第31話 弱い心


 昼食を済ませ、午後の調査が開始される。そして三時間ほどが経過したところで、その一報は調査隊全体に広まる。


 国会図書館地下書庫にて、ムルピエ王国の文字が記載された書物が発見されたのであった。


 その書物は扉つきの木製の書棚に保管されていた。どうやら貴重書書庫であるらしい。いくつもの書棚に保管されていたようであり、その量は膨大であった。その量から、かつて王立図書館に保管されていた歴史資料ではないかと思われた。


 その書物は地上に持ち出され、ラシュトイア王女と学者の皆さんによって作業が天幕にて行われた。精査に関しては別邸に持ち帰ってから行われるはずなので、今は単純にその書物が本物の奪われた歴史資料なのかの識別だけだろう。恐らくそんなに時間がかからないはずだ。


 いくらラシュトイア王女の魔符の効果でこの国の言葉を理解できるからとって、基本的に部外者である僕がその作業に参加しても、あまりいい結果は得られないはずだ。よって僕は、作業中の天幕から離れた場所にて休憩をとっていた。


 しかしそんなに時間が経っていないにも関わらず、ラシュトイア王女は天幕から出てきた。その表情は暗く、沈痛の面持ちだった。まだ数日しかこの世界に滞在していないが、あんな負の表情をしたラシュトイア王女を見たことがなかったので、僕の心は一気に不安に駆られた。


 僕は思わずラシュトイア王女に駆け寄った。しかしラシュトイア王女は僕に気づかなかったのか、そのまま見向きもしないで王女の天幕に入ってしまった。ラシュトイア王女のあとを追いかけていたテレは僕に気がついたようだが、テレが王女に続いて天幕に入ろうとした際に顔を左右に振って僕を拒絶した。


 その反応を見て、作業中に何かがあり、ラシュトイア王女は気持ちの整理をするために席を外したのだろうと推測する。そしてその何かは、十中八九発見された書物が原因であろう。それくらいしか王女をあそこまで落ち込ませる要因が見つからなかった。


 恐らく、識別作業の段階で、ラシュトイア王女の目的の資料が出てきてしまったのだろう。


 そう、失われた王族の家系に関する資料である。


 そしてその内容は、実に酷なものであったに違いない。


「なんだか、報われないな」


 僕は日が傾き始めた空を見上げながら、そう呟いた。ラシュトイア王女は国のため、民のためにわざわざ都から離れた辺境の地まで出向き、身を粉にして調査に挑んでいた。その調査の結果白黒はついたが、それは残酷なもでしかないようだ。


 調査隊の長が引きこもってしまったので、隊の指揮はそこで途切れる。末端の騎士は必要以上に見回りをし、侍女は必要以上に食器を磨いている。皆手持ち無沙汰になり、落ち着かない様子であった。調査隊の士気がグッと下がったようだ。


 そのまま小一時間ほど待機していると、徐にテレが天幕から出てきた。そして近衛騎士団の団長であるツルゴに何かを報告をした。その報告から間もなくして、調査隊全体に撤収命令が下る。空を見上げると、茜色の光が雲に影を映し出している。気温もそれに伴い低下し、夕刻の心地よい風が頬を撫でていく。昨日の帰還の時間と比べると、幾分早いような気がした。


 しかしお目当てのものが発見されたのだから、実地での調査はもう意味をなさないのだろう。あとは別邸にて専門家たちによる精査だけである。ならばとっとと帰還してしまうのも一つの手であった。


 撤収の一報が流れると、調査隊に参加していた面々は一斉に撤収作業に取り掛かった。しかしラシュトイア王女の陰鬱な様子が天幕から滲み出てしまったのか、隊全体が緩慢とした動きになっていた。


 僕はこれといって作業はないので、撤収作業している人の邪魔にならないよう王女の天幕のすぐ近くに座り込む。ラシュトイア王女がまだ中にいるのだから、この天幕はまだ片付けないだろうと当たりをつけたのもそうだが、単純にラシュトイア王女のことが心配になっていたからだった。


 僕は撤収作業をそれとなく見つめる。片付けるものは多いはずなのに、皆どことなく忙しそうではない。集団の士気の低下による作業効率の悪化は、ここまで顕著に出てしまうようだ。


 しかししばらくして、王女の天幕の周辺で作業していた人たちの動きが活発化する。そしてそれは水面の波紋のように隊全体に浸透していく。皆いきなりどうしたのかと思い周囲を見回すと、ラシュトイア王女が天幕から出てきていたのだった。長が姿を現した途端やる気を出すなんて、まるで普段怠けているけれど店長の前ではテキパキしているアルバイト店員のみたいであり、なんだか滑稽であった。


 そんな調査隊の様子を天幕のそばで眺めていると、不意に誰かが近づいてくる気配がした。そろそろ王女の天幕でも撤収するのかと思い僕は立ち上がるが、その近づいてきた人物は他でもない、ラシュトイア王女であった。


「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありません」


 微笑んでいる表情を見る機会が多いラシュトイア王女であるが、今の王女は無表情だった。何か声をかけるべきなのか迷ったが、結局僕の口からは何も出てこなかった。


「何があったのか、聞いてもいいですか?」


 それでも絞り出すかのようにして声を発する。その声はまさに腫れ物に触るような口調であったので、僕はそんな態度しかできない自分に失望した。


 そんな僕とラシュトイア王女の様子を密かに見つめる存在がいくつもいる。報告を終えて天幕に戻って来たテレ、天幕内に敷かれた絨毯を畳んで外に持ち出しているトロメロさん、同じく天幕内の調度品を馬車に積み込むクモルなどなど、王女の天幕周辺で作業していた人たちの視線が、点滅する照明のようにチラチラと僕たちに注がれる。


「……発見された歴史資料を検分していたところ、王族の家系図が見つかりました。それによると、およそ百三十年前の時代に、三人の王女と一人の王子がいました。末の子は王子です。そして実際に即位したのは……王子でした」


 やはり僕の予感は的中していた。作業中に探し求めていた歴史資料を見つけてしまったのだった。そしてそこに記されていた歴史は、三人の姉を差し置いて末っ子が次期国王に即位したというものだった。


 それが指し示す意味とはすなわち、この国の王位継承は、男子優先の長子相続であるということだ。


 つまり、現在ムルピエ王国の王位継承順位は、一位はミナゴト王子で、二位がラシュトイア王女となり、正攻法でラシュトイア王女が王位につくことはできないのである。しかしこれで手詰まりになったわけではなかった。


「まだ、ラシュトイア王女が即位する可能性は残っていますよ」


 僕は抑揚のない平坦な声で、無慈悲に告げた。その言葉を聞いたラシュトイア王女は、僕の言わんとすることに気がつき、眉をひそめる。


「私に、ミナゴト王子を討てと、そう仰るのですか?」


 そう、ミナゴト王子さえいなければ、ラシュトイア王女は即位することができるのだ。そしてミナゴト王子という旗印を排除すれば、王子を擁立することで実権を得ようとしていた老獪なカニーロ宰相の企みを阻止することができるのである。


 しかしその方法は、ラシュトイア王女の望むものではない。


「私は、王位継承問題が武力衝突に発展するのを危惧したからこそ、今回の調査を計画したのです。なのに、その私自らが、血をもって争うことを選ぶとお思いですか? 私は王子の暗殺に賛同することはできませんッ!」


「では、ラシュトイア王女は王位につかなくてもいいと? 王女は国王の意志を引き継いで民を啓蒙する存在になるために即位するのではありませんか? この調査隊のメンバーは王女の志に賛同したからこそ参画したのではないですか? 王女はその思いを、無下にするつもりですか?」


 僕に事実を突きつけられたラシュトイア王女は、熱を帯びた感情に任せて声を荒げた。しかし僕はその叫びに冷たく凍えた正論を畳み掛けた。そして僕の言葉は続く。


「もしかしてラシュトイア王女は、見つかるはずもない歴史資料を探して、時間稼ぎをしたかっただけじゃないですか? 曲がりなりにも、ラシュトイア王女が調査隊を率いて調査している間は、王位継承争いを止める口実ができますからね。しかし、実際は違った。ミナゴト王子を擁立するカニーロ宰相はこの機会を好機と捉え、王女を抹殺しようと企てた。それが以前の襲撃です。そして最悪なことに、見つかるはずがないと踏んでいた歴史資料を見つけてしまった。ラシュトイア王女、あなたの甘い企みは、完全に裏目に出たのです」


 そして僕は、妄想の混じった言葉でとどめを刺した。


 僕の刃のような言葉を受けたラシュトイア王女は、表情を歪め、瞳から雫が漏れ出す。それは滂沱の涙に変わり、止まる気配がなかった。そして王女は膝からその場に崩れ落ちた。


「……総介さんの、仰る通りです。私は、王女という宿命から、逃げたかっただけなのです。それが一時の気休めでしかないと理解していても、……私は、どうしても、運命に立ち向かうことが、怖かったのです」


 しかし僕の妄想の言葉は、的を射ていた。初めて国会図書館の地下に入ったとき、ラシュトイア王女は若干沈んだ声で感謝した。その声の正体が、これであった。王位継承争いは、最早穏便に解決することはない。だからこそ、ラシュトイア王女は王位継承争いを解決することを拒んだ。それはいつまでも続くことではないが、時間稼ぎしている間に何か事態の変化が起きないかと、期待していたのである。


 ラシュトイア王女の声は嗚咽に混じり途切れ途切れになっていた。そしてその王女の姿を目の当たりにした人は、王女の弱さを十分に理解した。理解したからこそ、誰も王女に手を差し伸べることができなかった。差し伸べるだけの希望を、誰も見いだせなかったからだ。


「総介さん! 私は、一体どうすればよろしいのですか!? 立ち向かう勇気もなく、逃げることも許されない私は、この困難をどうやって乗り越えればいいのですか!?」


 そして王女に手を差し伸べる役は、当然とどめを刺した僕になる。


「ラシュトイア王女、非情になってください」


 だがこの場にいる人間のうち、僕だけがその答えを持っていた。


「二択です。一つは、ミナゴト王子を殺し、ラシュトイア王女が即位してください。そして民に豊かな暮らしを与えてください。もう一つは、歴史資料をカニーロ宰相に渡し、王位継承争いから身を引いてください。そうすれば無駄な争いは止む代わりに、民の貧しさは悪化します。折衷案はありません。あったとしても、選ばせません。折衷案は一見皆が幸せになれそうですが、実際は皆に我慢を強いることであり、誰も幸せにならない方法です。ですので、第三の選択肢はありません」


 ラシュトイア王女、選んでください。


 僕のその短い最後の言葉は、まるで余韻を残して終わる演奏のように徐々に小さくなっていったため、空気を伝わりラシュトイア王女のもとに到達したのかが怪しかった。しかし、それでも僕が何を求めて選択肢を提示したのかはわかってくれたはずである。


 僕の印象としては、ラシュトイア王女は優しい王女様である。しかしその優しさは、人の上に立ち導く存在としては、非常に危ういものである。常に全員を救い誰もが幸せになる選択を選ぶことはできない。ときには損得勘定で救うものと切り捨てるものを判断しなければならない。


 だがラシュトイア王女にはそれができない。優しくて優秀であるからこそ、究極の選択の前で立ち止まり、ありもしない最善策を模索してしまう。まさに今回の王位継承争いのように。使命を抱える僕も似たような状況だけど、今だけは棚に上げさせてもらう。


「私は……」


 ラシュトイア王女は両手を地面に下ろし、流れ出る涙を拭うこともせず、ただ突きつけられた選択肢に茫然としていた。胸を蝕む疼痛に、王女の身体は小刻みに震えだす。最早一国の王女としてはあるまじき姿であり、正直見てられなかった。しかしそれでも、この選択は他の誰でもなく、ラシュトイア王女自身が選ばなければならないのだ。


「私は――」


 ラシュトイア王女は落涙する顔を上げ、震える声を張り上げる。


 ――――ッ!!


 しかし、それを遮る声が辺りを支配する。その声はあまりにも予想外であり、僕を含めた調査隊の人たちは何事か判別できずに困惑する。その中、テレは眉をひそめて声のした方向を見やる。


 その声は、雄叫びであった。いや、これは雄叫びではあるが、その意味合いは、喊声だ。


 僕がそう思った次の瞬間、歩哨の任務についていた騎士が慌ててラシュトイア王女のもとへ駆け寄り、跪いて報告する。


「南方に武装勢力の出現により襲撃を受けました。数は不明。現在陣外周を警備していた近衛騎士が、ツルゴ団長の指揮のもと交戦に入りました」


 僕は耳を疑った。この歩哨の騎士が何を言っているのか、瞬時に理解することができなかった。武装勢力? 誰だ、そいつらは?


「敵の正体は?」


 すかさずテレが歩哨の騎士に問うた。しかし歩哨の騎士はその正体を言いにくいのか、しかめっ面をする。でも報告しないわけにはいかないので、騎士は意を決してそれを明かした。




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