僕は次の攻撃を放つ。その斬撃を、ツルゴは長剣の刃で受け止め、そのままつばぜり合いに持ち込む。
力と力の押し合い。しかしいくら身体的に強化されているといっても、テレのパワーでは屈強なツルゴにはかなわない。僕は全力で刃を押し込めるが、ツルゴはびくともしなかった。逆に、ツルゴの押し込みに負けそうだった。
次の瞬間、ツルゴは裂帛の気合とともに押し込む力を強めた。その結果、僕は姿勢を崩してよろめく。そしてツルゴは半歩下がり、長剣を振り上げた。
僕は瞬時に危機的状況を察知し、回避しようとする。しかし、
「ウグゥ!」
僕は長剣の間合いを脱することができず、刃先が左の二の腕をかする。刃は制服ごと縦に切り裂き、鮮血が吹き出す。血は制服を染めるとともに左腕を伝っていき、指先からポタポタと垂れる。僕は咄嗟に、右手で剣を握りながら左腕をおさえる。
痛いなんてもんじゃない。熱い。幸い傷は浅いようだが、しかしまるで焼きごてを押し付けられたかのように、左腕は熱をもって痛みを訴えている。
三度目の斬撃は、見事に食らってしまった。
しかし、これでいい。最初から無傷で勝てるとは思ってなかった。負傷するのは予定通りだ。むしろこれだけの傷で済んだのが幸いだ。
僕は左腕をおさえるのをやめ、右手で握った剣の先をツルゴに向ける。まだ戦いは終わっていない。
腕の痛みを堪えつつも、僕はツルゴを睨みつけ、言外に「来いよ」と挑発する。ツルゴのメインの武器は長剣のようだが、先程の飛び道具といい、何が出てきてもおかしくない。故にどこからでも攻撃できるということを前提とし、相手を警戒しつつも全方向に移動できるよう意識を集中させる。
しかし新たな武器が出てくることはなかった。素人相手に、無駄に魔符を消費することを躊躇ったのか、今持っている長剣を振り上げながら大きく踏み出し、一気に間合いを詰める。
四度目の斬撃。そろそろだな。
僕はそう判断し、大げさに後ろに下がって露骨に距離をとる。ツルゴはその対応に対して表情をしかめたが、次の瞬間、その表情の意味合いが変わった。
なにせ、僕は後方に下がりながら、右手に持った剣を投げ捨てたからだ。
ツルゴは訝しみながらも、僕に刃を振り下ろすために接近する。
ツルゴよ。お前は戦士として真剣に僕と戦闘していたのか、それとも弱者に希望を抱かせるためにわざと手を抜いて戦っていたのか、それは僕にはわからない。しかし実力として、僕は負傷しているのに対してツルゴは無傷だ。そもそも呼吸すら乱れていない。誰がどう見たって、僕が負けるのは明白だ。
しかし、勝機はまだある。
一撃必殺の切り札は、絶対に外すことのないタイミングで放つものだ。
僕は手ぶらとなった右手を、制服の胸ポケットに突っ込む。
僕が即席で立てた作戦は、完璧だった。
僕はこの状況を打開するために、なにかヒントとなるものを脳内から検索した。とりわけ魔符関連のことを。そして明確に思い出したのだ。僕が魔符のことを驚異と感じた出来事のことを。
そう、テレが僕の鼻の穴にレイピアを突っ込んだあの出来事のことを。
僕はあの時、テレが接近してくるまで、何も武器を持っていない丸腰だと思っていた。しかし腰のホルスターから魔符を取り出すやいなや、自身の得物が手元に出現した。魔符で武装するということは、得物を相手に見られることがなく、相手からしたら間合いのとりようがないのだ。現にツルゴは、飛び道具を使って攻撃してきた。
だが、同じことを僕にもできる。
戦闘に関して素人である僕が、何故わざわざ剣で戦っているのか。その理由は、僕が持つ大穴を穿つ魔符の存在をカモフラージュするためだ。
今までの戦闘において、数メートルを掘削する魔符を使う機会はいくらでもあった。それこそ、最初の一撃で放ってもよかったのだ。むしろこれを使わずにして、僕はツルゴに勝てない。
しかしそれを使わなかったのは、外したときのリスクを考えてのことだった。外してしまえば、そこで僕の敗北が決定してしまう。ならば絶対に外さないタイミングで放つしかない。
僕はそれを実現するために、二つのことを意識した。そのどちらも間合いに関することだ。
一つ、僕の武器が護身用の剣だけであると錯覚させ、間合いの認識を狭めること。それを実現するために、僕はわざわざ接近して剣戟を繰り広げていたのだ。そして魔符を使う機会を数回見送ることで、相手に安全な間合いを誤認させた。
そしてもう一つ、ツルゴに長剣の間合いが有効であることを認識させ、他の遠距離武器を出させないこと。実際には飛び道具の使用を許してしまったが、それはすぐさま接近戦に持ち込んだことにより、武器を放棄させた。そして僕が一撃を食らったことでカバーできた。剣なら容易に僕を殺せると認識させるために、どうしても一度攻撃を受けなければならない。故に僕の作戦は、負傷することが前提だった。負傷するのが予定通りというのは、そういうことだ。
距離のギミック。
僕は状況を全て無にするカードを切るために、その全てをお膳立てしたのだ。
そしてそのタイミングは、今だ。
僕は胸ポケットからそれを取り出し、閃光を放ちながら記録されている現象を発動させる。
「うおおおおおォォォォォ!!」
僕は雄叫びを上げながら、魔符をツルゴに向けてかざした。そしてツルゴは重量のある長剣を振り上げている真っ最中だ。急な回避行動はどうやったってできない。
次の瞬間、僕の目の前にいたツルゴの身体が消失した。
僕は大穴を穿つ魔符を、ツルゴの肉体に使用した。それも国会図書館に侵入するための穴であるので、その直径は大人が難なく潜り込めるほどの大きさだ。それを肉体に対して使用したのだから、身体の殆どがこの魔符の効果範囲となった。
ツルゴは腹部を中心として、その身を失った。心臓がある胸も、脳がある頭も、一瞬にして無になった。僅かに残ったものといえば、つま先と、高々と振り上げた長剣を持っていた腕ぐらいだろう。
強いはずのツルゴは、実にあっけなくこの世を去った。
その事実を、戦闘で磨り減った心で認識する。
「ハハ……ハハハ……ハハハハハ」
ツルゴを倒し緊張の糸が途切れた瞬間、何故か笑い声が出てきた。持ち手を失った長剣が落下し、硬質な音を地下に響かせる。その音に混じって、主を失った腕がボトっとぬめりのある音を立てて線路の上に落ちた。僕はその音を聞いたのち、膝から崩れ落ちた。
「ハハ……ハハハ……」
笑いが止まらない。僕は気が狂ったように笑い続けた。
「総介さん」
座り込んだことにより、僕の全身は小刻みに震えだした。そのとき、僕の目の前にラシュトイア王女が現れる。泣きはらした目をしながらしゃがみ込み、僕と視線の高さを合わせる。
「助けていただいて……ありがとう、ございます」
ラシュトイア王女の瞳からまたしても涙がこぼれ落ちる。しかしその涙は先程の絶望によるものではなく、死の危機から守ってくれたことを感謝するものであった。
「ぼ、僕は……人を、殺してしまった……」
僕は笑ったまま、無意識に、そして縋るように声を出していた。そのことによって、僕はようやく自分が狂った原因を知る。ツルゴを目の前にしていたときは、身の危険による恐怖で締め上げられ、これから行うことについて深く考えられなかった。しかしことが終わると、自身の思考が冷却され、自分がしでかしたことを正確に認識してしまったのだ。
これまでの僕の人生、当然死と向き合うことはあった。しかし僕の手によって死をもたらしたことは一度もない。精々あるとすれば、公園の虫を殺したぐらいである。そんな僕が人を殺したのである。いくら自分とラシュトイア王女の命がかかっていたとはいえ、まともな精神状態になれるわけがなかった。
しかしそんな僕を、ラシュトイア王女は抱きしめてくれた。
「総介さんが殺したのは、人ではありません。人の皮をかぶった悪魔です。あの悪魔は、これまでの非道の報いを受けたに過ぎません。ですので、総介さんが心を痛める必要は、ないのです」
「ぼ、僕は……」
ラシュトイア王女は僕を慰めようとしてくれるが、それでも僕は、何か呟こうとしていた。しかし続きを言う前に、抱擁する手の力が強まる。それにより僕の言葉は消失した。
頭が働かない。あまりのことに思考が停止してしまった。けれども僕はなけなしの理性でラシュトイア王女の腰に手をまわし、抱き返した。
そのまま、互いの精神状態が落ち着くまで、僕たちは抱き合った。
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