第38話 新たな日常


 僕が屹立としたビル群が存在する東京に帰ってきてから、二ヶ月ほど過ぎた。季節は爽やかな風が吹き付ける春から鬱々とした梅雨を経て、唸るような夏に移り変わった。暑さのあまり空気が揺らめく街並みは、今日も平和に平常運転している。


 容赦ない日差しは昼を過ぎても変わらない。そんな太陽に辟易しながら自転車で目白通りを疾走し、雑司が谷の自宅に到着する。以前は日が落ちてから帰宅していたが、あの日以来僕は早めに学校を出て、寄り道をしないで帰宅するようになった。


 玄関を抜け、リビングに入る。


「総介さん、おかえりなさい」


「今日も早いな」


 リビングのテーブルには、ラシュトイアとテレが向かい合って座っていた。ラシュトイアは白のワンピース姿であり、清楚なお嬢様風の格好であった。一方テレはシンプルなカットソーにデニムショートパンツ姿であり、活発的でカジュアルな格好である。異世界人であり未来人でもある二人だが、今ではすっかり東京の色に染まっていた。


 そんな二人が過ごしているリビングでは、テレビの電源がつけられており、夕方のニュース番組が垂れ流されている。


 いち早くこの世界、この東京のことを知ってもらうために、常に情報を発信させておこうという母の提案を律儀に守っているのである。テレビの効果があったのかなかったのかは定かではないが、僕や母が懇切丁寧に東京の一般常識や作法を教えたため、たった二ヶ月で二人共完全に東京に馴染んでしまった。二人だけの外出はまだまだ不安が残ってしまうが、それでも付き添えば問題なく街を歩けるようにはなった。


 そして二人が馴染んだのは、日常に関する事柄だけではない。日本の教育にも、馴染み始めた。


 ムルピエ王国のアカデミーにて優秀な成績を残している二人なので、頭はいいのだ。よって、ラシュトイアもテレも九年間ある義務教育の内容のうち、小学生の範囲を既に習得してしまった。流石に中学校の範囲はやや難航しているが、それでも一般の中学生より早く理解しているようで、順調に勉強は進んでいた。母曰く、このペースであれば来年度の高校受験ぐらいできるのではないかとのこと。というより、母はその気であった。


 だが二人は異世界人であり未来人でもあるので、戸籍云々はなく、本来ならこの世界に存在しない人物である。そんな人物が受験なんて流石にできないし、受験以外にも支障をきたす事柄はあるので、ないままでいることはできない。


 そこで母は早急に用意してしまったのだ。二人分の戸籍を。


 しかしながら、母がどうやって二人の戸籍を用意したのかは謎である。そのことに関して僕は母に尋ねてみたことがあるのだが、その答えが、


「今まで知恵をいろんなところに提供していたので、私は多方面に貸しがあるの。今回はそのいくつかを清算してもらって戸籍を二人分用意してもらったの」


 というものであったので、僕は詳しい事情を聞くのをやめた。なんだか危険な匂いがしたので、危機回避としてこのことをブラックボックス化にした。そもそも、僕の母は一体何者なのだ? いやマジで。


「今日もやっているのか」


 今日も今日とてラシュトイアとテレは、この世界の勉強をしていた。二人が向かい合うテーブルの上には、ページが開かれた中学の数学の教科書が置かれ、ペンを走らせているノートにはびっしりと数式が書き込まれていた。そしてテーブルの隅には閉じた英語の教科書とノートが置いてあり、徐に英語のノートを開いてみると、案の定英文で埋め尽くされていた。


「ええ。いち早く総介さんの世界に馴染みたいので」


「まあ、日がな一日他にやることがないからな」


 そう返事をする二人だが、その間彼女たちのペンは止まることはなかった。そんな様子を温かく見守りながら僕は椅子を引き、ラシュトイアの隣に座った。学校から帰宅した僕は、家では二人の先生となる。夕飯の支度など家のこともしなければならないが、僕は時間が許す限り彼女たちの傍にいるつもりだ。


「そういえば、先程お義母様からお電話がありまして、明後日になるそうです」


 ラシュトイアは不意に顔を上げ、口元にペンを添えながら母の伝言を告げた。彼女がちゃっかり僕の母のことを「お義母様」と呼んでいることにあえて触れず、僕は伝言のことにだけ意識を向ける。


「明後日? なんのこと?」


「トワさんが未来の様子を見に行かれるそうです」


 そうか、その話か。母は時期を見て未来に様子を見に行こうと提案していた。母の仕事の都合を加味して日程を決めることになっていたが、まさか明後日とは。なんとも急な話である。


「そういえば、トワは?」


 ふと当人であるトワがいないことに気がついた。以前なら僕が帰宅してくると嬉々として出迎えるのに、ラシュトイアたちがこの家に来てからは見かける機会が減った。全く見かけないということではないので家にいることは確かだが、なんというか、トワは二人を避けているかのようだった。


「私、トワさんに嫌われているようです」


 ラシュトイアは苦笑を浮かべながらそう言った。


「え? 何故?」


「前に鉢合わせたとき、思い切って尋ねてみたのだが、なんかラシュトイアとキャラが被るとかで、同じ空間にいたくないらしい」


 僕の疑問にすかさずテレが答えてくれたが、その答えに「なんじゃそりゃ」と反射的に反応してしまった。元王女様のラシュトイアとアンドロイドのトワでは、当然似ていない。強いて言えば若干口調が似ているくらいである。


 ……もしかしてそのことを気にしているのか? だとしたら、トワは意外と繊細な性格であるらしい。明後日のこともあるし、一応気にかけることにしよう。


 明後日はきっと家族総出でトワを見送ることになるだろう。と言っても時間移動能力を持つトワなので、一秒も経たないうちに帰ってくると思うけど。


 それでも、明後日で一応の成果が判明する。


 世界融合という世界の摂理を知ってしまったので、今後僕たちが生きている間で大規模な世界融合が起きたとしても、その都度修正してあるべき世界の姿を保ち続けるだけである。


 東京の未来は失われないということは、僕たちの日常も失われないということである。僕たちの変わらない日常が続く未来は、永遠に続いていく。


 そう、未来はあるのである。



〈了〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミライセカイ 杉浦 遊季 @yuki_sugiura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ