第32話 襲撃
「装備、及び掲げている旗から、襲撃をしてきた武力勢力は、我が国の近衛騎士団であります」
その言葉に、その場にいた全員の思考が停止し、硬直した。そしてそれと同時に、歩哨の騎士が言いにくそうにしていた理由を知ることができた。まさか同じ近衛騎士団が、守るべき王族であるラシュトイア王女に刃を向けてくなんて、誰も思わないはずだ。何かの間違いなのではと思いたいが、報告によれば確かな証拠を身につけているようだ。歩哨の騎士が見間違うはずなかった。
でも、何故近衛騎士は主であるラシュトイア王女に歯向かったのだ?
主? 待てよ、そいつらの主は、本当にラシュトイア王女なのか?
近衛兵といえば、王族を守る存在だ。そしてこの国の王族は、ラシュトイア王女だけではない。対立している、ミナゴト王子がいる。
そこで全てを察した。襲撃してきたのは、ミナゴト王子を守護している近衛騎士団だ。
ミナゴト王子を擁立する一派は、ラシュトイア王女を暗殺しようとしていた。しかし雇った賊による襲撃は失敗した。ならばその失敗を改善するには、どのような改善策を用意しただろうか? それは練度の低い賊を雇うのではなく、正規の騎士を使えばいいということ。しかし一国の王子であろうとも、鶴の一声で国の兵を動かせるわけがない。そこで動かしたのは、自分を守護している兵であった。
そしてそのことを、幼いミナゴト王子が思いつくわけがなく、誰かが入れ知恵をしたのは確実であった。そしてその人物は容易に想像できる。ミナゴト王子を擁立している張本人、カニーロ宰相だ。
やられた。
僕は心の中で愚痴ることしかできなかった。そうだよ、カニーロ宰相は、ラシュトイア王女が都を離れて調査しに地方へ出かけたことを好機として、暗殺を企んだ奴だ。相手は端から武力行使する気満々だったのだ。自身の実権獲得のために、躊躇なく政敵を排除する。例えそれが一国の王女であろうとも。そのことからも、カニーロ宰相がいかに獰猛で危険な性格をしていることが窺える。王女一派は、完全に後手に回ってしまった。
「ラシュトイア王――」
僕はこの集団の長であるラシュトイア王女に対応を迫ろうとして、後悔した。先程喧嘩紛いの言い争いをして、ラシュトイア王女を追い詰めてしまったばかりだった。そんな精神状態で奇襲の報告を受ければ、まともではいられないのは当たり前である。
現に、ラシュトイア王女は報告を受けて、絶望して完全に硬直してしまっていた。
これは僕の失態である。本来なら王女が率先して指示を出し、王女が逃げる算段をつけるなり応戦の指揮をするなりしなければならない。しかし今のラシュトイア王女は、地面にヘタリ込み、絶望に染まった表情で僕を見上げることしかできない。
ならば、誰かが代役をしなければならない。そしてその誰かを他人に求めていられないほど切羽詰った状況であるのだ。
僕にできるだろうか?
しかし、即座に否定する。できるかできないかの話ではなく、やるのである。やらなければラシュトイア王女は殺されてしまう!
だが状況は、僕のそんな決意を歯牙にもかけないようだ。
「王女ッ!!」
突如女性の叫び声が響き渡ったと思ったら、いつの間にか眼前のラシュトイア王女が薄い青色に包まれていた。一拍遅れてから、薄い青色の侍女服を着たトロメロさんが、ラシュトイア王女に覆い被さっているのだと認識できた。
しかしそこには、許容できない事実があった。
ラシュトイア王女に覆い被さるトロメロさんの背中には、一本の氷柱が突き刺さっていた。そしてトロメロさんは力なく横に倒れ込む。トロメロさんの背中に突き刺さった氷柱は身体を貫通しており、胸から僅かに切っ先が伸びていた。
「ああ……ああ……」
純白で可憐なドレスを鮮血で深紅に染めたラシュトイア王女が、変わり果てたトロメロさんを見て恐怖に駆られた。
「――――」
胸に致命傷を負ったトロメロさんは、虫の息であるにも関わらず口を動かすが、その言葉はあまりにも弱々しくて伝わらない。だがラシュトイア王女を嘱望する眼差しによって、最期に伝えたい言葉の内容がわかったような気がした。程なくして、トロメロさんの身体は力を失った。
僕は初めて、目の前で人が亡くなるところを見た。数瞬前まで普段と変わりなく生きていて、あまつさえ昼に言葉を交わしている。そんな人が、急に動かなくなってしまったのだ。思考が絶望に染め上げられ、僕の精神を縛り上げる。それに伴い身体も自由を失い茫然とする。恐らく、僕もラシュトイア王女と同様の反応をしているのだろう。
そんな身動きができなくなった僕に対して、肩を力強く掴み身体を激しく揺さぶる存在がいた。僕はそれによって乖離した精神が戻ってくる。
「王女を狙撃しようとした奴は仕留めた! どうやら逆賊の本隊は陽動であり、別働隊によって直接王女を狙うつもりのようだ。敵は他にも来る。総介殿、ラシュトイア王女を連れて避難するぞ!」
僕の精神を掬い上げたのは、テレだった。そしてテレの言葉で僕は周囲を見渡し現状を把握する。テレの右手には小型のボウガンのように弓と拳銃が一体化した武器を持っており、遠く離れた場所には、脳天を撃ち抜かれた男が倒れ込み芝生を赤く染めていた。その男は、ラシュトイア王女の近衛騎士と同じ騎士の服を着ていた。ミナゴト王子の近衛騎士だ。
「敵は別働隊にて陣に侵入している。戦えるものは迎え討て! 手の空いているものは王女を取り囲めッ! 敵の視界にラシュトイア王女を入れるなッ!!」
テレは声を張り上げて指令をする。それにより天幕の間を慌ただしく人が行き来する。
僕が逡巡し、そしてトロメロさんの死によって揺らいだ決意を、テレはいとも簡単にこなした。僕はそれを見て場数の違いを痛烈に突きつけられた。争い事に関しては、僕はやはり素人でしかなく、玄人のように即座に動けるわけがなかった。悔しいが、このような状況では、適任者がその役割を全うするしかないのだ。
ラシュトイア王女のもとに非戦闘員が密集する。そしてその外側を陣内で待機していた騎士たちが取り囲む。僕は元々いた場所の都合上、ラシュトイア王女と近い位置にいた。
どうやら敵別働隊は、ラシュトイア王女だけではなく王女派の人間にも無差別に刃を向けているらしく、完全に虐殺であった。逃げ惑う人々に、武器を持った人間が追い回す。点在する天幕や停車していた馬車に血が降り注ぐ。脳漿や内蔵が地面に撒き散らされ、歪な模様を生み出す。陣の中は凄惨なありさまであり、集団としては完全に壊滅状態となった。そのせいもあり、王女を取り囲んでいる人数が思ったよりも少なかった。
「総介殿、幸いにも地下迷宮までの道のりに敵はいないようだ。このまま地下迷宮に逃げ込むぞ。こっちには総介殿という案内役がいるが、敵はそうではない。何とかして地下に入り、地下にて敵を撒くぞ!」
テレは人垣を割って入り、僕に直接指示を出した。確かにかつて東京に住んでいた僕がいたからこそ、調査隊は無事地下迷宮を抜けることができたのである。しかし相手には僕のような過去から来た人間はいないはずである。ならば、この作戦は十分効果を発揮しそうだ。
「わかった。任せてくれ」
僕は素直に首肯するとともに短く返事をした。テレはクモルにも指示を出し、クモルはそれに従って蹲るラシュトイア王女の肩を持って立ち上がらせた。どうやらクモルが消沈したラシュトイア王女を支えるようだ。
テレは僕たちから離れ、他の騎士と共に集団の外周の警護につく。集団はラシュトイア王女を気遣いゆっくりと、しかしできるだけ迅速に移動し、地下入口である地下鉄永田町駅を目指す。
僕は一度振り返り、芝生に横たわるトロメロさんの亡骸を見つめる。この光景、このありさま、この犠牲を忘れてはいけない。目と脳を繋ぐ神経がショートしそうになるくらい力強く目に焼きつけ、脳に刻みつけた。そして最後に黙祷を捧げ、踵を返して歩み出す。本来なら丁重に弔いたいのだが、僕たちは生きてこの危機を脱しなければならなく、残念ながら今はその余力はなかった。そのことが非常に悔やまれる。
別働隊は散開してラシュトイア王女を探しているようであり、途中何度か敵戦闘員と交戦した。しかし散開しているせいもあって一度に相手する数は多くなく、その都度返り討ちにして即座に処理をした。
しかし気になることは、敵戦闘員がこちらを発見する度に空に向かって魔符を掲げ、閃光を放っていることだ。これはどういう意味があるのだろうか? その行動の目的を僕の概念で思案してみる。そしてそれは、それは恐らく信号弾の役割になっているのだろうという考えに至った。
トロメロさんを殺した一撃は不意打ちの意味合いがあったため、閃光を打ち上げることはしなかったのだろう。だがその一撃が失敗に終わり、王女周辺で警戒体制が敷かれたため、何ふり構わず王女の居場所を別働隊全体に知らせることにしたようだ。現に茜色の夕方の空に青白い光が打ち上げられる度に、交戦する敵戦闘員の頻度と人数が増えている。呑気に逃げていれば、いずれ応戦しきれなくなるのは明白であった。
そしてそのことはテレもクモルも察しているようであり、手信号にて速度を上げるよう指示が下された。今まさに別働隊がこちらに集結しつつある。僕は最悪のシナリオにならないよう願いながら逃げるしかできなかった。
しかし僕の希望は、無残に打ち砕かれる。
ラシュトイア王女を取り囲んだ集団は順調に調査隊の陣を抜け出し、地下鉄永田町駅前まで到達したが、そこに到達してからこの避難行動の落とし穴に気がついた。
調査隊の陣を抜け出したということは、当然調査隊の天幕や馬車などはない。永田町駅から国会図書館までの距離はそんなにないので、調査隊の陣自体も駅や図書館の近場に設けられているが、それでもやはりその周辺には何もなく、ただ青々とした芝生が広がっているだけである。
つまり、遮蔽物が何もないのである。そしてそのことにより、別働隊のほぼ全員がラシュトイア王女の集団を視認してしまったのだ。別働隊の面々は真っ直ぐこちらに向かって走り出していた。
即座に認識できた人数は十四。こちらよりも少ない人数であるが、こちらは約半数が非戦闘員である。一方相手は全員が手練である。どう考えてもこちらが不利であり、全滅する可能性があった。
「この数、私なら対処できる。迎え――」
別働隊を一瞥したテレは敵勢力をはかった上で、腰に下げたホルスターに手をやり新たな武器を実体化しようとしたが、差し出された手によって動作と共に言葉も遮られた。
「テレ、役目を全うしなさい」
テレを遮ったのはクモルであった。
「我々の優先すべきことは、ラシュトイア王女をできるだけ遠くへ逃がし、逆賊の魔の手を遮ることです。ここで全滅する可能性を孕みながら応戦するのは得策ではありません。ここは少数が王女と共に地下に潜り、残りは盾となってここを塞ぎます。幸いこの入口は狭く、大人数で密集すれば容易に突破するこことはできないでしょう」
「ちょ! 待ってく――」
それはつまり、囮によって逃げる時間を稼ぐということである。そしてその行為には、命を投げ捨てて自ら犠牲になることが前提となっている。そのことをクモルという老人は平然と提案したのだ。僕はその提案を否定するためにクモルに詰め寄ろうとしたが、クモルは僕を無視して話を続ける。
「それに敵を地下にて撒くのであれば、少人数の方が都合がよい。この人数で地下に潜れば、確実に誰かの足が捕捉されてしまう。少人数であれば発見される確率が下がる故、精鋭だけが王女のお供をするべきです。テレ、君がラシュトイア王女を守るのです。そして総介様、どうか総介様の土地勘で追手の目を攪乱してください。我々は、死してなお敵の前に立ちはだかります」
クモルは顔の皺を動かしてそう告げた。
戦争のない国で生まれた僕がトロメロさんの最期を見てしまった以上、誰か見知った人が犠牲になることだけは是非とも避けたかった。しかしクモルの言うことはもっともであり、反論する隙間がまるでなかった。そしてなにより最悪だったのは、僕自身現状を客観的に捉えた結果、その提案が最善であると納得しまったことである。僕は名状し難い感情の行き先を失い、ただただ力強く拳を握り込むことしかできなかった。
中途半端に凍てついた感情が融解したものだから、僕の中で感情的な考えと理性的な考えがせめぎ合う。そしてそれは、純粋に迷いであった。僕は迷いによって身動きがとれなくなり、意見を述べることができなくなった。
クモルを始めとする面々は、僕とテレに視線を向ける。その視線には各々の希望が込められており、その希望を引き継いでくれと言わんばかりに見つめられる。ラシュトイア王女のもとに集った人達は、皆クモルの提案に異を唱えない。非戦闘員ですら既に覚悟が決まっている。その決意の光景は、どことなく狂信的ですらあった。それほどまでにラシュトイア王女にはカリスマ性があるのだ。
「ラシュトイア王女」
クモルは一歩前に進み、魂が抜けたかのようにこれまでされるがままに避難してきたラシュトイア王女の両肩に触れる。その際ラシュトイア王女の小さな肩はビクッと震え、気力が失われた瞳を眼前のクモルに向ける。
「ラシュトイア王女は私たちの希望です。しかしその希望の起因は、あなたが王族だからではありません。ましては、王女が望む政策に賛同したからでもありません。私たちは、ラシュトイア・ビアウザ・ムルピエという十四歳の少女に惚れ込んだのです。例え王族でなくても、私たちはあなたに付き従いました。ですので、どのようなかたちでも構いません。どうか、生きてください。あなたが生きていることそのことが、私たちの希望なのです」
クモルはラシュトイア王女の両肩に手を乗せながら真摯に訴え掛ける。他の者もクモルと同様の目をしている。
「……はい」
ラシュトイア王女は全ての視線を受け止めた。そして王女の瞳に生きるための曙光がさし、ほんの僅かに気力が回復する。精神的に万全とは言い難いが、それでも自分の足で立って逃げることはできるようになった。
僕とテレと、そしてラシュトイア王女は、地下の闇に紛れ込んでいく。その際三人とも振り返らなかった。二人はどうかはわからないが、僕としては、今振り返って残る彼らの勇姿を見てしまえば、なけなしの決意が揺らいでしまい、足を止めてしまうだろうと思った。
しかしその行為は本末転倒である。僕たちは彼らの覚悟を無駄にしないために、少しでも足を動かして逃げなければならないのだ。そのことを理解しているからこそ、僕は溢れ出す感情を理性で押さえ込んだ。そして行き場をなくした感情は、自然と涙として体外に放出された。
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