第33話 裏切り者


 冥暗の地下鉄有楽町線を疾走する。魔符による小さな光源はあるが、それでも闇の中に潜むレールや枕木が容赦なく邪魔をしてくる。まるで亡者の世界から這い出てきた餓鬼に足を掴まれているかのような感覚であった。


 麹町駅を過ぎ、市ヶ谷駅も通過する。荒く呼吸し、足が重たくなる。もうすでに何十分も走っているような気がする。


 このまま道なりに北上して飯田橋駅に向かう間、僕は必死に東京の地下鉄の路線図を思い起こしていた。この先の飯田橋駅は東西線と南北線の停車駅であり、更には大江戸線も通っている。複数の路線が交わるこの駅は、追手を撒くには絶好の場所となる。


 しかし僕は、あえて路線の変更はせず、このまま有楽町線を突き進もうと思っている。何故なら、他の路線が今どのような状況になっているかわからない上に、辿り着いた地上がどこにつながっているのか皆目見当がつかないからである。落盤で塞がっているかもしれないし、地下から出てきた場所が敵の本拠地である可能性もあるのだ。僕の地理情報はあくまでも百年前のものでしかないため、確実に進める道を選ぶしかない。


「総介殿、止まってくれ」


 僕は思案しながら先頭を走っていたが、後方から思いがけない言葉をかけられる。それは殿を務めるテレの声であった。


「どうした?」


 地下空間は声が響くので、僕は可能な限り小声で問うた。


「……追手が来ている」


 しかしその地下空間特有の音響を逆手にとったテレは、敵の存在を察知した。恐らく僕たちを止めたのは、敵の足音を明確に聞き分けるためであろう。走っている間は全く気づかなかったが、こうして足を止めて耳を澄ませてみると、確かに微かな反響音が聞こえてくる。


 現在は市ヶ谷駅と飯田橋駅の間であり、進むか戻るかしか道ない。追手の存在がある以上戻る選択肢は論外なので、このまま進むしかない。飯田橋駅まで辿り着けば、なんとか敵を撒けるのではと希望的観測を抱く。そしてそれを実行するために、僕とラシュトイア王女は前へ進む。


「テレ?」


 しかしテレが動き出す気配がない。


「先に行け」


 僕はテレの言葉を疑った。闇の中で判別つかないが、恐らくラシュトイア王女も同様の反応をしているだろう。


「追手が来ている以上、足止めは破られたと考えるのが妥当だろう。案外早かったが、幸いこの地形だ、相手は思うように進行できないのでそれなりに距離は稼げたと思う。しかしそれでもこちらを追跡できている。ならば、ここは新しい足止めが必要だ。そしてその役は私をおいて他にいないだろう。総介殿、ラシュトイア王女を頼む」


 テレはこちらに背を向けたまま、敵が来ているだろう方角を見やりながら魔符を取り出し、武器を実体化する。魔符が放つほのかな光がその姿を照らしている。


「クソッ!!」


 僕はたまらず不満を吐き出しながら壁面を殴りつけた。無人の期間があまりにも長く老朽化が進んでいるコンクリートだが、それでも人体よりは硬いため、殴りつけた拳の方が砕けそうになる。その痛みが身体に駆け巡るが、今この状況を思えば取るに足りない痛みであった。僕はただただ苦虫を噛み潰したような表情をするしかなかった。


 近くにいるラシュトイア王女からは、鼻をすする音が聞こえてくる。どうやらラシュトイア王女は泣いているらしい。


 それも当然だ。テレはラシュトイア王女の乳母子にあたる。ラシュトイア王女にとってテレは近衛騎士団に所属する騎士というだけではなく、姉妹同然のとても親しい間柄であるのだ。それはテレにとっても同じであり、そのテレが苦渋の決断をしたことに対して、ラシュトイア王女は涙を流さずにはいられなかった。


 半身が奪われたかのような痛みと苦しみをラシュトイア王女は抱き、無言でテレの背を見つめていた。以心伝心する二人にとっては、無言の中にいくつもの言葉が行き交っているのだろう。


「テレ……ご武運を」


 そしてラシュトイア王女は涙で震える声でテレに別れを告げる。私的感情は無言の中に詰め込んで、実際に伝わる言葉は素っ気ない公的なものにする。だが滲み出る感情がその言葉に乗っかってしまい、それがただの虚勢であることが発覚してしまう。


「…………」


 テレも私的感情を押し殺していた。ただ剣の柄をきつく握り締めるだけの反応であり、こちらを振り返って返事をすることはしなかった。


 それを見たラシュトイア王女はテレに背を向けて走り出し、闇に溶け込もうとした。僕は王女を見失わないように駆け出して追いつく。するとテレの姿は闇の中に紛れて消えていった。


 走る。僕はラシュトイア王女の手を取り、ただがむしゃらに走る。飯田橋駅を過ぎ、江戸川橋駅を過ぎる。体力の限界に迫り、心臓は握り潰されたかのように悲鳴を上げ、荒い息を吐き出しながら、それでもなお地下の闇の中を走り続ける。僕はこれまでの人生の中で、ここまで一心不乱に走り続けたことはあっただろうか? いや、ないはずである。そしてそれは傍らを走るラシュトイア王女も同じであったようだ。


 護国寺駅に到着する。そしてこの先にある東池袋駅までの道には二つの線路を仕切るものはなく、ただ広大なトンネルが続いているだけである。


「待たれよ」


 不意に後方から声をかけられた。男の声だ。意識が相手を訝しむ前に、僕は反射的に止まって振り返り、ラシュトイア王女を僕の後ろに隠す。照明の魔符が放つ光を前に向け、その人物を闇から照らし出す。


 岩のような身体は近衛騎士の制服に包まれている。その偉丈夫の男の容姿は、どこか見覚えのあるものであった。というより、僕はこの人を知っている。別邸に滞在しているときも、調査隊に参加したときも、この人はいた。


 目の前の人物は、ラシュトイア王女の近衛騎士団の団長であるツルゴであった。


 だがツルゴ本人ではないことは明白である。何故なら本人は、調査隊の陣の外周でミナゴト王子の近衛騎士本隊と交戦している――現在も交戦中なのかは不明だが――はずなのだから。


「ミナゴト王子の近衛騎士団に所属しているラベですね」


 僕の背後から男の正体を明かす声が聞こえてきた。他でもない、ラシュトイア王女の声である。


「総介さん、私の近衛騎士団の団長ツルゴの実弟です」


 僕はそのことを聞いて得心がいく。確かに僕はラシュトイア王女から王位継承にまつわる現状を聞いた際、ツルゴの弟がミナゴト王子の近衛騎士をしていると聞いていた。そして立場の関係上兄弟でいがみ合うかたちになったことに同情したことを思い出す。


 確かに目の前の男はツルゴの弟のようである。


「お前は王子の、ひいてはカニーロ宰相の命令でここにきたのか?」


 僕は警戒しつつも、思わず問うてしまった。


「確かに、私はカニーロ宰相の命にてこの場にいます。しかし、あなたは一つ、誤解をしている」


「誤解……だと?」


 声までツルゴにそっくりなラベは、そう答えた。僕が何を誤解しているというのだろうか?


「はい。私には、


「は!?」


「え?」


 その意外すぎる言葉に、僕は驚くとともに困惑した。そしてそれは僕の後ろにいるラシュトイア王女も同様であった。


「弟がいないとは……どういうことですか? ミナゴト王子の近衛騎士団に、ツルゴの実弟が所属していると伺っていますが」


 ラシュトイア王女はたまらず問いかけるが、一方僕は、嫌な予感が頭を過ぎった。まさか……。


「ええ、ラシュトイア王女にはそう伝わるよう工作をしました」


「工作……何故、何故私を騙す必要があったのですか? 私にそのような嘘をついて、何があるというのですか!?」


「ラシュトイア王女を騙す理由は、一つしかありませんよ」


 困惑し疑問を投げかけるラシュトイア王女だが、その疑問の答えを、ツルゴではなく僕が言う。


「隠蔽工作の、一環ですね。あなたは、ラシュトイア王女のもとに潜り込んだ、ミナゴト王子のスパイですね」


 そう、偽る理由など、これぐらいしかない。一人の人間が対立する派閥を行ったり来たりするのは、不自然過ぎて目立ってしまう。だからこそ、それを隠すために、一人の人間を二人にしたのであった。馬鹿な話だと思うかもしれないが、戸籍や経歴などを完璧に用意してしまえば、誰も兄弟が同一人物であることなど疑いもしないだろう。


「スパイがいるのであれば、納得できることがある。僕とラシュトイア王女が出会った夜の襲撃もうそうだし、今回の襲撃もそうだ。ミナゴト王子の一派は、何故こちらの位置を正確に把握していたのかと。それはこちらの情報が向こうに筒抜けだったからだ。それに今もそうだ。ミナゴト王子の近衛騎士はどうやって地下を移動する僕たちを、案内なしで追跡できたのかと。その理由は単純だ。あなたはラシュトイア王女近衛騎士団の団長として、この地下を移動したことがあるからだ。一度通れば、完璧ではないにしろ、ある程度感覚が身につくからな」


 正直スパイの存在などこれっぽっちも思い至らなかったけど、こうして存在を認識してしまえば、いてもおかしくない要素が多々あった。むしろ派閥争いをしているのだから、いない方がおかしいのだ。


 ツルゴが裏切った――裏切ったのではなく、最初からミナゴト王子派だったのかもしれないが――理由など、詰問したところで答えてはくれないだろう。簡単に答えられるくらいの心情で、スパイが務まるはずがない。


「そ、そんな……」


 ラシュトイア王女は、僕の話したことを真実として受け入れられなかった。その真実を否定しようとするが、かすれた声しか口から出ていかなかった。


「何故、何故ミナゴト王子は、スパイなどを使ってまで、私のところに兵を差し向けたのですか?」


 それでも僕の背中に隠れているラシュトイア王女は、震える声で尋ねた。


「それは、諸悪の根源を裁くためです」


 そしてツルゴは、何の躊躇いもなく自身の目的を告げた。


「王女はご存知ではないでしょうが、王女不在の王都では暴動が起きています。今王国が抱えている闇は全てラシュトイア王女によるものであると。民衆は王女のことを売女や魔女などと罵倒しております。そしてそれに比例するかのように、ミナゴト王子を支持する声が高まっております。次期国王の即位はミナゴト王子、それが今の民衆の声です」


「生憎だが、敵の言葉をすんなり信じてしまうほど、僕たちは間抜けではない」


 ツルゴの話すことは、ラシュトイア王女を惑わすためのハッタリだ。僕はそう決めつけそれを否定した。


「そう思われるのも仕方がない。しかし兵というものは、多くの人を殺められるが故に、明確な理由がなければ動かせないものです。それは国の騎士だけではなく、貴族の私兵や王族の近衛騎士であろうとも同じです。周囲の理解を得られない状態で兵を動かせば、それは誰であろうとも非難の的になります」


 ツルゴはそこで一度言葉を区切った。それまでの話の内容は、悔しいが一理あるものだった。


「だがしかし、我々はこうして堂々と任務を遂行しようとしている。我々がこうしてこの場所にいるのも、ミナゴト王子の意見に周囲の人々が納得したからです。だがすぐに国の兵を集めることは困難であるため、我々が先遣隊として先行したのです。我々がこの服を纏って現れたことが、私の言葉の何よりもの証左です」


 その言葉に、僕たちは揃って息を呑んだ。ツルゴの話に反論することができなかった。


 僕は怒りが迸り、強く噛み締めた歯からはキリリと音が発せられる。


 恐らく民を扇動したのは、狡猾なカニーロ宰相の仕業である。これまでカニーロ宰相が吸っていた悪法の甘い汁の数々を、全てラシュトイア王女に擦り付けやがったのだ。


 それは全て、ミナゴト王子を即位させて実権を得るための謀略。ずる賢いカニーロ宰相は広い視野で物事を見極め、多方面に手を回していた。現状から逃げようとしたラシュトイア王女とは比べ物にならない人物だ。


「王女は民から見放され、臣下は我々に駆逐された今、この国に王女の居場所はありません。この国が唯一王女を必要とすることがあるならば、それは民衆の暴動を押さえ込むために、王女の首を広場にて公開することだけでしょう」


「そん……な……」


 ツルゴが告げる無慈悲な事実に、ラシュトイア王女は絶望してかすれた声を出し、その場に崩れ落ちた。


「そん……な。わ、私は、民を思って行動していた、のに……」


「その民が、もう王女はいらないと申しているのです。そしてそれにより、王女を始末する大義名分が生まれた。王国や王族に生じた膿を出すのであれば、我々が動く理由になり得る。ラシュトイア王女、あなたの味方は、もう誰もいません」


 ラシュトイア王女は事実を受け入れられない様子であったが、ツルゴの畳み掛ける言葉によって強引に突きつけられた。それにより、王女の不安定な心は再び折れた。


「……さっきから、勝手なことばかり言いやがって」


 ラシュトイア王女の味方はいないと言ったが、まだ僕がいる。そして大勢の大人が寄って集ってか弱い女の子を貶めていることに、たまらなく憤りを覚えている。感情的な部分が、僕を突き動かす。


「頭に来る。お前たちも、この国も、この世界も。……この世界は、嫌いだ」


 居心地がいいと思えたこの世界だったけど、今明確に嫌いになった。一人の女の子に全てを擦り付けて悪者にするこの世界は、醜悪以外何ものでもない。こんな世界、ない方がマシだ! 


 ツルゴがここにいるということは、恐らくテレはやられてしまったのだろう。しかしここまで来たのがツルゴ一人だけだということは、他は全てテレが始末したのだろう。そう思うと、テレは見事に役目を全うしたのだ。


 何が何でも王女の死体を回収しなければならない騎士にとっては、立ちはだかる者を全て排除しなければならない。ならば、僕が立ちはだかって返り討ちにしてやる! そうすればラシュトイア王女を追い詰める存在はいなくなるのだ!


「かかってこいよ。僕が、相手になってやるッ!!」


 僕は睨みつけ、目の前のツルゴと対峙する。同性であっても、その体格差は歴然である。正攻法による近接戦では明らかに勝ち目はない。


 だが正攻法とかいっても、そもそも僕は武器なんか一つも持っていない。僕が持った武器といえば、この世界にきた頃にラシュトイア王女からもらった魔符くらいだ。しかしそれはテレとの戦闘で全て使ってしまった。魔符をしまっていた制服の胸ポケットには、今はなにも入っていない。この通り、何の感触も……。


 僕は自分の胸に手を当ててみると、手のひらがその違和感を脳に伝えてくる。トランプ程度の大きさの、四角い紙片。それは間違いなく魔符であった。


 どうして僕の胸ポケットに、魔符が?


 その疑問を抱くと同時に、僕はこれまでのことを思い返していた。そして、この魔符がここにある理由を思い出した。


 これは、大穴を穿つ魔符だ。


 永田町の地下にある国会図書館の書庫に侵入するため、ラシュトイア王女に用意してもらった魔符である。当日現場での作業を短縮するため、事前に別邸の中庭に数メートルの穴を掘ってもらい、その結果を保存したものだ。


 そしてそれは、僕も受け取っている。しかも二枚。


 一枚目は目的通り使用した。しかし僕の開けた穴は国会図書館に通じず、ハズレとなった。そして僕はめげずに二回目の掘削をしようとした丁度そのとき、別の誰かが開けた穴が国会図書館に通じたのだ。結局二枚目は使うことなく忘れ去られていたのであった。


 そして思い出したことが、もう一つある。


「ラシュトイア王女! 失礼します」


 僕はかがみ込んで絶望しているラシュトイア王女の身体をまさぐった。ラシュトイア王女は絶望のあまり無反応だったが、僕は構わず続ける。確か袖口に……あった!


 別邸に帰還する際、魔符を持っていたのは僕だけじゃない。もともとの持ち主であるラシュトイア王女も、持っていたのだ。


 灰色の魔符と、肌色の魔符。


 護身用の剣を保存した魔符と、テレの身体能力を保存した魔符が。


 ラシュトイア王女、勝手ながら、これを使わせてもらいます。これで、戦える。


 問題は、どうやって戦うかだ。いくら剣を手に入れたところで、いくらテレのような優れた身体能力を得たところで、僕には剣術の心得はない。故にどう戦えばいいのかがわからない。


 しかしそこは、知恵で補うしかない。卑怯でいい。狡猾でいい。どんな汚い方法でも、最後まで立っていられた方が勝ちだ。立っていられた方が正義だ。だからこそ、僕は頭の中にあるものを総動員して策略を練る。


 ラシュトイア王女を死なせるわけにはいかない!



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